第30話・オークは大いびきをかく習性がある
「おや、どうしましたか、クランさん。こんな時間。いや、そもそもこっちに来るのが珍しいですね」
「……ちょっと匿ってくれ」
夜のテント分けは、初めはステイシーとクランの二人、あとは戦士団の男女は雑魚寝という構成であった。
しかし、厚い天幕と、それなりの空間、そしてまた厚い天幕を超えてなお聞こえるステイシーの大いびきがクランの睡眠を阻んだ。旅先はともかく、安心出来る寝床だと、オークは大いびきをかく習性がある。
仕方ない、という全会一致で、クランも個人天幕となったわけだが、それが今日この日は非常にまずかった。
変質者に会っても一人なのだ。恐怖は恐怖でも生理的嫌悪だ。そして防犯上の問題により、一人になるのはどうしてもいやだった。
そのため、雑魚寝用テントへとやってきたクランだったが、タニミチはまだ起きていた。
それどころか戦士団の全員が起きていた。
雑魚寝用テントといっても、そう質が悪いものではない。
軽くて丈夫な骨を組み合わせた骨組に、分厚くて遮熱効果の高い幕が組み合わされており、床だって毛皮が何枚も敷かれていて、夜の寒さを感じることはなかった。広さだって結構なものだ。
疲れ切った戦士がろくに戦えなくなることを、獣人たちはよく知っているのだ。戦士たちを酷使する方法をよく知っている、と言うべきかもしれないが。
テントの中央には火がついていない炉が設置されており、寒い日にも安心な作りである。
そんな炉の周りには、二十を超える獣人がぎっしりと詰まっていて、さすがに余裕があるとまではいえなかった。
そんな彼らは、入ってきたクランを怪訝そうな表情で見つめている。
(失敗したかな)
妙に注目を浴びてしまって、クランは少しばかり怯んだ。
しかし、一人でテントで寝ていて、またあの変質者が来たら……誇りに変えても仕留めなければならないことになるかもしれない。
全力で騒ぎ立て、周りの連中を呼び起こすという誇りを捨てたやり口もする決意を、クランはしていた。
「あー……そのなんだ。一応伝えておくと、ここに来るまで変質者がいた。魔法をぶち込んできたが、多分生きてる。変な人間を見たら近付かない方がいいぞ」
「だ、大丈夫だったんですか?お怪我は?」
「見ての通りピンピンしてるよ。怪我一つないさ」
名前も知らない獣人に心配されるのは、どこか重い気持ちにさせられる。
いまさら「あんたの名前なんだっけ?」とも言いにくい。
クランが戦士団の中で覚えているのは、タニミチくらいのものだ。
「ところであんたたちはこんな時間になにをやってるんだ?明日だってあるんだぞ?」
「あー……」
と、話をごまかそうとしたら、何故か戦士団の顔色が暗くなってしまった。
いかにも気まずくて、申し訳ないという気持ちか。
「そ、そのですね」
「……もう言っちゃったほうがよくない、タニミチ?」
「いやでも、これ以上……」
「いっそクランさんにも……」
「なんだよ、あたしを前にあたしの内緒話をするなよ」
「はい、すみません。実は最近、毎日反省会というか作戦会議をみんなで開いておりまして」
「作戦会議」
「熊にまったく相手になっていない不甲斐ない我々も、さすがにこのままじゃシャレにならないなと判断しまして……」
タニミチを皮切りに、堰を切ったように獣人たちが話し始める。
「俺たち落ちこぼれなもんで、他の戦士団には入れてもらえなかったんですよね……」
「今度こそ一人か二人で大氾濫に出て死ぬんだろうなって思ってました」
「だから、なんとか戦えるようになって、ステイシー姐さんに恩返ししたいんです!」
おかしいな、とクランは思った。
「ステイシーのやつには聞かなかったのか?どうしたらいいとか、こうしたらいいとか」
「姐さんには相談しましたが……その、熊なんて殴ったら死ぬだろう?というお答えでして」
「役に立たないな、あいつ……ところであたしには誰か聞きに来ようとは思わなかったのかい?」
自分で言ってしまうのもなんだが、クランはこの戦士団のナンバーツーではないだろうか?
いや、戦士団のリーダーこそステイシーに譲ったからナンバーツーだが、実力としてはナンバーワン……ほぼナンバーワンのあたしに誰も話しかけてこないとかどういうわけ?
クランは話しかけない自分を全力で棚に上げた。
ちょっぴり拗ねていた。
目を逸らし、地味に慌て始めた戦士団の連中を、クランはぎろりと睨んだ。
「クランさんは……なんというかほら。すごいから」
「そう、孤高。そういう言葉がお似合いになる方なので、俺らじゃお近付きになるにはちょっとみたいな」
「孤高の存在みたいなとこありますよね。わかるー」
「……なあ、孤高ってなんだ?おれ学ないからよ」
「とりあえず狐人らしく鳴いてろよ」
「こ、コーン」
「ふむ」
クランは深く頷いた。
孤高ね、孤高。
「まぁ確かに、あたしにはそういうところがあるね?『孤高』のクランと呼ばれたり呼ばれなかったりしてきたよ」
呼ばれたことはない。
「いやでもな?確かにあたしは孤独を愛する女だけど?あーまぁなんだね?それでも孤高を置いて、ちょっとばかしあんたらを手伝ってやってもいいんだぜ?あーでものど乾いたなー小腹すいたなー」
「あ、ありがとうございます!おい、急いで買ってくるんだ!甘いやつな」
「はい!」
「クランさんめっちゃ早口だな、おれ学ないからよくわかんないけど」
「鳴いとけ、とりあえず」
「こ、コーン!」
まぁ確かに?あたしは孤高みたいなとこは確かにあるよね?なるほどなるほど?わかるわー。
お近付きになりにくいとこあるわー。孤高だしなー仕方ないなー。
あー、孤高だけど飲み物とおかし代くらいは面倒見てやんなきゃなー。
「よし、じゃあ『孤高』のクランがお前たちに講義をしてやろう。『孤高』のクランが!」
「……めっちゃ張り切りだしたぞ。大丈夫なのか、このエルフ」
「いやでも、姐さんよりは学あるだろ、エルフだしさ……」
「コーン」
ステイシー戦士団の中で、クランは怯えられていた。
なんだかいつも不機嫌なくせに魔獣と戦っている時だけ、少し笑顔になるのだ。
見ていると同性でも持っていかれそうになる笑顔なのに、時々頭から血を被って笑っている。めっちゃ怖い。
あの細い腕でめっちゃ熊とか殺してる。めっちゃ怖い。
しかも、ステイシーと同等に話すのだ。あの厳つい肩パッドを前に、だ。
クランはよほど恐ろしく、血も涙もない殺戮マシーンのような少女だと思われていたのである。
孤高というより、孤立のクランであった。
「おい、書くもんはあるか?」
「あ、はい!紙持ってこい、紙!」
孤高だけど、実は頼られてるあたし。なるほどね?わかる奴にはわかっちゃうんだよな、やっぱ。
実力者は黙ってても実力が伝わっちゃうんだよなー、やっぱ?
「まず熊には二種類の形態があるのはわかるな?」
なに一つ伝わらないまま始まった反省会だが、戦士団が思っていたよりも真っ当に始まった。
異様に精密なスケッチで描かれているのは、直立して両腕を広げ威嚇する熊と、そして四つ足で走る熊だ。
「めちゃくちゃ絵上手いっすね、クランさん」
「昔教わったんだ。正確な学術は、正確なスケッチからだぜ」
いかなる研究をしていて、いかなる学派に所属していようとも、スケッチの重要性を理解していない学者はいない。
正確な情報を他者に伝えるため、正確に描く必要があるのだ。
クランを構う学者エルフが教え込んだ、普段の生活にも戦闘にも役に立たない技能の一つである。
「というわけで、あたしが戦いやすいのは断然立った熊だ。めちゃくちゃ弱体化する」
「いやでも、俺らじゃぶん殴られると耐えられないんですけど」
「なんで耐える前提なんだよ。相手の攻撃が届く範囲を理解して、きちんと避けろよ。というか耐えられないのがわかってるのに盾持っていくな。装備は相手に合わせて切り替えろ」
「いやでも、クランさんって剣一本じゃ」
「あ?なんか言ったか?」
「こ、コーン」
クランの戦い方は本人は気付いていないが、非常に理屈っぽいところがある。
目標はあの『輝ける』ルディ。見えない頂に挑むため、頭の中でひたすらに考えていた。こうして、こう返されてこう。それとも、とひたすらき思考を繰り返していた。
奇跡にも似た剣筋を前に、自分が都合のいい突然の覚醒するだなんて妄想の中でだってちっとも信じられず、クランはひたすらに届くはずのない手札を並べ替えていた。
そして、クランを構っていたのは老人と学者たちだ。
感性と直感で戦うニアエンシェントでも、老境に差し掛かれば弟子の十人や百人に教えを授け、大抵の者はわかりやすい説明の一つや二つも出来る。
わかりやすいということは、理屈である。
自分の理論を筋道立てた説明が出来ない学者がいるはずもない。
こうして理屈の中で生きていたクランは、本人の性向とは違うところで戦闘に関しては、直感と感性ではなく、あらかじめあれこれ考えてから戦いに挑み、試し、常の手札を拡充することを望む。
挑んだ中でそれらを忘れることは多々あるにしても、だ。
「四つ足が立ってぶん殴りにきても、あいつらの身体はそもそも立つために出来てねーんだよ。腕を振るにしても、四つ足は内側に振るのは出来ても、外に振るのは筋肉の構造的に無理なんだ。もちろん全身で振れば違うだろうけど、そこまで大振りの前兆が見えるなら食らわんだろ。それに立ったまま前に歩くのも、身体のバランス的に相当に難しい。つまり、重心が前に出るストレートはほとんどない」
クランは腰の入ったストレートを放つ熊の絵に、大きくバツをつけた。
さらには裏拳をする熊にもバツがついている。
残った熊の絵は内側に、フック軌道で腕を振る熊の絵と、真上から真下に腕を振る熊の絵、正面に噛み付く熊の絵だ。
身体構造から来る動きの限定範囲など、普段からよく考えていることであり、それを説明することをクランは苦にしなかった。
本当に苦しい時、頼られるのは雑なステイシーではなく、真なる実力者『孤高』のクラン。やっぱそういうことなんだよな。
「ほらな、こうして見ると立った熊ってのは全然、攻撃手段がないんだ。そして、一発避ければ、あとはどうにでもなる。人数がいるんだから、誰かしらは弱点狙えるポジションにいるだろ。さくっとやれ」
「いやでも、必ず立つとは限らないんじゃないでしょうか?」
「相手はケモノだからな。威嚇してやりゃ威嚇し返してくる。剣でも槍でも打ち鳴らしてやりゃいいんだよ。初手を固定して、次に来る対応の限定化。そして、トドメ。な、熊公なんざ簡単だろ?」
「はぁー……なるほど。勉強になります」
「クランさんって頭使ってたんすね。俺と一緒で学がないもんかと」
「あ?」
「こ、コーン」
「お前それだけで押し切れると思うなよ?」
「コーン!」
「お前、それだけで押し切るつもりなのか……」
「ま、まぁまぁ。それで僕たちはどうすればいいんでしょうか……?」
「どうすれば……どうすればってなにがだ」
「あの、エルフさんはあまりご存知ないと思うんですが、僕ら獣人はあまり武術を学ばせてもらえるところがないものでして……。若いうちに英雄候補になるか、それなりの才覚を見せれば師が付けられて教育が受けられるんですが……」
「え、でも狼とかは倒せてただろ?」
「はい、周りのやり方を見てなんとか……ですが、熊を倒せる人たちのやり方って真似しようがないじゃないですか」
タニミチたちは盾で熊の攻撃を防げないが、周りは防げる。返す刀で反撃をする。そして、倒せる。
まぁ確かに真似は出来そうにないな、とクランは納得した。
それと同時にやっぱよくわかんねーな、とも思った。
他種族が妙に獣人を理解し難く思う部分は、奇妙なまでに同族に冷淡なところだ。
冷淡というよりも、才覚を持たない者への無視にも似た淡白さだ。
確かに目の前で転んでいる子どもがいれば、助け起こすことはしよう。
力がなくても気が合う者がいれば、大いに酒を酌み交わすだろう。
しかし、全員に平等に学を与え、武術を学ばせ、魔法を扱わせようとは獣人はちっとも考えていなかった。
確かにどんなに才なき者でも、多少の芸を学ばせれば狼や熊程度なら倒せるようになるだろう。
だが、あのおそるべし大魔獣どもに対して一体なんの役に立つのだ?
最前線に立つ彼らは、部族長たちは、選ばれし精鋭たちは、心の底からそう思っている。
足切りされた者たちへ、死に至るような虐待など、そういう真似を彼らはしない。
必要性がまったくない。無能は自然と淘汰されるのだから。
それどころか例え才覚を示し、英雄と呼ばれるようになったとしても、所詮は獣人という枠の中での話でしかない。
大氾濫の前ではいつか淘汰されるかもしれない自分を、大したものだと心から信じるのはどう考えても無理があった。
同じように淘汰されるべき者と、自分。一体どこが違うのか。
彼らはどこか、ひどく乾いた生き物だ。
「お願いします、クランさん!僕らに最低限の筋道を教えてやってください!」
「お、お願いします!」
クランはそれを知識として知っていた。だが、実際に知ったのは、彼らを前にした今この時だ。
どうする、と思った。
一斉に頭を下げてくる、こいつらを。
武術を教え込むと言っても、一年二年でどうにかなるものではない。
十年二十年とかけて身体に染み込ませるものだ。
無理だ、と真っ先に頭に浮かぶ。
「どうしろってんだよ……」
昨日まで、ついさっきまで、このテントに入る前までは間違いなく切り捨てられていた。
切り捨てた、という意識すら持たずに大氾濫が終われば、旅に出れていた。
その後でタニミチたちがおっ死のうとも、クランにはなんの関係もないことだ。
当然だ。知恵ある生き物がどう生きるのか、それは当人が決めることだ。
その他人の結果をクランが担う理由なんて、あるはずがない。
それはクランにとって何一つ間違いではなく、正しい行いであったはずだ。
今だって正しい行いだと思える。むしろ、ここでだらだらと足を止める方がクランにとって有害だ。
これ以上、北へ踏み込むことも出来ないタニミチたちに足を引っ張られながら、ゆっくりとやっていく?さすがに冗談じゃないぞ。
「……エスプリだって万能じゃねえな、まったく」
しかし、湧いてしまった情の切り方まで、スタンは教えてくれてはいなかった。
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