第5話 大坂冬の陣
家康が本陣を構えたのは茶臼山という、なだらかな斜面を持つ小高い丘である。全国に同名の山があるが、いずれもそう大きなものではない。だが周囲に高い山が無い大坂において、戦場を見渡すことの出来るこの場所は本陣には最適だったろう。
(なんと、大坂城の壮大なことよ)
家康は改めて感歎する思いだった。
彼方に見える天守のみならず外郭まで含めた大坂城は、地を埋め尽くした全国の兵に対してさえ一歩も引けを取らないように見えた。
「あれは何だ、正信」
遠眼鏡から目を離し、家康は背後に控える謀臣を振り返った。
「大坂城にあんな出丸があったか」
「お耳には入れておいた筈ですが。あれこそ真田が築いたものでござる」
おう、なるほどあれが、と家康は呻いた。
「真田丸、という訳か」
「この本陣の真向かいとは小癪な。攻めて来いと誘っておるようではないか」
「いかにも」
「危うい、危うい」
苦い顔でそう言って首を振る。
「闇夜に灯された明かりのようなものだな。光につられて近づいた羽虫はその身を焼かれる事になろう」
☆
緒戦において最大の激戦は
しかし謙信以来、武の名門を自負する上杉は辛うじて前線を死守し、ついには鉄砲部隊の一斉射撃によって大坂方を粉砕し、鴫野砦を奪取する事に成功した。
他方面においても概ね攻城側の勝利で推移していた。この局面を受け、大坂方は城外の砦を放棄すると、予定通り城内に入り籠城を始めた。
「このまま一息に攻めましょう。まずはあの目障りな出丸を潰すべきです」
家康の後を継ぎ征夷大将軍に就任した秀忠がまくしたてている。
この男は関ケ原の合戦に続き、今回もまた危うく開戦に遅れるところだった為か必要以上に攻勢をとりたがっていた。
「あの出丸なら簡単に陥とせるというか、秀忠殿は」
「もちろんでございます」
さも意外そうな顔をする秀忠を見て、家康は舌打ちしたい気分だった。信州上田という小城に籠る真田昌幸、幸村父子に散々に翻弄され、関ケ原の合戦に遅参するという失態を晒した事をもう忘れたらしい。
「一度、本当に痛い目を見なければ骨身に徹することはないのか……」
戦場における勘。こればかりは書物で身に付くものではないらしい。
☆
徳川の本隊が前線に出てきたとの報告を受け、幸村は立ち上がった。
「家康どのの部隊ではないな」
「それはそうでしょう。そんな軽忽な方が天下を獲れる筈はありません」
残念そうな父を、お宇芽は軽くいなした。彼女も胴体だけを覆う簡単な鎧を身に着け、脇差を帯びている。
「ところで、お宇芽。淀の方についていなくてよいのか」
彼女はぶるっ、と身体を震わせた。
「長くいると、心が侵食されていくような気がするんです。たまにこうして外に出ないとおかしくなりそうです」
「それは以前にも言っていたな……」
幸村は考え込んだ。
やはり、あの城には何かあるようだ。周囲の人間を狂わせる何かが。
「いいだろう。お前の武芸は並みの女子より優れているからな。これから戦が始まるなら文句を言う者もいまい。しばらくここにいるが良い」
ほっとしたように、お宇芽は笑顔をみせた。
そのとき、防柵で何かが弾ける大きな音がした。
「撃って来たな」
涼しい顔で幸村は敵陣を見る。その目が大きく見開かれた。最前線に出てきた部隊は徳川秀忠の馬印を掲げていた。
「総大将御自ら出陣か。いったい何のつもりだ」
「戦を知らないだけではありませんかね」
「おかしいな。上田城ではだいぶ勉強をさせてやった筈なのだが」
うすら笑いを浮かべる幸村に、お宇芽も肩をすくめた。
「きっと、教わる側にも才能が必要なのでしょう」
「お前のようにな、お宇芽」
「やめて下さい。そこまで自惚れてはおりません」
少し拗ねた表情のお宇芽を見て幸村は破顔した。彼女の肩をぽん、と叩き軍配を手にした。
「よし、ではあの征夷大将軍とやらいうお調子者に、丁重ななお返しをしてやろうではないか」
この真田丸にはちょっとした罠が仕掛けてある。遠目の正面からでは一直線の城壁に見えるが、それは防柵の高さや、櫓の立て方によってそう見せているだけだった。実のところは中央部分が窪んだ凹型をしている。安易に正面から接近すれば左右から十字砲火を受ける事になるのである。
「撃てーっ!!」
幸村の号令一下、白煙のなか轟音が響き渡った。
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