第4話 最後の忍び

 中原ちゅうげんに鹿をうという言葉がある。これは古代中国において覇権を争う事を意味するが、日本では戦国時代がこの言葉に最もふさわしいかもしれない。

 天下統一を目前にした織田信長の他、海道一の弓取りと呼ばれた今川義元、戦国最強といわれる武田軍団を擁した武田信玄など、枚挙にいとまがない。


 だが、そんな時代も関ケ原の戦いで幕を閉じた。

 綺羅星というべき戦国の雄たちはみな世を去り、ただ一人、徳川家康が残るだけになっていた。


 家康は大名間の自儘な婚姻、闘争を固く禁じた。併せて『忍び』と呼ばれる者たちの放逐ほうちくを命じる。幕府によって闘争が禁じられている以上、他の大名の動向を探る必要は無いというのがその理由だ。これによって、改易かいえきの危険を冒してまで忍びを”飼う”大名はいなくなった。

 


「なぁに。『忍び』が駄目ならだけの事」

 牙を抜かれた大名達のなかで唯一人、幕府の威光を恐れない男がいた。


「陣中において、必ず

 ……殺れ。

 片目を眼帯で覆った『奥州の独眼竜』伊達政宗は声をひそめ、不敵な笑みを浮かべた。この男はまだ天下への野望を捨てていなかったのだ。

 江戸幕府は未だ家康ひとりの力で成り立っている。つまり家康さえ消せば、この権力組織は即座に瓦解するだろう。伊達家が本当に動くのはそれからだ。


 その恐るべき命を受けたのは、大坂へ向けて出立する挨拶のために、主君の居室を訪れた若い武将だった。


「必ずや、仰せのとおりに」

 片倉小十郎重長というこの青年は、伊達家累代の重臣でありながら、隠密工作にも従事している。その端正な容貌に動揺の色はなかった。

 一礼して主君の前を辞すると、待機していた配下の鉄砲隊を率いて大坂城攻めへと旅立っていった。


 ☆


 完成した真田丸の中で、幸村は一人の男と話し込んでいた。すでに老齢といっていいその男は、幸村たち真田一族が紀州九度山へ蟄居ちっきょさせられていた頃に生活の世話をしてくれていた使用人だった。後始末を終え、幸村を追って大坂にやって来たのだった。屈託のない笑顔で、とんでもない大声で喋っている。


「殿、これはまた立派な城をお持ちになりましたな。この佐助、感動しておりますぞ。とくにあの天守は見事なものじゃのう」

「いや、あれは太閤殿下の大坂城じゃ、わしの造ったのはこの真田丸だ」

 佐助老人は、はぁ?と耳に手をあてた。

「なんと、近頃耳が遠くなりましてな。そうですか、あれはただの別荘と言われるか。なんとまあ豪儀な事だ。さすがは真田の若殿じゃ」

 くわっくわっ、と笑っている。これには幸村も辟易した表情を浮かべていた。


 だが、彼らの様子を間近で詳しく観察したならば、二人の声音が少しくぐもっているのに気付いたかもしれない。さらに、発している言葉と口唇の動きが異なっていることに。

 腹話術の応用と言っていいだろう。全く違う言葉を発しながら、口唇の動きで意思を伝えあっているのだ。

 

「そうか、それは反省せねばならんな」

 幸村は腕組みをした。


 彼らが話していたのはこんな内容だ。

『のう、佐助。わしはそろそろ塩魚には飽きたのだが』

『我儘を言わんでください。籠城しているのだから鮮魚が入る訳がありますまい。本当に、いつまでたってもそんなガキでは困りますぞ』

 意外に大したことは話していなかった。


「衰えてはおらぬようだな、佐助」

 久しぶりにこの会話法を試みた二人なのだった。

 佐助老人はにやりと笑う。

「もちろんでござる。まだまだ腰は曲がっておりませんぞ」

 そのしわだらけの顔に、一瞬精悍な鋭さが浮かんだ。


「よかろう。これからもっと働いてもらうからな」

 『猿飛』の異名を持つこの老人こそ、戦国を生き抜いた最後の忍びと言っていいだろう。彼はゆらりと立上ると、音もなく姿を消した。




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