カメレオン女と口裂け男

デッドコピーたこはち

第1話 マシンガン・カメレオン

「口裂けロージーがなんで口が裂けてるか知ってるか?」

 仲介人の男は着古したスーツの中に押し込まれたビール腹を揺らしながらいった。

 寂れた深夜のダイナーには、仲介人の男とその向かいに座る女以外に客はおらず、鉄製フレームが剥き出しの骨董品接客アンドロイドも暇を持て余しているようだった。

「いや」

 女はかすれた声で答えた。溶接ゴーグルをつけ、革ジャンを着たパンツルックの細身の女だった。女は注文したコーヒーに植物油脂クリームを入れ、マドラーでかき混ぜた。

「昔、ロージーが仲間とつるんでデカい仕掛けをやったのよ。『ウサギ穴』にな。まあ、あの『ウサギ穴』が相手だ。当然失敗して、殿をやってたロージーだけが捕まっちまった。」

「大馬鹿野郎だね。そんな奴がウチカワを殺せる?」

 女がコーヒーを啜った。

「まあ待て。捕まったロージーは『ウサギ穴』の拷問官に口の中にナイフを突っ込まれて、仲間の居場所を吐けって言われたんだ。そして、こう答えた『そんなこと口が裂けても言えやしねえな』って。で、本当に裂かれた。さらに過激な拷問が3日続いた……でもロージーは拷問官に死んだと思われて裏路地に捨てられるまで口を割らなかった。裂かれはしたがな。口裂けはアイツの勲章なのさ」

「フム、信用できると?」

 女は片眉を上げた。

「それを判断するのはアンタだ。私はタダの仲介人だからな」

 仲介人は脂ぎった薄い金髪を撫で上げ、笑った。


「こっちだこっち。こっちだよ!」

 溶接ゴーグルをかけた女がファストフード店の窓際の席で声を張り上げて叫び、大きく手招きした。

 この店は多目的高層ビル「ガビーロールタワー」に構えており、昼食を取ろうとするサラリーマンや複合商業施設目当ての買い物客でごった返していた。他の客は迷惑そうに女を睨むか、距離を取るために席を移動し始めた。

 店内に入ってきたばかりの野球帽を被った大柄な男がそれを見て、女の座っている席に近づき、身を少し屈めた。

「よう、アンタが……ジェシー?」

 本人の前でカメレオン・ジェシーの二つ名を口に出すと激怒するという情報をあらかじめ仕入れていた男は慎重に言葉を選んでいった。

「ジェシー、ただのジェシー。よろしく、口裂けロージーさん?」

「ロージーでいい」

 ロージーは裂かれた跡の残る口角を上げて歪んだ笑顔をつくり、差し出された右手を握って軽く握手をした。

「先にいただいてるよ。アンタもどう?」

 ジェシーは自分の目の前の机に置かれたチーズバーガーとコーラーを指差した。

「そうするかな」

 ロージーはジェシーの向かいに座った。窓の外を見やると、ホバー・カーが高度別に層状に重なった仮想道路に沿って空中で列を成し、高層ビル群の谷間で太陽光を反射させて輝くのが見えた。

「クロレラバーガーと培養牛肉100%バーガーどっちが良い?」

 ジェシーがホログラムのメニュー表を展開させながらいった。

「牛肉」

「なんで?」

「美味いから」

 ロージーは即答した。

「培養肉を食べるのと本物の肉を食べるのどっちが倫理的だと思う?」

 ジェシーがコーラを一口飲んだ。

「ん?まあ……培養肉だろ」

「なんで?」

「生きた牛は……生きてるし、痛みを感じるだろ?」

 ロージーは眉を寄せながらいった。

「じゃあ無痛症の赤ちゃんバーガーと本物の牛肉バーガー、どっちが倫理的?」

 ジェシーは首を傾げて尋ねた。

「待て待て、さっきからずっと何なんだ?アンタ哲学者か?それとも動物愛護主義者か?そうでなきゃ、道徳観テストでもしようってのか?俺は仕事の話だって聞いて来たんだぞ」

 ロージーは声を荒げて立ち上がったが、周りの客たちの視線を集めていることに気づき、席に座りなおした。

「ある程度価値観が一緒じゃないと仕事もできないでしょ?面接みたいなものだよ」

 ジェシーは平然とした顔でチーズバーガーを一口食べた。

「で、この面接はいつまで続くんだ?スーツ着て履歴書でも書いて来た方が良かったか?」

「いや、もういい。大体わかった」

 チーズバーガーをコーラで流し込んでいった。

「採用」


「命を弄ぶのは……楽しい!それはいつの時代でも最高の娯楽でした……我々は類人猿特有の知性と残酷さを併せ持っています。この二つを同時に思うがままに発揮したいというのは極自然な欲求でしょう。ですが最近は……倫理がどうの正義がどうのと……不自由です!」

 ビジネススーツに水玉のネクタイを締めた小柄な小太りの男が壇上に立ち、身振り手振りを交えながら、ガビーロールタワーの最上階にあるパーティホールに集まった顧客たちに語りかけていた。会場は照明が落とされ、スポットライトだけが男を照らしていた。

 男の名はウチカワ・コーゾーといい、生命科学分野の先端企業、オミ・バイオテック社の第2営業部長であった。

「原始的な欲求を満たす事を恥とし、まやかしの価値観に覆われたこの世界で、真実を求めるのが我が社の社是でございます」

 ウチカワは芝居がかった大仰な礼をすると、

「かけがえのない命を気ままに操る時……最高の快楽が生まれるのです。今夜はお客様にもこの快楽を是非味わっていただきたい!」

 ウチカワは一段と語気を強めた。

「高い所から長々と失礼致しました。まず食事の方をお楽しみいただき、その後改めまして弊社の商品についてのご説明をさせていただきたいと思います。ご静聴ありがとうございました」

 ウチカワが降壇するとスポットライトは消え、客席の照明が再点灯し、食事が運ばれ始めた。


 ジェシーとロージーはウチカワがスピーチを打つ様子をパーティーホールの高い天井に張り付きながら見ていた。

「もし『見られたら』相当なマヌケだよな俺たち」

 ロージーは囁いた。

 ジェシーとロージーは警備が厳重なオミ・バイオテック社の新規顧客獲得パーティに侵入する為、パーティ開始の前日に会場へと侵入していた。二人は分子間力調整繊維製の手袋とハーネス、光学迷彩マントを身につけてヤモリの様に壁から這い回りながら天井まで移動し、一晩中待機していたのだ。

 客を呼び入れる前段階で会場は徹底的に探査されたが、二人が発見されることはなかった。天井まで探索しないことは、ジェシーの念入りな事前調査で分かっていたことだった。

「あれ、本物の肉を使ってる。生きた牛を殺して取った天然肉だ。なんでそんなものわざわざ使うかわかるか?」

 ジェシーは声をひそめて言った。

「そっちの方が美味いからか?」

「違う。今の技術なら完全に管理された培養肉の方が天然肉より安くて美味い」

「じゃあ、なぜ」

「そっちの方が『楽しい』からだよ。倫理的で合理的な培養肉より、生きた牛を殺して食べる天然肉の方が命を犠牲にしてる分『楽しい』んだ。そういう奴らなんだよ、こいつら」

 ジェシーは吐き捨てるようにいった。

「なるほど、生命凌辱主義者の集会か」

 ロージーは改めて客たちを観察した。客たちは老若男女様々であり、各々正装に身を固めていた。彼らには総じて佇まいにすら品があり、ここにいる全員が命を無意味に消費する事を楽しむ人格破綻者とはとても思えなかった。

「こいつらどういう連中なんだ?」

「とにかく暇と金を持て余した奴ら。成金に大企業の御曹司、名家のご令嬢とか、いろいろ。あらゆる娯楽に飽きちまって、もう一番刺激の強いのしか楽しめない連中」

 ロージーはジェシーの顔色を伺おうとしたが、光学迷彩マントによって顔どころか姿すら確認できないことに改めて気付いた。

「見ろ、あの今扉から入ってきたウェイターたち。だ。ウサギ耳が付いてるぞ」

 亜人とは遺伝子操作により動物的特徴を持つ愛玩用人間の事である。亜人は純粋な人間よりも身体能力は高い場合が多いが、ほとんどの場合何らかの方法で服従を強いられている。

 ロージーは会場の出入り口を見た。料理がカートに乗せられ、次々と運び込まれてくるのが見えた。ジェニーの言う通り、カートを押している配膳係は人間の丸い耳の代わりに長いウサギ耳が付いており、フォーマルなパーティには似つかわしくないバニースーツ姿であった。

「もしかして『バニー』ガールって事か?そんな事のためだけに……彼女らを?」

「『造った』。このくだらないジョークの為に。今配膳させる為だけに」

 ロージーは亜人というネーミングに含まれた侮蔑的ニュアンスを改めて理解し、おぞましさに身震いを起こした。そして、今自分が光学迷彩マントに包まれている事を感謝した。


 前菜の配膳が完了し、食事が始まった直後に、ウチカワが犬耳を生やした少女を引き連れ、再び壇上に現れた。少女は栗毛の髪にティアラを刺し、煌びやかな白いドレスと装飾品で着飾っていたが、首には黒い首輪が付けられており、おどおどと周りを見回し、震えていた。

「お客様方、ちょっとした余興をご用意致しました。食事をしながらで結構!」

 ウチカワが少女の両肩に手を置いていった。

「きみの名前は?」

「アンバー……」

 少女が犬耳を伏せながら答えた。

子犬パピーのアンバー!さあ、お客様にご挨拶をしてください」

「よ、よろしくお願いします」

 アンバーは深く頭を下げた。

「アンバー、きみにはちょっとしたゲームをしてもらいたいんですよ」

 ウチカワが懐から野球ボールを取り出した。

「簡単です。このボールを今から投げるので……取ってきていただきたいのです。30秒以内にね」

「それだけで良いんですか……?」

「そう、それだけで良いのです。上手くできたらご褒美をあげますよ。できなかったら……罰ゲームです!」

「……わかりました」

 アンバーは頷いた。

「さあ、この犬耳の少女、アンバーは30秒以内にこのボールを私のところに持って帰ることがでしょうか?皆さま予想してみてください!」

 ウチカワがボールを持ち、振りかぶった。

「いきますよ!そーれ!」

 ウチカワが客席の方向へとボールを投げた。投げられたボールは床を何度か跳ね、客席の間に転がった。

 アンバーはボール目掛けて全力で走った。高いヒールを履き慣れていないアンバーは時々つまずきながらも、5秒足らずでボールの元へと辿り着き、素早く屈んでボールを取ろうとした。

「あっ……あれ?」

 アンバーが何度ボールを取ろうとしても、その手は虚しく空を切った。磁石が反発するように、意志に反して手はボールと一定以上の距離を保とうとする。手をボールへと近づける事ができないのだ。

 そうしている内に無慈悲にも時間は過ぎていった。

「あと10秒!9……8……7……」

 ウチカワがカウントダウンを始めた。

「なんで……なんで!」

 アンバーは半狂乱となり、もはや叩き付けるように両腕をボールへと振り下ろしていたが、ボールに触れる事すらできないでいた。

「6……5……」

「!」

 不意に、アンバーの振り下ろした右手がボールに触れた。アンバーはすかさずボールを掴み、ウチカワの待つ壇上へと駆け出した。

「4……3……」

 アンバーは壇上へと手をかけ、よじ登ろうとした時、ガクリと両腕が突然力を失ったように崩れ、壇下へと落ちてしまった。

 客たちは落下の痛みに耐え、無様に転がるアンバーを見て、嗤った。

「2……1……ゼロ!」

 会場にブザー音が鳴り響いた。

「残念!実に惜しかったですねぇ。」

 2人のバニーガールが倒れていたアンバーを立たせ、壇上へと引き連れて行った。

「約束の罰ゲームは……電気ショックですよ!」

 ウチカワは懐から赤いスイッチを取り出した。

「やめて……」

「それ、ポチッとな!」

 ウチカワがスイッチを押すと、アンバーの首輪から電流が流れた。

 アンバーは倒れ込み、首輪を掴みながらのたうち回った。

「あああああっ!!!」

 一度、絶叫と共に背筋をその背骨が折れんばかりにのけ反らせると、アンバーは静かになった。気絶したのだ。 その姿を見た客たちは手を叩いて笑いだし、歓声が沸き上がった。


 ロージーは隣でジェシーの怒りが膨れ上がるのを感じた。

「おい、待て!」

 光学迷彩マントをはためかせながら天井から落下したジェシーは、ビロードの赤絨毯へと猫のように着地した。

「ウチカワ!戻って来たぞ!」

 ジェシーが2丁のサーマル・サブマシンガンを腰のホルスターから抜き、ウチカワに向けて引き金を引いた。2丁のサブマシンガンの銃口から弾丸が飛び出し、青紫のプラズマ炎が噴き出した。電気パルスによってプラズマ化した導体の相転移に伴う爆発的な体積変化が、弾丸を押し出したのだ。超音速まで加速された弾丸がウチカワに迫った。

 壇上に上がっていたバニーガールの一人の足が本人の意思とは関係無く動き、射線上に飛び出した。ウチカワの盾となったバニーガールが、代わりに超音速の弾丸を受けて地面へと落ちる頃には、彼女は物言わぬ肉片へと変貌していた。

 客たちが悲鳴をあげ、出口へと駆け出した。

「お客様!誘導員に従って避難を!心配ご無用。闖入者にはわが社の屈強な警備員が対処致します!」

 ウチカワはアンバーの首輪を掴んで引き寄せ、盾にしつつ、警備員に指示を飛ばした。

「お客様が避難するまで銃は使うな!流れ弾が当たる!」

 会場に待機していた下級警備員が一斉に反応した。

 オミ・バイオテック社の実務に当たる下級警備員のほぼ全員が、多重債務者や身寄りのない貧乏人に生体強化と肉体機械置換処理を施した「蟻」と呼ばれる自我を失ったサイボーグである。彼らに死の恐怖はない。

 下級警備員たちが電撃警棒の出力調整つまみを「致死」に合わせ、ジェシーへと迫った。

 ジェシーは迫る下級警備員たちを見て、溶接ゴーグルを引きちぎった。ジェシーの両目は異様に大きく、眼窩に収まりきらずに外へと飛び出しており、瞼辺りの皮膚が鱗に覆われていた。ロージーは何故がウチカワを殺したがっているのかを理解した。カメレオン・ジェシーの名は伊達ではなかったのだ。

 下級警備員がジェシーの右から一人、左から一人飛びかかってきた。

 ジェシーが両腕を広げると、右目が右腕に、左目が左腕に追従するように90°動き、左右の警備員の頭へと同時に両手のサブマシンガンの照準を合わせた。引き金が引かれると、2人の警備員の頭部が同時に吹き飛んだ。

「来い!」

 ジェシーの右目が更に右へ動き、右後方から走り込んでくる警備員を捉えた。ジェシーは振り返らずに右手だけを後方に向けて、撃った。

 弾丸が下級警備員の心臓を撃ち抜いた。

 ジェシーの左目が更に左を向き、左後方から走り込んでくる警備員を捉えた。。ジェシーは振り返らずに左手だけを後方に向けて、撃った。

 弾丸が下級警備員の頭部を撃ち抜いた。

 ジェシーの視野は最大で275°であった。四方八方から襲いくる警備員達をジェシーはさながら踊る様に迎え撃った。


「先走りやがって……」

 ロージーが天井に張り付いたまま頭を悩ませていると、異様な人影が会場へと入ってきた。その警備員は中世騎士のプレートアーマーのようなかつて都市間戦争で使われた重装備に身を固めており、その黒い装甲の狭間から見える肌は灰青色の鱗に覆われていた。

「重サイボーグ兵か?まずいぞ……」

 ロージーは舌打ちし、腰に提げた前装単発式のグレネードランチャーに一度手をかけたが、持ってきた対人榴弾では歯が立たないだろうと思い直した。対自律戦闘機械用に開発された装備は並大抵の防御力ではない。本来の計画では戦闘を最小限にし、ウチカワ殺害の後は素早く撤退する予定であった為に、強力な武装はしていなかったことをロージーは悔いた。


 重装備の上級警備員は腰にさげた超振動マチェーテを抜いて地面を舐めるように姿勢を低く保ち、ジェシーへと走った。突進してくる重装備の上級警備員に気づいたジェシーは即座に振り向き、弾丸を叩き込んだ。頭部へ命中した弾丸はハウンスカル・バシネットめいたヘルメットに全てはじかれ、火花を散らすだけに終わった。上級警備員はジェシーを射程に収め、闖入者を両断すべく超振動マチェーテを横なぎに振るった。剣筋を見極めたジェシーは高く跳躍して斬撃を躱し、突進してくる上級警備員を飛び越して着地した。

 上級警備員はジェシーを通り越したことに気づき振り返ると、超振動マチェーテを上段に構えなおした。

「のろまめ、ちゃんと狙え」

 ジェシーは挑発し、両腕のサブマシンガンの照準を相手に心臓に合わせた。だがこの行動が無意味であることを理解していた。今ジェシーの持っている武器では相手の装甲を破壊出来ない。また、重サイボーグの近接攻撃はそう何度も躱せるものでもない。ジェシーの額から一筋の汗が流れた。

「がああ!」

 突然、上級警備員が左肩を抑えてもがき始めた。光学迷彩マントがはらりと床に落ちると、重装備の上級警備員の真後ろに立つロージーが超振動ナイフを装甲の隙間から深々と突き立てているのが見えた。

「どうだ、良い切れ味だろ?」

 ロージーが突き立てた超振動ナイフを思いきり捻ると、血が噴き出した。


「ネズミ風情が仲間を連れてちょろちょろと……」

 舌打ちしたウチカワはアンバーを盾にしつつ、会場の従業員出入り口から会場の外へと退避し始めた。

「行け!ウチカワを逃がすな!後から追いつく!」

 ロージーはジェシーへと激を飛ばした。上級警備員はその隙を見逃さずひじ打ちを背後のロージーへとかました。ロージーは堪らず身体をくの字に曲げて、せき込んだ。

「ここは任せた」

 そう言い残すとジェシーはウチカワを追いかけ、従業員専用出入り口から会場を出た。

 上級警備員は肩に突き刺さった超振動ナイフを引き抜いて床に投げ捨ると、右手だけで超振動マチェーテを構えなおした。ロージーが周りを見回すと、客たちはほとんど避難を終えており、多数の下級警備員にも囲まれていることに気づいた。

「さて、どうするかね……」

 ロージーは口を裂かれた跡を口内から舌でなぞった。


 従業員専用出入り口を出て、通路を道なりに進んでいくとそこは厨房であった。出されるはずだった料理が調理途中で放棄されており、料理人たちが急いで逃げた様子が見て取れた。ジェシーは倒れ込みシンクに肩を寄せているアンバーを見つけた。

「ウチカワはどこへ?」

「あっち……」

 アンバーは背後の扉を指さした。ジェシーはすぐに扉へと駆け出そうとしたが思いとどまり、革ジャンの胸ポケットからバタフライナイフを取り出した。

「動くなよ」

 アンバーは体をまるめて小さくなり、俯いて震え出した。ジェシーはアンバーが付けられていた首輪を慎重に切断し、投げ捨てた。アンバーは驚いて目を見開き、首をさすった。そこには電撃による酷い爛れが見て取れた。

「今なら混乱に乗じて、そこの物資運搬用エレベータから外に出られるはずだ。今のうちにできるだけ遠くに逃げるんだ。奴らの制御装置の高周波はそう遠くへは届かない。その後は、自分の運を試せ。無責任ですまないが……私はウチカワを殺さなくちゃならない。」

 アンバーは俯き、耳を伏せた。だが意を決したように顔を上げていった。

「名前を聞かせてくれませんか?」

「私か?私はジェシー、ただのジェシーだ。アンバーだったな?生きていればまた会うこともあるだろう」

 ジェシーは立ち上がり、アンバーの指さした扉へと移動した。

「じゃあな」

 ジェシーは振り向いてウインクをし、立ち去った。


 扉の向こうは常温で保存できる食材の貯蔵室であり、壁際の棚にはダンボール箱が堆く積まれていた。ジェシーがダンボール箱できた谷間を進んで行くと、行き止まりで息を切らして膝に手を当てているウチカワを見つけた。

「いや、運動不足ですね。改善しなければ」

 ウチカワが荒い息をついた。

「運がなかったな。ウチカワ」

「そうとも限りませんよ?」

「地獄でも強がってろ。この外道が」

 ジェシーはウチカワへと2丁のサブマシンガンの照準を合わせ引き金を引いた。

「……?」

 何度引き金を引いても弾丸は発射されず、弾詰まりかと疑ったジェシーが右手のサブマシンガンを調べようとしたとき、首から下が自分の意思で動かせない事に気づいた。

「なんで……」

「良い仕事をする為には、良い私生活が必要です。つまり……質の高い娯楽が」

 ウチカワはスーツに付いた埃を払い、乱れた髪型を整えた。

 ジェシーの顔が絶望に染まった。

「その顔が見たかったのです」

 ウチカワは口角を裂けんばかりに釣り上げた。


「辱められる為だけに生まれた生命……それが亜人です。あなたも例外ではない。」

 ウチカワは後ろ手を組み、金縛りにあったように動かないジェシーの周りを歩いていた。

「自分が……特別だと思いましたか?自分には亜人制御装置が効かないと?自分だけは自由だと?」

 ジェシーの目だけがウチカワを追った。

「私を殺せると、本当に思ったのですか?本当に?」

 ジェシーの周りを一周したウチカワは、触れんばかりに顔をジェシーに近づけ、片眉を上げた。

「実に哀れですね。そして……面白い!」

 ウチカワは声を上げて笑い出した。

「弊社が提供したいのはこれなんですよ!これ!相手の人生を丸々無価値だと突きつけた時の爽快感!命を自分の娯楽の為だけに使うこの昏い喜び!最高です!」

 ウチカワは更に大きな声でしばらく笑い、思い直した様に咳払いした。

「んんっ、失礼しました。あなたの人生は無価値ではありませんでしたね。私を楽しませ、弊社の新顧客獲得の一助となったのですから。立派なものです」

「なにを……」

「なぜ最高経営責任者ではなく、営業部長でしかない私に復讐心を抱いたのか。疑問に思ったことはありませんか?あなたが脱走したあの日、見張りが少なかったことも?植え付けられた人工の復讐心。全て仕込まれたことだったということです。あなたの脱走も、今日私に復讐しにくることも。」

 ウチカワはクククと笑いをこぼした。

「人は危機を感じた時、安心しようとします。死ぬのは、虐げられるのは自分ではな

 いと思いたがる……つまり、奴隷を欲するのです。亜人をね。今日このパーティにこられたお客様は無意識的に亜人を欲し、実際、手に入れるでしょう。新顧客獲得お疲れさまです」

 ウチカワがジェシーの肩を叩いた。

「自身の娯楽を得て、社に貢献する。正に一石二鳥!まあ当然リスクはありますがね。しかし、この街ではリスクを取らずに成功は有り得ない」

 ウチカワがジェシーの背後で歩みを止めた。

「今まで私の思い通りによく生きてくれました。そして、死んでください」

 ウチカワは右手の袖に隠した亜人制御装置をジェシーに向けた。


「これも思い通りか?」

「!?」

 耳元でささやかれたウチカワは驚き、振り向いた。

 ロージーの超振動ナイフがウチカワの右腕を前腕の中程で切断した。

「俺の事を忘れてたか?ウチカワ!」

「おぁあああっ!」

 ウチカワは左手で右腕の切断面を抑えて叫び、うずくまった。手のひらから零れ落ちた大量の血がコンクリートの床に滴った。

「正直ショックだぜ。俺の顔そんなに特徴ないかな?」

 ロージーは口を裂かれた痕を人差し指でなぞりながらいった。

「お前――」

 ウチカワがロージーを罵ろうと顔を上げた。その瞬間、超振動ナイフが素早く、滑らかに動き、ウチカワの鼻を削いだ。

「ハァ、ああっ!」

 ウチカワは右腕の切断面を抑えていた左手を無くなった鼻の跡へと動かした。

「動けるか?ジェシー」

 ロージーはウチカワの右手を切断したと同時に倒れ込んでいたジェシーへと手を差し伸べながらいった。

「遅すぎる!ビビって尻尾巻いて逃げたのかと思ったよ」

 ジェシーはロージーの手を掴み、立ち上がった。

「そうしようかとも思ったがな」

「この野郎」

 ジェシーはロージーのわき腹を小突いた。

「ウウウ……」

 ウチカワが自分がつくった血だまりの中で蹲りながら呻いた。

「こいつはどうする?ほっといても――」

 死ぬと思うがとロージーが良い終わる前に、ジェシーが一歩踏み出した。

「いや、私にやらせてくれ」

 ジェシーはウチカワの後頭部へと右手のサブマシンガンの照準を合わせた。

「報いを受けろ。クソ野郎」

 ジェシーは引き金を引いた。


 ジェシーとロージーの二人は貯蔵室を後にし、ビルの屋上駐車場に待機させているホバー・カーを目指して廊下を走っていた。。

「良くあの甲冑野郎を始末できたな。凄いぞ」

「いや、それが……」

 ロージーが言いよどんだ。その時廊下の曲がり角から大勢の下級警備員を引き連れた重装備の上級警備員が現れた。ジェシーとロージーはとっさに柱の陰へと隠れた。

「始末できてないのかよ!」

 ジェシーは声を抑えながら身振り手振りを交えてロージーを責めた。

「倒せる訳ないだろ!煙幕撒いて逃げただけだ。」

「どうする?」

「プランBで行く」

「あれは正気じゃない……」

「でもやるしかない」

 ジェシーは深くため息をつき、ロージーのハーネスと自分のハーネスをロープで結びつけた。

「お前と二人三脚なんてしたくなかった」

「お前が最初に先走ったのが悪いんだ。行くぞ!」

 ロージーはグレネードランチャーに煙幕弾を装填し、警備員たちへ向かって撃った。煙に巻かれた警備員たちはそれでも2人の方向へ銃を乱射した。

「走れ!走れ!」

 ジェシーとロージーは弾丸が耳元を掠めるのを感じながら、警備員たちとは逆方向に走った。ロージーは走りながらグレネードランチャーに対人榴弾を装填し、突き当りの壁へと打ち込んだ。爆音とともに壁に大穴が開いた。大穴からは強いビル風が吹き込み、立ち並ぶ高層ビルの電灯や広告看板が闇夜を照らしているのがみえた。

 ロージーはグレネードランチャーにグラップル弾――このために特注した―を装填した。

「飛べ!」

 ジェシーとロージーは同時に大穴から飛び出し、ジェシーはロージーにしがみ付いた。2人は地上から約300 mの空中に投げ出され、自由落下を始めた。

 ロージーが下を見ると、ホバー・カーが高度別に層状に重なった仮想道路に沿って空中で列を成し、高層ビル群の谷間でライトを輝かせて走っているのが見えた。ロージーはちょうど下を通り過ぎようとしている無人ホバー・トラックにグレネードランチャーの狙いを付け、引き金を引いた。グレネードランチャーから三本の爪のようなグラップリングフックが射出され、無人ホバー・トラックの天井に突き刺さった。ロージーがグラップリングフックのワイヤーを絶妙なタイミングで巻き取り始めると、ジェシーとロージーはワイヤーに引かれて円弧を描くように緩やかに落下し、無人ホバー・トラックのぶら下がるように落ち着いた。無人ホバー・トラックは何事もなかったようにそのまま仮想道路を走行していった。


 ジェシーとロージーは無人荷物集積基地の近くの路地に置いてあるゴミ箱の上に座り、朝日が昇るのを眺めていた。ジェシーは大きな瞳を眩しそうに細めた。

「まさかこんなに働いてくれるとは思わなかった」

 ジェシーが笑いながらいった。

「ジェシー、一つ聞いていいか?」

 ロージーが尋ねた。

「内容による」

 ジェシーは腕を組んだ。

「なんで俺を雇ったんだ?他にも傭兵はいくらでも居ただろ」

「フム、『口裂け』の逸話がなかなか良かったからね」

「……あの話には一つ嘘がある」

 ロージーは苦い顔を俯かせていった。

「嘘?」

「俺は最後には……拷問に耐えかねて吐いちまったんだ。仲間の名前から居場所まで全部」

「ほう」

 ジェシーは片眉を上げた。

「あの噂は俺が流したんだ。そしたら、俺の『口裂け』の逸話を聞いた仲間の生き残りが怒り狂って俺を殺しに来るだろう?名が売れて、俺の逸話を耳にする奴が増えれば、その可能性は高くなる。俺はそれを……ずっと待ってるんだ」

「それで、何故その話を私に?」

「わからない……何故か話したくなった」

「そうか」

 ジェシーは立ち上がって大きく伸びをした。

「また連絡する。やらなきゃいけない事がまだまだあるしね」

 ジェシーはロージーの肩を叩き、歩き始めた

「ああ……!」

 ロージーは俯いていた顔を上げた。

「待ってる!」

 ジェシーは一度だけウインクをすると振り向かなかった。ロージーは朝焼けに消えて行くジェシーに手を振り続けた。

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