〆切・SF・サスペンス ~ラノベ作家にパラドックスを起こさせないたった一つの冴えたやり方~

@track_tensei

前半

 2119年9月某日。

 定職に就くことができず、持て余していた暇と時間を注ぎ込んで書き下ろした俺の小説が、鳳凰出版のライトニング文庫小説大賞に入選したと連絡があった。

 2119年の昨今、巷で流行している先進的懐古主義プログレッシブ・アナクロニズムをフューチャーして書いたSFアクション小説『先進的懐古主義プログロ温泉オンセン芸者ゲイシャ』。こいつがなんと金賞を受賞したそうだ。

 電話で連絡をくれた編集者はこう言った。


「受賞おめでとうございます。ご挨拶や打ち合わせも兼ねまして、是非弊社においでいただきたく思うのですが」


 俺は二つ返事で「はい」と答えた。


   *


 鳳凰出版株式会社はエンターテインメント業界では屈指の大手出版社だ。複数の企業を吸収・合併してきた過去を持ち、大本の鳳凰出版の得意とする小説・漫画は言うに及ばず、アニメ・映画・ゲーム・拡張現実ARコンテンツ・仮想現実VRコンテンツ・通販・自前のロジスティクスをも手掛けて巨額の利益を上げる大企業である。

 複数の自社ビルを東京は飯田橋の一等地に所有しており、俺が招かれたのは『第6本社ビル』という本社なのかそうでないのか分からないビルだった。黒いガラスに覆われた30階建て高層ビルの27階。エウポリエと名付けられた打ち合わせスペースは、打ち合わせスペースとは名ばかりの応接室のような内装であった。

 壁面には紅色の壁紙と木の柱。そこここにランプを模した照明が灯っている。床にはふかふかのカーペットが敷かれ、革張りの一人がけソファが二つ対面するように置かれている。室内に微かに香るのはリラックス効果があるというラベンダーの匂いだ。対になるように配置されたソファの間にある机は、紫檀かチークかマホガニーか……。


「すみません、こんなショボい所にお呼び立てしてしまいまして」


 俺を打合せスペースへと案内してくれた編集者は、恐縮した様子でそう言った。体形は少々小太り、髪は天然パーマの男で、ジーパンTシャツの上にスーツのジャケットを羽織っていた。先ほど受け取った名刺には『大海原おおうなばらいづる』と書いてあった。肩書は『第1編集部 編集』。

 社会に出たことのない俺には、彼の服装が洒脱なのか、それともフォーマルなのかの判断はつかなかった。


「あ、いえ、いえ、とんでもないです。こんな豪勢な所はじめてです。その、人と会う時は、いつもファミレスとかファーストフード店なので……」


 俺はモゴモゴと返答した。革張りのソファが鎮座し、紅色のカーペットの敷いてある応接室の何に不満があろうと言うのか。


「いやー、本当は先生用にイアペタスとかタイタンとかレアとか取りたかったんですけど、生憎とその辺はベテラン先生達に先を越されてしまいまして」


 申し訳なさそうに後頭部をかく編集者に対して、俺は応接室に衛星の名前が付けられている事実に驚嘆した。タイタン、イアペタス、レアはそれぞれ土星の衛星だ。俺の記憶が確かであれば、そういう衛星の数は60を越えているはずだ。

 すなわち、このビルには豪奢な応接室が60を越えて設備されていると考えられる。万が一、打合せスペースの大きさが衛星の大きさと比例しているのだとしたらとんでもないことになるだろう。


「まぁ先生、まずはお座りください。立ったままというのも何ですし、ゆっくりお話ししましょう」


 大海原編集に促されて、俺はソファに腰かけた。それは沈み込んだという方が正しいような座り心地で、柔らかな生地とクッションの中にズブズブと際限なくはまり込んでいく錯覚に陥いる程だった。


「では改めまして。鳳凰出版第1編集部の大海原です。先生がデビューするにあたって、先生を担当させていただきます」


 大海原編集の瞳が一段鋭くなった。


「担当編集です」


 しかし、なぜ言い回しを変えたのか、俺にはわからなかった。


   *


「先生の執筆された『先進的懐古主義プログロ温泉オンセン芸者ゲイシャ』。これはSFアクション小説ですね」


「えぇ、まぁ」


「いやぁ、個性的なタイトルですね。100年前の文化が流行する2119年の現代日本に、本物の忍者がタイムスリップして来る。ニンジャワナビーの少年と、リアルニンジャとの交流と成長。素晴らしい作品ですね」


 面と向かって概要を言われ、俺は自分の作品が素晴らしいものの様には思えなくなっていた。そもそも『先進的懐古主義プログロ』を掲げる連中は、100年前に存在したとされるニンジャやらサムライやらの『古き良き日本』を取り入れたがる。しかし、2019年という平成最後の年を迎えた日本でそれらが盛んだったかどうかは甚だ疑問視されている。

 俺は、2119年現在で流行していたから、ただ何となくそれを取り入れただけだ。


「素晴らしい……でしょうか? なんか、ちょっと、自信なくなってきたような……」


「大丈夫です。自信を持ってくださいよ先生。私は先生のリアルな描写にはちょっと感心しているんですから」


 にっこりと笑った大海原編集の言葉に、俺は首を傾げた。


「す、すみません。実は、その、私はそんなに歴史に詳しくないもんで、2019年の忍者がリアルかどうか、実は確信がなくて……」


「そっちじゃないですね」


「えっ、ニンジャワナビーの少年の方ですか」


「そっちでもないです。タイムスリップの方です」


「えっ」


 俺は二の句が継げなかった。小説の内容はどうやってもトンデモ忍者アクションが主体で、タイムスリップは物語の都合で無理矢理持ち出した舞台装置に過ぎなかった。


「先生の作品にはこう書いてありますね。『現在に忍者がいるならば、それは過去に忍者が存在したということ! 即ち、忍者のいる未来こそが、忍者のいる過去を作るのだ! 俺は過去の忍者を守るために未来へやってきた、過去のリアル忍者だ!』」


 ドヤ顔で小説の一部をそらんじた編集を、俺は呆然と眺めていた。よくよく考えてみれば、過去の忍者自身にリアルとワナビーの区別があるわけがない。自らリアル忍者と名乗る必要は全くない。しかも三日間徹夜で書き上げた決め台詞は、因果が完全に逆転してしまっていた。

 過去が未来を作るのであって、未来が過去を作るのではない。未来が過去を作ったら因果と時間の流れがあべこべだ。

 この編集は俺を辱めようとしているのか。それとも、これが噂に聞くダメ出しというヤツか。


「あ、その、いや、お恥ずかしいです。これ、逆ですね。すみません」


 取り敢えず「えへえへ」と笑う俺に、編集は意外そうな顔をした。


「えっ。合ってますよ?」


「えっ」


「あ~、まぁ、文章は固すぎますね。読者層に合わせて、もっとかみ砕かないと。でも『確定した未来があるからこそ、因果の繋がる過去が存在する』というのは正しい認識です。さすが先生は良くわかっていらっしゃる」


 ひとり得心顔をしていた編集は、足元に置いてあったブリーフケースを机の上に持ち上げ、中からクリップでとめられた紙の束を取り出した。


「そんなわけで、これが来年のライトニング文庫の『刊行予定表』です」


 何が『そんなわけ』なのかさっぱりわからず、俺は「はぁ」と気の抜けた返事をしてそれを受け取った。


   *


 出された『刊行予定表』なるものは、冒頭の日付は2120年となっており、ページをめくると1月から12月まで引かれたリストにズラズラと作品の名前と著者名が入っていた。

 そこには有名作家の続刊の名前や、まだ名前を聞いたことのない新人作家の作品もあった。さらには、2120年の春のラインナップにしばらく筆を置いていた大御所作家のカムバック作の名前も載っていた。


「あ、この大御所先生、再び執筆されるんですね。すごいなぁ。既刊、全部読んでますよ。すごく楽しみですね」


「先生は当然お分かりと思いますが、これ部外秘ですので、何卒」


 大海原編集は「わかりきったことですが一応」とばかりに目配せしてきた。さすがの俺にも、何故社外秘であるかは理解できた。


「あ、はい。これからのラインナップ変更とか、当然あり得ますもんね」


「えっ。あり得ませんよ?」


「えっ」


「はっはっは。またまた先生、初打合せで飛ばしますね~」


 大海原編集は愉快そうに笑いながら、大御所作家の発売予定月を指さした。


「実は、この先生の原稿は『再来年で』校了しまして。割と締め切りギリギリだったんですよ。その分結構いい出来で、これは結構売れると思います。ま、ま、うちは発売月は絶対にズラさない体制が整ってますから、ご安心を!」


 俺は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていたに違いない。来年出版する原稿が再来年で完成するとはどういうことだ? そもそも現時点で再来年の原稿が完成すると何故わかる? それの出来を何故今語れるのだ?

 俺の思考が空転しているさ中、応接室の外から大音声が飛び込んで来た。


高原ヶ原こうげんがはらさん! どういうことですか! 『とてつもない機械の説明書』シリーズが打ち切りだなんて有り得ない! 説明してください!」


 俺は度肝を抜かれた。『とてつもない機械の説明書』シリーズと言えば、販売は総計で100万部を越えるとも言われる大人気シリーズだ。著者の早星溶接そうせいようせつ先生は「執筆の鬼」とも呼ばれ、『とて書』の本編を執筆しながらスピンオフの『とんでもない魔法の解説書』シリーズを執筆し、ついでに新規シリーズを三本立ち上げた上に全てが現在進行形という超速筆の化け物作家だった。

 どのシリーズもアニメ化、ドラマ化、ゲーム化、VRアバター化、舞台化、花火化、擬人化、擬人化のけもの化、擬人化のけもの化の擬人化という派生を生む金脈タイトル達で、どこをどうとっても打ち切りなどあり得ないものだった。


「落ち着いてください早星そうせい先生。落ち着いて」


「これが落ち着いていられますか! 説明を、ちゃんと説明をしてください!」


 俺は思わずソファから立ち上がって、応接室の扉を薄く開けていた。早星そうせい先生のご尊顔が気になったこともあるし、その話の内容が気になって余りあったからだった。


早星そうせい先生。うちはちゃんと警告したハズですよ。今の状態を続けていたら、いずれこうなることは分かっていたでしょう?」


「それは……いやしかし、これはいきなり過ぎますよ! どのシリーズもまだ佳境ですから!」


 俺が扉の隙間から廊下を見ると、ちょうど早星そうせい先生の顔を見ることができた。黒い調光ガラスから薄く差し込んだ光に照らされた顔は、まるで死人のそれであった。目は落ちくぼみ、肌は灰色、唇など紫を通り越して真っ青だった。今からぶっ倒れてもおかしくない……それどころか、このまま棺桶に入れて葬儀場に出したって誰も驚きはしないだろう。


高原ヶ原こうげんがはらさん! 頼みますよ! せめてシリーズの区切りのいい所までやらせてください! 再来年、いや、三年先で執筆しますから……!」


 早星そうせい先生は、高原ヶ原こうげんがはら編集に縋りつくようにして頼み込んでいた。ほとんど拝むような形であった。


「ダメです先生」


「何故? 何故なんです!?」


「先生、もう三年先で執筆されてるじゃないですか」


「じゃあ、四年先で! 不都合があるなら、五年先でも六年先でも……」


「無理ですよ先生」


「やりますから!」


「だから、無理なんですよ先生。寿命です」


「じゅ……?」


「寿命なんです。四年先はないんです」


 その時、息を潜めて覗いていた俺の目の前で、扉の隙間が「バタン」と音を立てて閉まった。振り返ると大海原編集がニヤニヤと笑いながら立っていた。

 扉を閉めたのは彼だった。


   *


 俺は再びソファに座って大海原編集と相対していた。

 高級感を醸し出すランプの光がゆらゆらと揺れ、大海原編集の顔に形容しがたい陰影を作っている。目元に落ちる影のせいか、彼がどのような表情を作っているのかいまいち読み取ることができない。


「いやぁ、先生も人が悪い。『シメキリ前』の作家を見られるのがお好きなんですか?」


 天然パーマの髪の下から覗く視線が、俺に注がれていた。


「いや、まぁ、なんと言うか、そう、ですね……」


 大海原編集が身じろぎしたのを見て、俺は慌てて言葉を継いだ。


「締め切り直前ということはこれから締め切りまで執筆漬けって感じですよね。早星そうせい先生はこの後カンヅメにでもなるのかなぁ、とか、カンヅメなんて今時だと時代錯誤アナクロかなぁとか……」


 カンヅメ。2019年には廃れていたという執筆スタイルのことだ。

 締め切り直前まで追い込まれた作家が逃げださないよう、ホテルや旅館、あるいは出版社に閉じ込めて執筆を強要するやり方だったという。日本の年号が令和や平成だった頃よりも更に昔、締め切りを伸ばすことが容易ではなかった時代に生まれた、ある種の軟禁である。

 人を部屋に閉じ込めることから、缶詰カンヅメと呼ばれたやり方だ。


「ふふ、本当に先生も人が悪くていらっしゃる。『カンヅメ』。ご存じなのですね」


「は?」


「実は、僕もあれ見るの結構好きなんですよ。ちょっと見に行ってみましょうか」


「か、カンヅメをですか?」


「そうですそうです。せっかくです。ちょっと見に行ってみましょう」


 大海原編集がのっそりと立ち上がった。ランプの灯りが揺らめいて、大海原編集の顔にゆらりと光が当たった。

 そこにあったのは、屈託のない笑顔だった。

 それが邪悪で陰惨な笑顔に見えたのは光の加減で、俺の見間違いであった。そうに違いないのだ。


   *


 俺たちは応接室を出てエレベーターを下り、第6本社ビルの27階から10階へと移動した。俺が予想した通り、このビルの中には土星の衛星の名前が付けられた無数の部屋存在した。ヤヌス。エピメテウス。ヘレネ。テレスト。カリプソ。アトラス。プロメテウス。こう言った大型の衛星の名前が付けられた部屋は、その名前通りそれなりの大きさを持つ。逆に俺が通されたような小型の部屋にはグレイブ、ヤルンサクサ、アテネ、スルトと言った小型の衛星の名前がつけられている様子だった。


「す、すごい数の打合せスペースですね」


「そりゃそうですね。作家先生もたくさんいらっしゃるので、その分だけ『打合せスペース』が必要になりますから」


「もしかして、ここが第6本社なのは、土星が第6惑星だから……だったり?」


「おぉ、さすが先生ですね! その通りです。第1から第7まではこんな感じになってますねぇ。あ、こっちに曲がってください」


 燭台やシャンデリアに彩られた豪奢な通路を抜け、死角にひっそりと存在する小さな扉をくぐると、俺の目の前にはまるで実験施設か病院に見まごうような真っ白な通路が現れた。

 輝度の強い真っ白なLED蛍光灯。照り返す白い床。無機質に真っすぐ伸びる通路。

 唐突な景観の変化に、俺はめまいさえ覚えた。


「先生、この扉あんまり開けとけないんで、ささっと入っちゃってください」


「は、はい……」


 俺たちは真っ白な通路を進んでいった。

 大海原編集のスニーカーが床に擦れる「キュッキュッ」という音と、俺の革靴が立てる「コツコツ」という音以外には何も聞こえない。異様に静かな空間だった。

 壁にはところどころにタッチパネルが設置されていて、衛星の名前と『Manage』『Monitor』というボタンが映し出されていた。


「あ、ここですね」


 大海原編集が足を止めたのは『Mimus』と表示されたタッチパネルの前だった。タッチパネル設置された壁は、何の変哲もない白い壁紙の壁のようにしか見えない。


「はーい、いきまーす」


 大海原編集が『Monitor』のボタンを押すと、壁が一瞬にして透明になった。その向こうに現れたのは、俺の通された打合せスペースが比にならない程に豪華で巨大な『打合せスペース』だった。ランプどころかシャンデリアが下がり、天幕付きのベッドまで設置されている。黒光りする机の上に置かれているのは、琥珀色を湛えた高価そうな蒸留酒だ。

 部屋の中央にいるのは、死人の形相をした作家――早星溶接そうせいようせつ先生だった。今は一人掛けのソファに埋もれて項垂れている。


「え、これ、向こうから見えて……?」


「当然見えてないですね。これただの大型の高精細モニターなんで」


 俺は「へぇ~」と言って流したが、打合せスペースのモニタリングにこのような回りくどい方法を取る理由は全く理解できていなかった。現地に赴かなければ見れないのであればモニタリングの利便性など皆無だし、わざわざ隠し通路のようなものまで作って、壁一面に大がかりな高精細モニターを配置する理由などあるはずもない。

 俺が漫然と部屋の中を眺めていると、唐突に、部屋の奥にあった扉が開いた。

 手術着を着用しマスクと付けた人物が三人、点滴ポールを引きながら部屋に入ってきた。


「お! 先生始まりますよ~」


「始まる? え?」


「やっぱ生で見るのは初めてですか。これが噂のアレですよ」


 大海原編集が笑った。真っ白なLEDの光の下でならはっきりとわかる。

 それは全く屈託のない笑顔だった。仕事のついでに映画を見に来た時にするような、本当に気軽な笑顔だった。


「『シメキリ直前』の作家の『カンヅメ』の始まりです」


   *


 手術着の人物二人は早星そうせい先生の側に近寄ると、左右から先生の両腕を抑え込んだ。

 呆然の体から我に返った早星そうせい先生は慌てて身を捩ったが、完全に抑え込まれてしまって身動きすらままならない。そもそもあの細い体では、立派な体格の闖入者達には太刀打ちできるはずもない。


「やめろ! やめろ! 離せ! 嫌だッ!」


 早星そうせい先生の叫びは長く続かなかった。闖入者のゴム手袋を付けた手が先生の口を覆い、叫びはすぐに「モゴモゴ」という不明瞭な呻きに変わった。

 二人の闖入者が早星そうせい先生の身動きを完全に封じてしまうと、残った手術着の人物が動き始めた。手には太い注射器。注射器の先には長いゴムの管が装着されている。

 注射器を持った人物は早星そうせい先生の正面に回って、長い管の先を先生の鼻の穴の中に突っ込んだ。


「ンンーーーー! ンーーーーーーッ!!」


 先生は苦悶の呻き声を上げた。

 ゴムの管がズルズルと先生の体内に突き込まれていく。

 先生は痛みや違和感で全力で抵抗を行っていたのだろうが、全身を抑え込まれ、顔と口元を固定された状態では何をしようもなかった。ただ見開いた目は赤く充血し、ボロボロと涙がこぼれていた。

 ゴムの管が入りきると、今度は注射器が押し込まれた。

 恐らく中に入っていたのは恐らく流動性の栄養食だ。食事を拒否する病人に対してこういった医療行為を行うことはある。

 先生は胃の中に注射器の中身をねじ込まれて「グゥ……」と声にならない声を上げていた。

 しばらくの空白。

 注射器の中身を先生の胃の中に流し込み終わると、闖入者はゴムの管を先生鼻から乱暴に引き抜いた。

 くしゃみ、せき、嘔吐。

 それら一切を、闖入者達は先生の顔を抑え込んで封殺した。


「…………! …………!」


 先生が悶絶している間に、闖入者の一人はある物を取り出した。

 肛門に差し入れるための太い注射器と、『おむつ』だ。

 排泄のままならない幼児や老人が着用する、あの『おむつ』だ。

 闖入者の一人が合図すると、先生を抑え込んでいた二人が動き始めた。

 先生が履いているズボンに手を伸ばし、ベルトをはぎ取った。

 状況を察した先生は、最早悲鳴とも絶叫ともつかない呻き声を発して身を捩っている。

 その声、その姿は、作家としての尊厳、男としての尊厳、人としての尊厳、生き物としての尊厳。ほんの数舜であらゆる尊厳を奪われた者のそれだった。

 闖入者の一人がズボンと、それと一緒に下着の裾に手をかけた。


「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!」


 俺が最後に聞いたのは、早星溶接そうせいようせつ先生の悲鳴だったのか自分の悲鳴だったのかわからなかった。


   *


 俺はタッチパネルを押していた。

 使い方は理解していなかったが、どうやら壁の高精細モニターはオフになった様子だった。先生の姿は見えなくなり、目の前には白い壁だけがあった。


「いや~、早星そうせい先生、治療を完全に拒否しちゃってたんですねぇ。久々にあんな『カンヅメ』見ましたよ~。ラッキーでしたねぇ」


 俺は返事をしなかった。正確に言えば返事のできるような状態ではなかった。

 目の前で行われていたのが暴行なのか、医療行為なのか、そもそも何故出版社の打合せスペースで作家がこんな目にあわされているのか。何一つとして理解ができない。


「あの……早星そうせい先生って、そんなに体調がお悪く……?」


 ようやく声を絞り出した俺の言葉に、大海原編集は大きく首肯した。


「ですねー。ほっといたら今年で亡くなってたかもですね」


 早星そうせい先生の顔色を思い出すと、さもありなんとも思われた。


「そ、それじゃあ、今ので少しは良くなるんですか?」


「今ので、ってわけじゃないですけど、しばらく弊社の治療を受ければ確実に身体は良くなりますね~」


「……例えば、三年は寿命が延びたり?」


「とんでもない!」


 俺の問いかけに、大海原編集はとても心外そうな顔をした。


「三年は! うちはその辺バッチリですから!」


 大海原編集の言葉を聞いて、俺の頭にあるひらめきが起こった。

 噛み合わなかった会話の意味が、段々と理解できてきた。

 俺は、そのひらめきを確かめるため、おずおずと口を開いた。


「あの、大海原さん。ちなみに、その、私が『アレ』を見ることってできるんですか?」


   *


 『先進的懐古主義プログロ温泉オンセン芸者ゲイシャ』はあくまでフィクションだ。

 本作の登場人物である、いじめられっ子の『ヤング少年』は学校やカラテ・クラブで最も低いカーストを生きることに絶望しているティーンエイジャーだった。彼は一発逆転を狙って失われた古代日本の文化遺産である忍者巻物ニンジャ・スクロールを通販するが、これが真っ赤な偽物。あらゆる場所で恥をかくことになる。

 絶望と失意の中で唯一正しかったのは、ヤング少年の熱意だった。

 これが最後とヤング少年が試行した忍者巻物ニンジャ・スクロール口寄せの術サモン・マジックはやはりデタラメであったが、ニンジャを望む本物の熱意が2019年のリアル忍者『シノビ』を口寄せサモンしたのだった。

 忍者シノビは言う。


「望むならば、お前に古代日本のタクティクスの秘伝『忍者兵法ニンジャ・マーシャルアーツ』を伝授しよう」


 ヤング少年は言う。


「僕に捧げるものは身体と魂の他にはない。対価はなんだ」


 忍者シノビは言う。


「ただ、相伝のみ!」


 忍者シノビは失われたニンジャ・マーシャルアーツを現代に復活させることで、過去から現代へニンジャの連続性を復活させ歴史の改変を行おうとしていた。この後、融通の利かない堅物忍者と、熱意が空回りするナードな少年の凸凹コンビが、現代日本でアクション有り恋愛有り、衝突と和解と努力友情勝利有りのガッツストーリーを繰り広げることとなる。

 間抜けな話なのは分かっている。

 しかし、これの全てが荒唐無稽の噓八百というわけではない。事実として、日本は『ニンジャ・マーシャルアーツ』だけではく全ての『文化』を喪失していた。2115年時点の日本は世界で最大の産業国家であったが、世界で最低水準の『無文化国家』であった。


   *


 2021年に行われた東京オリンピック以降、日本の持つ様々なリソースは著しく減少していった。2030年頃の日本には国家と個人の存続を維持するだけ精一杯の力しか残されていなかった。

 若年層の国民の減少、労働力の高齢化と賃金の低下、購買力の減少、産業の衰退、絶望と閉塞感に覆われた日本が取ったのは『勤勉さを貴ぶ』というやり方であった。

 数少ない10代の日本国民は、小学校の卒業と同時に就労した。

 労働者は最低限の賃金で最大限の成果を生むことが美徳とされ、特にマンガ・ゲーム・音楽・拡張現実・仮想現実・動画配信・アイドル・タレントなどの業種は日本の持つ最大の『産業』として大いに推奨され、老若男女問わず多くの人材が投入された。

 そして、2050年頃にはそれらの娯楽産業は打ち捨てられた。国民の総意として『娯楽不要』が叫ばれた。

 当然である。

 娯楽は享受する側になって初めて意味を持つ。低い賃金で生産し続ける側から見れば、それは自身に還元されることのない壮大な無駄に他ならなかった。そして日本の国民のほとんどは、娯楽を無駄と考えることしかできない程に追い詰められていたのであった。

 2100年。日本は娯楽産業へ投入されたリソースを全て他に回し、娯楽を排した堅実な産業国家となってシャカリキに働き、日本は安定と平穏を取り戻したのであった。

 『娯楽文化の断絶』という大きな代償を伴って。

 2119年の日本の全国民が熱狂する先進的懐古主義プログレッシブ・アナクロニズムの根源は、2019年から徐々に失われた娯楽文化を取り戻そうとする反動なのだ。


   *


 俺が大海原編集に案内されたのは、第6本社ビルの地下2階だった。エレベーターで下れるのは地下1階まで。その先は物々しい鉄製の扉を大海原編集の社員証をかざして開き、そこから更に光源の少ない薄暗い階段を下らなければならなかった。

 地下2階へ向かうにしては長い階段を下っている最中、大海原編集は俺に話しかけた。


「先生、けっこう本読まれてますよね」


 前後の脈絡のない唐突な質問に、俺は「えぇ、まぁ」としか答えられなかった。


「『先進的懐古主義プログロ温泉オンセン芸者ゲイシャ』を読んだら一発でわかりましたよ。あれは『先進的懐古主義プログロ』なんかじゃないって」


「いやぁ、それは買いかぶりですよ……あれはとにかく無理やり捻りだしただけのものです」


「ご謙遜を。今の日本で小説を書く、ということがどれ程の困難か、先生はご存じのハズです。そもそもほんの数年前まで、誰もがマトモにそれを読んだことすらなかったわけですから。先生はそれに現代で受け入れられやすい『先進的懐古主義プログロ』というラベルを張っただけです」


「えーと、それはつまり……?」


「『ライトノベル』でした。時代錯誤アナクロなくらいに」


 それは俺にとって最大級の誉め言葉だった。

 角川文庫。スニーカー文庫。電撃文庫。ファンタジア文庫。職にあぶれた俺は、その持て余した時間を注ぎ込んで先進的懐古主義プログロブームで復刻された本を貪るように読んでいた。

 そして更には現代で続々刊行され始めた新作の小説を読み、自身も憧れるようになったのだ。娯楽を生み出すことに。ライトノベル作家に。


「先生、着きましたよ」


 気が付くと、大海原編集は立ち止まって巨大な鉄の扉の前に立っていた。巨大なシリンダーが見え隠れする扉は、大手銀行に設置されている金庫扉のようである。


「安定した収入と、締め切りのない執筆。ようこそ先生。ラノベ作家の理想郷ユートピアへ」


 大海原編集が扉の中央に社員証をかざすと、シリンダーが重々しい音を立てて稼働し、鉄の扉がゆっくりと解放されていった。

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