第8話 破局への休戦

 陣営を撤収し、伊達家の侍達は順次、国許へ帰って行く。

 片倉小十郎重長は最後の一団として出立するつもりだった。およそ半数の兵を見送ったところで、彼はある男の訪問を受けた。


「慌ただしい時に申し訳ござらぬ。一言、ご挨拶を、と罷り越しました」

 頭を下げたそのやや小柄な男を見て小十郎は目を疑った。彼は今回の大坂冬の陣において、大坂方で最も勇名を馳せた男と言ってもいいだろう。


 その真田幸村が、軽装のまま小姓を連れただけで彼の前に立っていたのだ。


「これは一体。大坂方の大将であられるあなたが、このような場所においでとは……」

 思わず声を潜める小十郎に、幸村は笑いかけた。

「ご心配はいりませぬ。すでに豊臣、徳川の和議は成っております」

 小十郎は、それはそうですが、と周囲を見回す。すでに陣幕も荷車に乗せてある。密談などできるような場所も無かった。

 ふっ、と息をつき、微笑する。


「そうですな。今更、誰に憚る事もありませんでした。……真田どの、今回の働き、実にお見事でございました」

 急に小十郎の目がキラキラ輝き始めた。

 信州上田城、そしてこの真田丸において、徳川主力軍を翻弄し続けた生ける英雄を目前にした、少年のような目だった。

「もっと持ち場が近ければ、あの出丸の構造を詳しく調べることもできましたのに、残念でなりません」

「いやいや、あれは真田家の重要機密ですから、勘弁下さい」

 幸村は苦笑するしかなかった。


「そう言えば、我が家中の者が、大坂城内で世話になったとか。あれは大事な家臣ですので、私が代わって御礼申し上げる」

 幸村はさり気無く言った。小十郎は眉を寄せて首をかしげる。

「さて。そのようなことが在りましたでしょうか」

「ほう、これは私の勘違いでござったかな。それは失礼を」

 幸村は一礼して立ち去ろうとする。その背中に小十郎は呼び掛けた。


「またお会い出来ましょうや、真田どの」

 それには背を向けたまま、幸村は独り言のように呟く。

「おそらくは。……ですが叶うなら、いくさ場以外でお会いしたいものです」


 小十郎は自分を見つめる視線に気づいた。幸村の小姓がじっと彼の方を見ているのだ。真田幸村によく似て、端正でありながらどこか女性的な容貌だった。

(真田どのの一族だろうか)

 だが、目が合うとその小姓は慌てて踵を返し、幸村の後を追った。


 ☆


「なんという事だ、堀が全て埋められていくではないか」

 悲鳴のような声を上げたのは大坂城内を取り仕切る大野修理 治長だった。

「これでは約束が違う。そんな話ではなかったぞ!」

 豊臣秀頼や淀の方を前にして激しく取り乱している。だがそんな彼を相手にするものはいなかった。みなどこか冷めた目でその狂態を見ている。


「そなたが人のいう事を聞かぬからじゃ。今になって騒ぐでない、ほんに見苦しい男じゃこと」

 せせら笑うような口調で淀の方が制する。

「で、ですがお方さま。あの家康めは、外堀だけだと」

 大野修理は唇を噛んで訴える。


「よい。堀など無ければ、その方が好都合じゃ。のう、秀頼どの」

「左様ですな、母上。これで我が事、成就が見えてまいりました」

 くっくっ、と嗤う。

「大坂を隈なく血の泥濘に変えるのだ。そうすれば、第六天魔王は甦る」

 大野修理はその意味を理解できなかった。ただ、周囲の侍女たちのまったく感情のない、能面のような笑顔を見て、その場に膝から崩れ落ちた。


「どれ、織田有楽斎の置き土産を飲ませてやろう。これでお主も私の眷属だぞ、喜べ修理」

 ひ、ひえーっ、と這いずりながら広間を逃げ出そうとする彼の背中に、次々に侍女たちが覆いかぶさる。

「な、な、何をなさる」

 その大きく開いた口に、秀頼はドス黒く粘る練り薬のようなものを塗り付けた。それは強い血の匂いがした。

「お、おげっ、げえっ」

 うめき声をあげ体を痙攣させていた大野修理は、やがてぴくりとも動かなくなった。秀頼はそれをつまらなそうに見下ろした。


「ふん、失敗か。誰ぞ、こやつを堀に捨てて来るがよい」

 秀頼の命令を受け、表情のない侍たちがその死体を広間から運びだした。

「なんの役にも立たぬ男だったが、最後に堀を埋める砂礫代わりにはなったか」


 ☆


 この和議は双方にとっての時間稼ぎでしかなかった。

 徳川方は兵糧と武器弾薬を補給すれば、再び大坂を囲むだろう。

 そしてそれは、豊臣秀頼と淀の方にとって最も望むところだった。

「城壁は取り払ってやった。さあ、殺しあうがいい。人間ども」


 そして、我が復活のにえとなるがいい。

 豊臣秀頼はまさに悪鬼の表情で哄笑した。

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