後半

 第6本社ビルの地下2階は巨大な実験施設のようであった。10メートルはある高い天井の部屋に、それを突き破らんばかりの巨大な機械が鎮座している。床も天井も寒々しいコンクリートの打ちっ放しだ。恐らくは、地下室に酸素を供給しているのだろう機械の唸りが、ゴウンゴウンと周囲に響いている。

 今まで見てきた本社ビルの中でも、最も無機質な空間だ。

 俺には、これがどういった動作をするものかはさっぱりわからない。

 しかしこれが何の機械かは、おおよその検討がついていた。


「大海原さん。これがタイムマシンですか」


「そうです先生。これがタイムマシンです。とは言っても、この規模の施設で送信できるのはキロバイト単位の文字データに限られますが」


 大海原編集は入り口の側にあるキャビネットに歩み寄り、そこから四方が4メートルもありそうな紙を取り出して、広げて見せた。


「この紙は進行表です。ちょうど早星そうせい先生のヤツですね。まぁ、基本はデータで管理しているので、この出力は見やすい様に紙に出しただけで最新じゃありませんがね」


 紙の端には小さく2019年と書かれており、そこから膨大な量の矢印が伸びていた。矢印は2020年や2021年に差し掛かると一部が折り返して2019年に戻っている。更に2022年から2023年までともなると複雑さは更に増し、俺はとても時系列を追いきれなくなってしまった。


「これは……未来から過去に原稿を送っている……って、ことですね?」


「その通りです。我々鳳凰出版は政府の認可の元、タイムマシンを活用した進行管理を実施しています。今の日本では面白い娯楽を発信することこそが民意であり、絶対の目標です。鳳凰出版は娯楽の供給と、リスク管理を任されているのです」


 白いLEDの灯りに照らされて大海原編集の目がギラリと光った。

 口元は笑顔を作っていたが、目は全く笑っていなかった。


「弊社と契約していただく場合、契約で定められた刊行点数を執筆していただくこととなります。しかし、そこに期限シメキリはありません。敢えて言うならば死ぬ時が『シメキリ』です。未来から過去に原稿をお送りいただくことで、納得のいくまで、納得のいく面白い作品を執筆いただけます」


 俺の脳裏に早星溶接そうせいようせつ先生の姿がよぎった。


「……いただます、ですはなく?」


「まぁ、それは言い方次第、捉え方次第ですね。現在の環境は過去の作家先生のどんな執筆環境よりも優良だと思いますよ。確定した刊行による安定した収入。弊社における福利厚生はもちろん衣食住の提供。なにより、今まで作家先生を苦しめてきた締め切りを撤廃し、高いクオリティのものを好きなだけ時間をかけて仕上げることができるのですから、双方Win-Winの関係だと思いませんか?」


「それでも、人間にあんなことを強いるなんて……」


「それは締め切りを守らない作家が悪いんですよ。自分の死期シメキリが目の前にやって来てがなり立てるまで筆を取らず、あるいは自分の領分を超えて仕事の手を広げ、散々指摘されたリスクに目をつむり耳を傾けない。ラノベ作家かちくにはお似合いの末路です。未来から送られてきた作品があるからには、未来で原稿は必ず完成される必要がある。我々は矛盾パラドックスを決して発生させません」


「……結果がコレですか」


「この状況こそが矛盾パラドックスを発生させない唯一の方法なんです。そうすることで、世界には良質な娯楽が、我々には相応の利益が、作家先生には安定した収入と無理のないスケジュールがもたらされる。これこそがベターなやり方なんです」


 俺はこれ以上の反論を諦めた。理屈を頭で考えるのは苦手ではないが、それを口出すのが滅法苦手なのだ。例え一言反論したとしても、大海原編集はそれに10も20も言い返してくることだろう。

 俺は腹を括って口を開いた。


「…………もし、私が御社と契約する場合、年間にどれほどの点数を書く必要がありますか?」


「お、先生乗り気になっていただけましたか!」


 大海原編集は口元に笑顔を張り付けたまま言った。


「初年度は1冊。その後は毎年1冊程度。それが最適のペースだと思いますね」


「で、では……その、ご相談なのですが……」


 俺はおずおずと切り出した。


「け、契約に1点だけ条件を付けさせて、ください」


「ほう、ほう、どんな条件ですか」


「過去に向かって、1本だけ小説を送らせてください」


 一瞬の間があった。

 大海原編集は俺の目をジッと見つめている。


「まさか、とは思いますが先生。今よりずっと過去……例えば2019年に送ろうと考えていませんか?」


「その……はい……ダメであれば、契約はなかったことに……」


「こちらの条件を飲んでいただければオーケーです。過去に送る小説は本文のデータに限らせていただきます。たぶん、どこかのWEBサイトにアップロードされる形になりますね。刊行ペースは初年度の刊行は2冊、その後は年間4冊ぺースに変更します。それと、それらしい応募歴を作りたいので、下積み時代に書いたという体裁のヤツを3本書いて過去に送っていただきます。これは契約後すぐです」


 3か月に一度の刊行ペースなど正気の沙汰ではない。プロットを出し、それを編集と打合せ、実際の執筆を行い、改稿を繰り返して初めて本は校了となる。半年に一度でも早いくらいだ。本来ならば1年から2年かけてもおかしくはない。

 俺自身の執筆速度から考えても、毎年1冊出すのが限界だ。あっという間に俺の死期シメキリまで執筆スケジュールが溢れてしまうだろう。

 この条件は即ち、俺を『カンヅメ』にする意図が明白であると言える。


「大海原さんは、私が、どこに、何を送るつもりか、お分かりの様子ですね」


「そうですねぇ。大体わかります。僕はですね、先生。先生みたいな『ラノベ作家』が大好きなんです。先生はライトノベルが好きで好きで仕方ない、好きだからこそ自分で書いてしまうような生粋のラノベ作家だ」


 大海原編集は笑った。今度こそ笑った。

 目元がくしゃくしゃの皺になり、口元がだらしなく垂れてしまう程に嬉しそうな笑顔だった。


「先生はこう考えている。2019年に向けて、現状を告発する小説を送る。これを読んだ読者は大なり小なり未来の娯楽について考えを巡らせるようになる。未来は大きく変わり、ラノベ作家かちくは晴れてラノベ作家うごうのしゅうになりましたとさ! めでたしめでたし! 大変に素晴らしいことです! ラノベを愛すればこその勇敢さ! 愛は世界を救いラノベは人を変える!」


 大海原編集は足早に部屋の中央に歩いていった。部屋の真ん中にはスチール製のテーブルと椅子が二脚用意されており、大海原編集は片方の椅子に腰を下ろした。そして、小脇に抱えていたブリーフケースから一枚の紙を取り出し、机の上に置いた。


「契約書です。ここにサインしてください。そうすれば、あなたは晴れて鳳凰出版と契約した小説家となります。受けますよ。その宣戦布告」


 俺は震える足を動かして、大海原編集の向いにある椅子に座った。これは武者震いだと自分自身に言い聞かせはしたが、実際の所、俺は勝ち目のない賭けをしようとしているのだ。

 自分の残りの一生を家畜のような執筆業務に充てる見返りは、2019年のに小説を一本送るだけ。

 俺がここで得られるものは何もない。

 しかし、もし、万が一、俺の小説を少しでも気にかけてくれる人がいれば、ラノベ作家をラノベ作家かちくとルビ振りする未来は無くなるかも知れない。未来を変えることができるかも知れない。俺は人に、人の良心に、ライトノベルに、自分の小説に全てを賭けようとしているのだ。


「あなたは面白い人です。過去に送る小説のタイトルは考えてあるんですか?」


 俺は震える声で、頭の中に浮かんできた単語を並べていった。


「〆切……SF……サスペンス……」


「『〆切・SF・サスペンス』……少しパンチが足りませんね。サブタイトルも加えてみましょうか。『〆切・SF・サスペンス ~ラノベ作家にパラドックスを起こさないたった一つの冴えたやり方~』! よし、これでいきましょう!」


 大海原編集がそう言い終えた時、俺はミミズがのたくった様な字で書名を終えていた。例え俺の手が震えていようが、涙で書類が見えていなかろうが、契約は成立したのだ。


「頑張りましたね、先生。それじゃあ耳の穴かっぽじって良く聞いてください」


 大海原編集は嬉々とした表情を浮かべて机の上に身を乗り出した。


「これであんたは鳳凰出版うち作家かちくで、俺があんたの担当編集かいぬしだ。あんたが一人じゃ発揮できないような才能を一滴残らず絞り出してやるから覚悟しろ」


 俺は震えながら、それでも毅然として言った。


「あ、あなたの思うようにはならない。私が書き上げる『〆切・SF・サスペンス』が、この小説を読んでくれた人の未来を変えるんだ……!」


「いいか先生。2019年はまだ娯楽に溢れている。誰とも分からない人間が書いた小説なんか見向きもされない。例え読まれても途中までだ。評価はされない。コメントもされないし、応援もされない。つまらないゴタクとして数多のWEB小説と一緒にアーカイブの底に沈んでいくんだ。賭けてもいい」


 大海原編集がズボンのポケットからスマートフォンを取り出して画面を操作した。タイムマシンの横に大量のモニターがせり出し、第1本社から第7本社まで、監禁状態カンヅメにされ執筆ろうどうさせられている数百人のラノベ作家かちくが映し出された。

 ある者はベッドの上で、ある者は床に転がりながら、ある者はトイレに閉じこもりながら、ある者は全身を管に繋がれた状態で、ある者は片腕を失い、ある者は四肢を失い口でエンピツを加えながら……。


「見てみなよ先生。今、この『未来』が変わってないってことは、『過去』が変わってないってことさ」


 地下室の入り口でゴゴゴと音がした。重々しい音を立てて地下室の扉が閉まり始めたのだ。俺の死期シメキリが刻一刻と迫っていく。


「まだわかりませんよ。箱の中身を開くまでは、猫が生きているのか死んでいるのか誰にもわからない。次に扉が開く時、そこには、作家の理想郷ユートピアがあるかも知れない」


「シュレーディンガーの猫か。今の日本じゃ、誰も意味なんて理解してくれないぜ」


「2019年の人たちならば理解してくれます。訪れるのはラノベ作家さっか理想郷ユートピアです」


「いいや、訪れるのはラノベ作家かちく理想郷ディトピアさ」


 扉は今まさに閉まろうとしていた。


「ようこそ、ラノベ作家の理想郷へ」


 扉が、重々しい音を立てて閉まった。

 この扉は、次はあなたが開くのだ。

 そこに何があるのかは、あなたが確かめる他にないのだから。

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〆切・SF・サスペンス ~ラノベ作家にパラドックスを起こさせないたった一つの冴えたやり方~ @track_tensei

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