第31話・クラン先生のはちみつ授業
「え、違うけど」
ひょっとして情が湧かないようにするため、ステイシーはわざと戦士団に大したことを言わないで距離を取っているのでは?
そう疑問に思ったクランの問いかけへの答えである。
普通に。なんというか、この料理好きなんだろ?頼んでおいてやったから好きに食えよ、と好意を押し付けたら、そんなに好きでもないんだけど……と言い出す時の口調と顔だ。
「いや、戦ってたら、いつかはともかく死ぬに決まってるさね。私に着いて来たって言っても、来た以上は自分の責任だろう?それ以上を私に言われてもねえ……頑張って、くらいしか言えんさ」
「思ってたよりも、はるかに役に立たねえ……」
「あんた、オークになにを期待してるのさ」
「あたしはあんたの出来る範囲と、やろうとしない範囲がちっともわからん……」
二人の眼前では、戦士団が戦っていた。
群れのほぼすべてを手早く片付けた二人は、残りの二頭を戦士団へと任せたのだ。
戦士団の装備は非常に軽く、防具は急所を覆う鎧程度になっている。
武器も槍と剣の二本ほどか。弓を持っていた者は誰もいない。弱弓で熊を射たところで刺さらないのだ。
そしてまぁ控えめに言って、彼らは大苦戦中である。
立たれた時、四つ足になった時、攻撃される位置でとろとろとしている者はいなくなった。
しかし、そこからどうするか。それを理解している者が誰もいないのだ。
ちくちくと槍の切っ先を届かせてはいるが、熊の命に届くような攻撃は一切ない。
「うぉいしょー!」
「動かねー!」
「うぉいしょー!」
「動かねー!」
「その気抜ける合いの手やめろよ!?」
「コーン!」
周りで獲物を回収する者たちも大苦戦中だ。
必死になって熊を持ち上げようとしているが、作業は遅々として進んでいない。
「地道な筋トレから始めさせればいいんだろうか……」
「一生付き合うつもりかい?それならクラン戦士団に名前を変えてやってもいいさ」
「冗談」
クランが付き合うつもりだ、と言えば、ステイシーはどうするのだろう。
このまま付き合ってくれるのか、それとも置いて先に行くのか。
背中を見送る光景も、横に立ってくれる光景も、どちらも自然にクランの頭に浮かんでいた。
聞いてみたい、と思わないわけではない。
聞くべきだ、と思わなかっただけで。
べたべたと一緒に歩くことだけが友情だとは、クランはちっとも思わなかった。
「それでどうするのさね?」
「どーすっかなー?あんたは?」
「私が聞いてるのさ、どうするのかってね」
「厳しいねえ……」
しゃがみ込んだクランの眼前には、なんかもう本当に無様な光景しか映っていない。
これに筋道を立てるねえ……。
考えるだけで億劫になる有り様だ。
ばたばたと走り回る彼らは、歩き方一つ取っても出来ちゃいない。
足りない部分がどこか。全部だ。
「うーむ……今、あたしどんくらい金持ってるんだっけ」
「あんたが私の知らないところで稼いでなきゃ、もう一回装備を更新して、アルブレヒト航路一往復してもちょっとお釣り出るくらいさねね」
ステイシー・ジョイ。家庭的な彼女は常に家計簿をつけている。
クランは思った。まぁなにがあってもなんとかなるくらいに、最低限は稼げてる。
お尋ね者になっても逃げられるだけの余裕はある。
「ふむ……なあ、ステイシー。これからちょっと稼げなくなるけどいいか?」
「なにで返すんだい?」
「まぁこのご恩は……パンケーキおごってやるから。腹一杯な」
「仕方ないねえ。やりな」
肩を竦め、笑って即断するステイシーはやはり結構ないい奴だった。
「というわけで、本日はクラン先生の腑分け講座でーす……」
しかし、奴は逃げた。
面倒くさそうで、いやそうなことからは即座に逃げ出す。
そういう友達甲斐のないところがあるんだよな、とクランは布で覆った口元をもごもご動かした。
「おら、拍手しろよ拍手。先生の気持ちを盛り上げろ」
「コーン!」
盛大な、というにはどこか困惑の入り混じる拍手である。
なんとか苦戦して倒した熊が運び込まれた先は、戦士団の男子テントだ。
炉も撤去され、中にあった荷物も外へと運び出されていて、そのど真ん中に鎮座するのは仰向けの熊の死体。
これから一体なにをしようというのか。怪しげな儀式の手伝いでもさせられるのではないか?
なにやら協力してくれるようだが、これと一体なんの関係があるのか?
「お前らに足りないのは、まぁ全部です。せんせーはきちんと見てたからわかります。で、その中で最も足りないのは知識です」
「は、はい。それは重々と承知してるつもりなんですが……これからなにをするんでしょうか」
「はい、タニミチくん。いい質問です。君たちには実地で、生き物の身体というものを学んでもらいます」
クランは獲物の解体も出来る。斬り殺したことも何百回もある。
しかし、動かない死体を切り刻むというのは、別種のいやな部分があるのだ。
それはグロいだの気持ち悪いだの、そういうことではない。今さらそんなカマトトぶるほど初心ではない。
もっと別な部分だ。
「よーし、やるかー……」
クランの短剣の切っ先が、熊の顎下に滑り込んだ。
皮と皮下脂肪の隙間を縫うように刃を滑らせるクランは、あっという間に熊を開きへと変貌させていく。
「うっ……」
「吐くなら外でなー。中で吐いたらぶん殴るからな」
その臭いは、非常に独特だ。
体液の臭いであり、血液の臭いであり、脂肪の臭いであり、肉の臭いであり、糞尿の臭いであり、体内の分泌物の臭いであり、老廃物の臭いであり、そういった独特の臭いがテントの中に充満する。
生き物の臭いだ。
戦闘の中では気にならない、気にしている暇はない臭いを、こうして改めて嗅ぐと非常にげんなりする。
解体し、肉にしている最中なら水やらなにやらで洗い流して薄める部分を、まったくなんの処置もせずにやると、とても、ひたすら、非常に臭いのだ。
「この中で腑分けを見たことがある奴はいるか?」
沈黙。
「そういうわけで、今日は生き物がどういう理屈で動いているか、そういうのを学んでいきたいと思いまーす。クラン先生の説明をきちんと聞かない奴はしばきますので、きちんと聞くように。せんせー、とてもやりたくないので絶対にもう一回はやりません」
ざくざくと、とても嫌そうに刃物を突き立てるクランの動きは非常にスムーズだ。
分厚い熊の皮と筋肉の隙間に刃物を突き立て、左の前足の周りの毛皮を剥ぎ取っていった。
「まぁ復習になるわけなんだけど……そこの狐、熊の腕の振りはどういう動きが多いんだっけ?」
「コーン!」
「うるせえ、答えろ」
「内側に振るのが多いです!」
「正解だ。まぁこれがなんでかって話なんだが」
クランは片手の指を二本立てると、床に突き立てた。
「足のある生き物は立つために、バランスを取る。それは左右の足の内側の筋肉だ。お前らだって足を外側に蹴るより、内側に蹴った方が力が入るだろう?」
骨のつき方がそう出来ていない、というのもあるが、それについてはクランは説明しなかった。
全部まとめて説明すると、聞く方も理解出来ないだろう。
最低限理解出来る範囲を、一回で叩き込む覚悟をクランは決めていた。臭いから、とにかくやりたくないのである。
とはいえ、彼らがなにを知っていて、自分がなにを説明すべきなのか。どこまでやるべきなのか。
そのすべてをクランは、まだわかっていなかったのだが。
「筋肉の動きは常に引っ張る動きだけしかかない。全ての筋肉には拮抗筋っていうのが……じゃない、今のは忘れろ。えーと、そうだな」
自分がわかっている事を伝える。
簡単そうに思えていたことが、これが意外と難しい。
明らかに理解の色のない彼らに、クランが必要だと思っている部分を伝えるにはどうしたらいいのか。
そもそも腑分けなんてせずに、もっと単純に必要な部分だけを教えるべきではないのか。
いやでも、あたしはこれで習ったしな……わからん。
「生き物がする動きには、必ず理由があるわけなんだ。身体の作りがそうなんだから、そうした方が力が入る。わざわざ力の入らない、のろくさした動きをする必要はないだろ?そして、その動きをする理由がわかれば、相手の動きがよくわかるようになる」
ちなみにではあるが、腑分けの行為自体を嫌うエルフはいても、腑分けの価値を理解しないエルフはそうはいない。
魔獣に獣、そういう連中の作りを確かめることにより、極めて重要な知見を得られるのだ。
ためらう理由がさっぱりわからない。
回復魔法だって身体構造を理解していなければ、効果を発揮しにくいものだ。
雑にかけては魔力の無駄ではないか。
「腕を内側に引っ張る筋肉がここな。外側に引っ張る筋肉に比べて強そうだろ?こういう風に、敵がどういう作りなのか確認していけ。そうすると初見でも引き出せる情報量が相当に増えるからな」
腑分けを非常に嫌がるのが、人間と魔人である。
何故か彼らはよくわからない迷信で、腑分けを拒む。
宗教、穢れ。そういうよくわからないもので腑分けを拒むくせに、そのくせ医学的成果だけは厚かましく求めるのだから、非常によくわからない生き物たちだとエルフは思っていた。
「で、血ってやつは筋肉の飯です。こういう風に強い筋肉の側には絶対に大きな血管がある。よく働く奴ははよく食う。ステイシーを見てればわかるだろ?そういうわけで、狙うべきは強い筋肉の近くになるわけですね」
そして、ゴブリン。
彼らはこよなく腑分けという行為を愛しているとしか、エルフには思えなかった。
大いなる宗教的情熱を持って同種、他種を切り刻むゴブリンたちほどまで、エルフは腑分けを愛していない。
非常に率直に言えば、ドン引きしている。
「頭の中にある脳みそもたくさんの飯が必要で、身体から血を送るために絶対に首に大きい血管が存在してるから、狙えるなら狙っていきましょう」
クランの語る知識というものは、深い知見を感じさせるような大した代物ではない。
百を超えるエルフならみな知っているくらいの、浅いものだ。
知らずとも、自然と気付くような当然の話しかしていない。
「あー、あと臓器ですね。心臓とか肝臓もめっちゃ血管が多いです。とはいえ外に出てる臓器は男性器くらいなので、狙えるなら男性器を狙いましょう。男性器は脆い割にダメージが通りやすいので狙い目です」
「先生、そんなに男性器と連呼するのはいかがなものかと」
しかし、ステイシー戦士団は、知らなかった。
「わけわかんねーとこで恥ずかしがってる方が恥ずかしいのです。せんせーはそういう態度はよろしくないと思うぞ。もっと真面目にやれよ」
「あ、はい。すみません」
男性器の話ではない。
「はい、じゃあ熊をひっくり返してー。……おら、気合い入れろ!せーの!…………というわけで、背骨はこういう風になってますね。背骨ってやつはあまり後ろに反るようには出来ていません。四つ足の生き物なら、更に猫背になっています。出来る奴は相当に独特な筋肉の使い方が出来る生き物か、そういう訓練をしている奴だけです。ちなみにせんせーは出来ます」
知恵ある生き物なら、無意識に知っているようなことだ。
これは出来ない。これは出来る。何故ならこういう風に出来ている。
「つまり、猫背の熊は立って動くようには出来ていません。骨と筋肉がそういう風になっていないのです。四本足で走り、前に進むために身体が出来ています」
そういう積み重ねをはっきりとさせた物を知識と呼び、ステイシー戦士団の若者たちはその知識のきっかけを学び取った。
それはちょっとした気付きだ。
ほんのわずか。ほんのわずかだが、彼らが物事をどうやって考えればいいのか、そういう筋道を彼らは学び取ろうとしていた。
「わかった?」
「えーと、なんとなく……?」
ただまぁ、その道筋はひたすらに遠いものではあったのだが。
クラン先生のはちみつ腑分け授業は、あと三回ほど続けられることになった。
星を斬るクラン 久保田 @Kubota
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