第4話 そこにいのちが芽吹くなら
私は神と称されていた巨獣の横に、ファーストエイドキットを広げた。
「で、君は一体なにがしたかったんだ?」
適切な麻酔のレベルが分からない。
私はクジラでも昏倒するレベルAAAの強烈な麻酔を作り出すようにコマンドを入力。
「その前に、ひとつ聞いてもいいですか」
「うん」
「天才って何だと思います、先輩」
「うん?」
「つまり才能がってことなんですけど」
私は麻酔が注射器の先からスムーズに押し出されるのを確認した。
通常、テラリウム内の動物に麻酔をかける場合は専用の銃で臀部を狙う。
今回の相手に限っては銃弾の有効性が保証されていないので、直接肌に針を刺した方が良さそうだった。
まったく嬉しくない。
「才能という言葉はエフには理解不能だね」
「でも、先輩はそうやって手先が器用でしょ。プログラミングされたものなんですか?」
「いや。自我が覚醒したときからこのまま」
「人間はそれを才能って言うんです」
筋肉の多そうな部位を探して麻酔を打ち込む。
ぴくりと痙攣する巨獣。
その皮膚に辿り着くまでには、謎の布切れらしきものを押しのけなくてはならなかった。
たった一匹でいるというのに、布を織る文化を発展させた?
それとも以前は他の個体もいたのだろうか?
白銀砂漠は本当にイレギュラーな<完全世界>だ。
「なら、君にとってはこの砂漠を作り出したことが才能なんじゃない?」
「そう思いたくないんです」
「なんで」
「怖くて」
「それはつまり、君の心の本質がこの砂漠であると証明されたから?」
「そうです。だから……」
後輩は言葉を区切った。
私は促さず、その続きを待つ。
果実が熟すのを待つように。
巨獣の手から力が抜け、ずるりと垂れ下がる。
関節ひとつひとつの皺が伸びてゆるんだ。
私は手早くプロペラ・ブーメランを引き抜きにかかる。
「だから……」
巨獣の体に足を乗せて、私はぐいぐいとブーメランを引く。
顔を真っ赤にして奮闘し、ようやくスポンと一枚抜けた。
シャンパンのように噴き出す血。
慌てて傷を止血パッドで押さえる。
環境マスタにどんどんパッドを生成するようにと命じた。
「先輩がこのゲームをくだらないと言ってくれて嬉しかったんです」
五感センサーが、異種生物の血液を大量に浴びていることに対する警告を発する。
私は無視すると回答した。
どのみち培養体はここに置き去りにするつもりだから。
それが、処理士のルール。
「この砂漠を変えたくてゲームを始めた。でも、誰も癒してくれなかった。白銀砂漠を誉めるばかりだった。天才だって。褒められるたびに白銀砂漠はどんどん進化して」
「怖くなった」
「そう」
「癒すっていうのは、具体的にどんな?」
「普通に」
「それが一番、難しいね」
眉間のプロペラ・ブーメランを引き抜いて、止血をして、私はどっと疲れた。
暑いし水分は足らないし、培養体が溶けてしまいそうである。
巨獣は目を閉じている。
弱々しいが呼吸は保っているから、麻酔の強さは適切だったと思いたい。
「この神はどうやって生まれたの」
「分からない。ある日突然、そこにいた。生物なんて何もいなかったのに」
「砂漠自体がプログラミングのミスかもね。まずは外部からエラーを走査して、それから」
突然、世界の外でダムが決壊した――私はそのように認識した。
後輩がしゃくり上げている。
私の言葉のどこが琴線に触れたのか。
やはり分からない。
エフには難しい感情だ。
「どうした」
私は言う。
「先輩、私やっぱり先輩の事が好きです」
「す……す……?」
「私とこの砂漠にきちんと向き合ってくれたの、先輩が初めてだったんです。大好き」
「す……!」
「酢の物」
「んなわけあるか! 混乱してるんだよ。エフには似合わない」
「インコ」
「しりとりすな!」
「なすび」
「こっちの気持ちを聞くところじゃないのか!」
ぴい、と後輩の悲鳴が汽笛になって全天を駆け巡る。
騒々しい空になったものだ。
砂漠も驚いているだろう。
巨獣の寝息が聞こえる。
「私も好きだよ。仕事の腕はいいし、よく気が付く。人間らしいサポートをしてくれる」
「それは、後輩としてですよね?」
「君の私生活を知らないから」
気後れをにじませた声音で、後輩は質問を重ねる。
「それは、これから知らせてもいいということ?」
「エフの神経プログラムにはないけど、それを人間は付き合うというのかな」
「こんなひどいことをしたのに?」
「君の神経プログラムには必要だったんだろ。幸い無事だし」
一天にわかにかき曇り、という古い舞台のト書きみたいなことを私の脳は想像する。
砂漠の上に雨雲が広がって雷が鳴り響いた。
私は巨獣を揺さぶる。
正確に表現するなら、肩からタックルした。
目をしょぼしょぼさせながら巨獣は意識を取り戻し、まだぼんやりとしているであろう頭の天辺に、この砂漠に降る初めての雨粒が落ちて跳ね起きた。
どしん!
私は尻もちをつく。
巨獣は目を丸くして、突然の異変あるいは奇跡を眺めている。
その顔はどことなく子供っぽく、繊細なティーンエイジャーの泣き笑いのように見えた。
雨は徐々に強くなっていく。
砂漠の砂は粘り気を増し、私は足を固められないよう適度に動き回る必要があった。
それに、へたりこんだままの巨獣も動かした方が良いだろう。
このままだと重い生き物は沈んでしまうかもしれない。
「ええ、砂漠の神くん」
巨獣がのそりと首を動かした。
そこにひりつくような怒りは無い。
成る程、とそこで私は合点がいった。
ロレンスの心を感じて成長した白銀砂漠の奥にいるものは、見つけてほしかった、手を差し伸べて欲しかったロレンス――我が後輩そのものに決まっているではないか。
「そこにいない方がいい」
オウウウウン、と巨獣は言った。
「動けなくなるよ」
巨獣は既に砂にずぶずぶと埋もれ始めており、助け出すには相当な労力を必要とする。
私が何とか完遂したころには、砂漠に川が流れていた。
ふたりは連れ立って歩き出し――とはいえ歩幅が違い過ぎるので、途中から巨獣は私をつまんで頭に乗せて運ぶことになる。
やがて砂丘に墓標が立つエリアへ入り込んだ。
巨獣はひどく恐れたが、私は強いて歩かせる。
そして、砂が流されて剥き出しになった迷宮の上でひとごこちついた。
ここならば埋もれることはないだろう。
落ち着きなく身じろぎする巨獣は何度も出て行こうとしたけれども、その度に私は引き留めた。
砂丘のぐるりを流れる小川に、自動小銃が浮かんでいる。
巨獣が感じるのは襲撃の恐怖か、罪悪感か、それとも別のものか。
いずれにせよ、それを清算するのはいまではない。
感情の処理タスクにも適切なタイミングとフローチャートは存在する。
エフである身からすれば当然のことだ。
人間とこの巨獣は、その精神的なルーチンを持っていないのかもしれないが。
私は巨獣を撫でてなだめる。
他社に触れられたことに驚いて、巨獣はたじたじとなる。
とめどなく降り続くように思えた雨は、やがて小やみになり、太陽が戻ってきた。
すると<完全世界>が新たな段階にテラリウムを押し出す。
緑が、芽吹いた。
始めは地衣が、ほんの少しの間を置いて草が、ややあって低木が現れ、幹を這うツタと競うようにして巨木が天へと向かう。
濁流は穏やかに流れを曲げ、やがて林の中を流れる優雅な小道へと転身する。
私を頭に乗せたまま、巨獣は好奇心の赴くまま苔むした大地をひっくり返した。
よほど制止しようかと思ったが、大きな手が掬った砂がもはや白銀色ではなく、湿った土の良い色をしているのを見届けて、私は傍観者を決め込む。
好きなようにすればいいのだ。
自分の心の落ち着きどころを見つけるのは、最終的には自分にしかできない芸当で、それはつまりエフには縁遠いわざだけれども、巨獣にはできるだろう。
後輩にも。
大きな羽音が聞こえた。
見上げれば赤竜が堂々たる翼を広げて空を飛び去るところ。
私と巨獣はその雄姿を見送り、続いて森の中から出てきた銀の剣を下げた勇敢な騎士たちと、骸骨の杖を持ったシャーマンたち、そしてプロペラを失くした飛行機乗りに挨拶をすることになった。
迷宮の中からは怪しげな音がする。
しかし誰も、こちらに敵意を向ける者はいなかった。
「にぎやかになったねえ」
オウオウオウ、と巨獣が吼える。
「しばらく、このままでいさせてね」
私は言った。
「どうやら後輩は、すっかり私を忘れてるみたいだから」
天の果てから声が響く。
<あらあらあら泣いてるじゃない>
<今プロポーズしたんです。それにドーナツがなくなっちゃったんです>
<それはめでたいわ。おかわり持ってこなきゃね!>
まあ培養体もあと一日くらいはもつだろう。
私は巨獣の頭に顎を乗せて、静かに息をする。
シナモンと砂糖と、いのちの匂いがした。
(了)
白銀の世界で、君を想う 東洋 夏 @summer_east
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