第3話 神を処理せよ
地響きは収まっていた。
神は急に大人しくなってしまったらしい。
私の姿を見失ったからだろうか。
だが砂丘の陰から出たが最後、ぬっと巨獣の手が現れて私をつまみ上げるかもしれない。
びくつきながら砂丘の底を歩く。
私が転がり落ちたのは、竜骨の丘と迷宮の丘の間だった。
靴底が砂を踏む音だけが世界に響き渡る。
そういえば、この白銀砂漠では風の音すらしない。
<完全世界>は所有者の脳波を読み取り、所有者が心地よく感じるパターンに成長する。
ロレンスこと我が後輩は何を思ってこの砂漠を生んだのか。
我が後輩の何の快楽が歪な神を降臨させたもうたのか。
<完全世界>は何を読み取ってこんな……。
分からない。
分からないならば、聞くしかないだろう。
ロレンスの快感を司る神に。
まともな答えが返ってくるとは思えないが、脱出への唯一の方策はそれだけだ。
足元に真新しい剣がひとふり転がっている。
中性の騎士が持ったような古いデザインの剣。
磨き上げられた刀身は限りなく純度の高い銀色で、それが砂の色を吸い込むようだった。
私はその剣を取り上げる。
ずっしりと重い。
我が後輩の言葉よりも重い。
柄には消えかかっているが文字が見える。
AとR。
何処かの誰かの<完全世界>はアルファベットを発明していたようだ。
役に立つとは思えなかったが、私はそれを片手に持って歩みを再開する。
「ここからが本当のスタートですね、先輩!」
「うるさいな」
「おっ、剣を装備した」
「見えてるんじゃないか」
「見えてますとも。創造主ですので。えへん」
「えばるな」
私は努めてゆっくり歩いた。
五感を拡散させて神の位置を探る。
結果は思わしくなかった。
巨大な質量を持つ生物は、如何なるセンサーにも引っ掛からなかったのである。
「探知不能、ね」
私が呟くと、
「神はステルス性を持つ生き物として進化したんですよ。めっちゃ賢いでしょ」
「ふうん」
丘の底を回り込む。
開けた砂地に出る。
神は、遠くでうずくまっていた。
何だ――、と私が安堵したまさにそのタイミングで、神は顔を上げる。
ぎらつく目が私を見た。
敵意、警戒、襲撃の意図が読み取れるような刺々しさ。
そしてのそりと、動き始める。
神が身を起こしたので、彼方で砂丘がひとつ吹き飛んだ。
私は全速力で走る。
ともかく次の砂丘まで行こう。
が、速く走ろうとすればするほど足が砂にとられた。
そして地響き。
私は小人に足首をつかまれたようになって、ばたりと倒れ伏した。
慌てて身を起こす。
その努力をした。
辛うじて目だけが動き、神の姿を捉える。
どすん、ずしん。
地鳴りが近くなる。
私は冷静になろうと自分に言い聞かせ、ゆっくりと静かに体を砂から抜き出した。
かつて動画で見たケンタウロスの群れの様子を思い出す。
彼らは軽快に走り出したものの数分で砂に足を取られて騒ぎ出し、そしてひと薙ぎで神に追い散らされたのだった。
同じ愚を犯そうとしている。
私はケンタウロスたちの敗因を彼らの体の重さに置いていたが、何のことはない砂質に問題があったのだ。
顔を上げる。
神が私を遠くから見下ろしていた。
どすん。
距離二百メートル、と五感システムが警報を発する。
未知の巨大生物があなたに接近しています。
オーケー、わかってます。
私はやけくそなのか律儀なのか自分でも分からないが、敬語で思考した。
「ねえ」
頬についた砂を手の甲で払う。
払う方の手の甲も砂だらけだけれども。
「君は一体全体どうしたいの」
私は空の向こうに問うた。
「このくだらない殺し合い遊びで得るものは?」
「交渉には乗りませんよ」
「そんなことはしない。ただの質問」
重い体を引きずるようにして、私は歩く。
その間、頑張って神を見ないようにしていた。
砂漠は静かである。
私は、法則を発見していた。
神は私と目を合わせている時だけ動く。
私が観測しなければ、神は何処にも行けない。
生き物としてあまりにも不器用ではないか。
引きずった剣先が砂を弾いて、きりきりと音を立てる。
それでも神は歩まない。
次の砂丘のふもとに着いた。
私は口を開く。
息が上がっている。
「答えは?」
無言が返答だった。
「なら、私は君の遊びには付き合わない」
今回の砂丘の墓標は戦闘機の残骸。
その翼の影をありがたく味わいながら、私はじっくりと古ぼけた(しかしこの戦闘機がいた世界では最新鋭の)プロペラ機を眺める。
第一次世界大戦あたりの技術力だろうか。
上手く育った<完全世界>から飛来して、ここで屍をさらしている。
可哀想に。
私はそのプロペラ機に、ふと愛情らしきものを抱いていることを自覚した。
それは人間の持つべき自然な感情なのだろうか?
あるいはエフ特有の何かだろうか?
私は息を整え、体温が下がるのを待った。
身体能力を向上させている培養体はオーバーヒートする危険性との背中合わせ。
長期間生きることを想定していないので、無茶な規格になっているのである。
いつもならばここで後輩の声を聞く。
作戦を練り直したり、雑談をしたりする。
今日はもちろん聞こえない。
私はそれを寂しく思う。
脈拍が正常値まで下がったのを頃合いに、私は次の行動に出た。
ロレンスの遊びに巻き込まれてはいけない。
もし「勝ち」というものがあるならば、それはロレンスの「価値」を崩し去ることだ。
それに私はテラリウム処理士であってゲームの挑戦者ではない。
剣を振り上げる。
磨き抜かれた銀の剣はプロペラを易々と断ち切った。
思わず口笛を吹く。
いい切れ味じゃないか。
そのプロペラを、私は刃を使って慎重に加工する。
ごく薄く、プロペラの縁が凶器としてじゅうぶん鋭くなるまで。
それを四枚分。
終わると、私は五感システムを呼び出し、計算式を求めた。
その答えに満足したので「計算式:A」と名付け、私は再び砂丘の影から出る。
剣は置いて、その代わりにプロペラの加工品を四つ、危ういバランスで抱えていた。
伏した神がのそりと起きる。
近い距離で聞くその足音は、こう聞こえる。
ずどん。
距離百五十メートル、と五感システムが告げた。
視界に書き込まれた赤い点滅を消去するように命じる。
ずどん。
距離百三十メートル。
私は神の進路の前――つまり私の目の前ってことだが、そこにプロペラの加工品を等間隔に差していく。
神の足踏みでも傾がないよう、だが手に取るときにするりと抜けるように加減しなくてはいけない。
これが意外と手間取った。
何せ神と目を合わせながらなのだから、手元がプレッシャーで震えるのである。
冷や汗をかく。
神が左前足を振り下ろす。
ずどんん!
距離百メートル。
私は「計算式:A」を起動させた。
神は右前足を振り上げる。
私は後ろを向く。
衝撃は起こらない。
私が目を合わせないので、神は私を認識できない。
プロペラの加工品をひとつ抜き取ると、「計算式:A」の演算結果の通りに宙へ放り投げた。
アルファベットのLの形に整えられたそれは勇ましい戦士のブーメランになって、前進し、弧を描き、そして。
神が悲鳴を上げた。
転倒したのかもしれない。
凄まじい衝撃が大地を震わせる。
私はよろめきながら第二のプロペラ・ブーメランをつかんだ。
新たな地揺れが砂を跳ね上げる。
何とか踏ん張り、神の方を見遣った。
神は砂の上で転げまわっている。
人間で言えば耳に当たる部分にプロペラ・ブーメランが突き刺さっていた。
神が私の視線を捉え、牙を剥き出しにして鼻面を突き出し前足を振り上げ――私は再度、背を見せる。
そして投擲。
耳を聾するような悲鳴。
神が蹴散らした砂が私の上からどさどさ振ってくる。
あとは千切れた神の指、そして大量の血。
潰れる前にと次のプロペラ・ブーメランを引き抜き、同じ手法で神を欺く。
第三投は神の眉間に突き立った。
長々とした絶叫の後、神はどうと音を立てて砂に倒れ伏す。
地面が津波のように持ち上がっては沈没した。
「ずるい!」
と、上空からの声。
「ずるくない。私は処理士で、五感センサーを使うのは当然の発想だ。そもそもフェアなゲームでないと言ったのは君じゃないか」
私は反論した。
「挑戦は終わった。接続を戻しなさい」
息も絶え絶えに横たわる神のもとに近づく。
その目は既に濁っており、こちらの姿を追うものの、脅威は感じない。
五感センサーに精査を命じる。
外界の脅威となる寄生生物なし。
外界と接触した場合の生存率はゼロ。
従ってこの<完全世界>の廃棄には何も支障はない。
レポートは、以上。
「百万ドルもいらないし」
私は、しかしプロペラ・ブーメランは油断なく構えて後ずさる。
「ねえ、聞こえてる?」
響き渡る雷のように、後輩のため息が空一面に反響した。
「溜め息をつきたいのは私の方だよ」
「先輩」
「うん」
「殺さないでください」
「君は警察に行けばいい」
「そうじゃなくて――」
「……神を?」
「お願いします」
「救命措置をする。気力が戻る。私はぺしゃんこになる。……バックアップのない状況でそんなリスクは冒せないよ」
「お願いします」
私は言った。
「なら接続を戻しなさい」
空という偽物の境界を隔ててなお、後輩が躊躇っているのが分かる。
私を外に出せば、たちまち犯罪者になるのを知っているからだろう。
神は目を閉じている。
運命に身をゆだねた神。
なんと皮肉なことか。
堕ちた神は既に奴隷だ。
「君が戻さないなら、私も戻さない」
私は「計算式:A」を呼び出す。
プロペラ・ブーメランを構える。
もう視線を逸らす必要すらない。
手首を。
脳に衝撃が走り、私はたたらを踏む。
プロペラ・ブーメランが手から滑り落ちた。
目の前がちかちかと明滅する。
<接続正常>。
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