第6話 天守を砲撃せよ

 真田軍の一斉射撃で、徳川秀忠を取り巻く親衛部隊は脆くも崩れ立った。

 誰よりも秀忠本人が顔色を失くしている。

「よ、よし。今日の偵察はこれ位にしておいてやろう。撤収じゃ」

 完全に裏返った声で命令を下すと、真っ先に後方へ駆け出していく。あわててそれを周りの兵が追っていくという体たらくだった。


「なんじゃあれは」

 城塁の真田幸村は呆れ顔でそれを見送った。

「何をしに来たんでしょうね、あの方は」

 お宇芽も苦笑いしか浮かんでこない。


「いや、だが見事な逃げ足の速さだ。逃げ延びるというのも武将の大事な能力の一つだからな。案外と馬鹿にしたものではないかもしれんぞ、あの男」

 冗談とも本気ともつかない口調で幸村は言う。

 出丸内に設けた陣屋へ戻ろうと踵を返した二人は、思わず目を瞠った。


 きらびやかな具足を身につけた長身の武将がこちらへ向かって歩いて来る。

『威風辺りを払う』という表現が最も相応しい。幸村はごく自然と膝をついた。その後ろにお宇芽も控える。

 だが、いわゆる生まれ持った王者の風格というものとは少し違う。

 それは圧倒的、かつ異質な存在に対する根源的な恐怖といってもよかった。


真田 左衛門佐さえもんのすけ、であったな。どうやら秀忠を討ち損じたようではないか」

 その男は体格に似合わず、やや甲高い声で言った。この大坂城の主、豊臣秀頼その人だった。大野修理のほか、側近の木村重成を引き連れている。

 叱責するような口調ではなく、うっすらと笑みまで浮かべている。しかしその微笑からは何の感情も読み取ることが出来なかった。


 はっ、と幸村は頭を下げた。

「狙うは大御所、家康どの一人にございます故」

 決して言い訳ではなく、幸村は言った。

「征夷大将軍などという小物に用はないか。面白い、頼りにしておるぞ」

 感情の籠らない声で笑った秀頼は、お宇芽に目を留めた。


「この娘……。母上のところで見かけた気がするが」

 その視線を受け、お宇芽は体を強張らせた。代わって幸村が言上する。

「はい。なに分、不調法な娘で。奥周りの事よりはこうして足軽仕事の方が柄に合っておるのでございます」

「ほう、左衛門佐の娘か。よかろう、そちも存分に働け」

 はい、お宇芽は幸村と共に深々と頭を下げた。


 ☆


 その夜、幸村はひとり物思いに耽っていた。

(豊臣秀頼という、あの男)

 故太閤殿下の実子ではないという噂が流れているのは幸村も知っていた。父親はあの大野修理ではないかというのだが……。


「それは、あるまいな」

 思わず独り言が出る。才子ではあるだろうが、軽薄なだけの大野修理からは全く同じ雰囲気が感じられない。


 秀頼を一言で言い表すなら。

「信長公そのものではないか。あれは」

 正確には、信長を特徴づける一種の『邪悪さ』だった。それを更に凝集したものが秀頼の中にあるように感じられてならない。

 まるで信長の嫡子であるかのように。


 そこで幸村はある事実に思い至った。

 この城内に織田信長の血を濃く受け継ぐ者がいる。いや、受け継ぐというより、血を同じくする、と言った方がいいだろう。


 号を有楽斎うらくさいと称し、本名を織田 長益ながますというその男。


 ―――織田信長の実弟である。


 ☆


 織田有楽斎 長益という男は、武将というより茶人としての方が有名だった。温和な性格で奇矯な行動とも縁がない。

 淀の方とは叔父と姪の関係にあたる事もあり、案内も請わず大奥へ出入りするほど信頼が厚かった。そのあたり、疑おうと思えばいくらでも疑う事はできた。

 だが、それを究明したところで得るものは無い事にも幸村は気づいていた。


 幸村は、有楽斎の時折見せる粘りつくような視線を思い出した。

「生贄を選んでおられるのですな、あの目は」

 干し柿をちびちびと食べながら、佐助が飄々とした顔で言った。


「なんだ、その生贄というのは。何か祭祀でも行われているのか」

 幸村は佐助に大坂城内を探らせているのだった。

「はあ。有楽斎さまのお屋敷の離れですが、捕らえられた忍びが連れ込まれておるようで……」

「個人の邸に、捕らえた忍びを?」

「わしらのような者の他に、千姫さま付きの侍女も含まれております。ですがその屋敷から出たものはいない、という有様でして」

「どういう事だ。中に監禁されているのか」


 佐助は首を横に振った。

「運び出されてはおりますよ。もちろん自分の足で、ではありませんが」

 この百戦錬磨の老人から表情が消えた。


「ばらばらになった生首や手足、内臓はらわたの入った水がめが何度も出て行きましたから」

 幸村は口に運ぼうとした干し柿を、また皿に置いた。


「どうやら、第六天魔王を復活させるのだとか。その儀式を行うために人を狩っておるようでございます」

「なんと厭わしいことだ」

 幸村は顔を曇らせた。徳川方よりも、先にそっちを攻撃すべきではないだろうか。本気でそう思った。


「ところで佐助。そんな処まで踏み込んで、危険はなかったのか」

「ああ。実は最早これまでと覚悟する事態に陥りましたのですが」

 佐助はそこで白髪頭をかいた。

「ある者の助けを受けまして、こうして無事に還ったという次第で」

「その者とは……」


 その時、轟音と共に何かの飛翔音が響いた。

「始まったようです」

 飄々とした表情を変えず、佐助は柿を食っている。


 徳川方の陣地から放たれた一発目の砲弾は、大坂城の櫓を破壊した。

「ふむ。まあまあの腕のようで」

 佐助は額に手をかざし、着弾地点を窺っている。

 続けて撃ち込まれる砲弾は明らかにある一点を指向していた。

「まさか、織田有楽どのの屋敷を狙っているのか」


「命を救われたお返しに、絵図の一部を見せてやったのです」

 織田有楽斎と、淀の方の居室の位置が描かれた絵図を。

「いったい何者なのだ、その相手というのは」

「いやいや。忍びは互いに名乗ったりはせぬもので。まだ若いけれども、腕の立ついい男でしたぞ」


 おお、そうでした、と佐助は何か思い出したように視線をあげた。

「何処かのお国言葉の名残があったような気がしますな。あれは、奥州だったろうか」


 ☆


 当時、こういった攻城戦に使用される大砲は一括りに『フランキー(砲)』と呼ばれることが多いが、この時使用されたのは更に大口径の『カルバリン砲』だとも言われる。徳川家康はそういった大砲を大量に集め、城攻めに使用したのだ。


 この瞬間、大坂城の巨大な城郭は意味をなさなくなった。どれだけ守備を固めても、その頭上を越えて飛来する砲弾を避ける方法は無かったからである。


 淀の方を中心とする大坂方は、一気に講和へと傾いていった。



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