最終話 六文銭は大坂に散る

 徳川家康は、全国の大名に向け再度の出陣を命じた。

 目標は言うまでもない。大坂城だった。

 各地の大名たちは再び大坂の地に軍勢を集結させた。


 それは天下平定を目指す徳川家康と、第六天魔王復活を期する豊臣(織田)との最後の戦いでもあった。


 裸城同然となった大坂方は各街道を封鎖する手に出る。進攻してくる徳川軍を各地で迎え撃とうというのだ。

 その中で、奈良と大坂を結ぶ街道の要衝、道明寺がまず双方の係争地となった。


 先に道明寺に到着したのは伊達政宗の部隊だった。率いるのは片倉小十郎重長である。鉄砲隊を主力とし、大坂方を待ち受ける。


 払暁、深い霧の中に人馬の動く音が伝わって来た。

「敵は後藤又兵衛基次の隊にございます。その数およそ三千!」

 斥候が駆け戻り、短く告げる。

「三千だと。少ないな」

 伊達家を含めた徳川方はその10倍近い兵力を持つ。各国の軍勢の寄せ集めではあるが、それは大坂方も同じだろう。


 これは罠ではないか、小十郎が戸惑ったのも理由がない事ではなかった。


「合図により一斉射を行う。……第二陣は左右からの伏兵に備えよ。騎馬部隊は臨機に対応できる態勢で待て!」

 各部署に指示を与え、小十郎は深い霧に目を凝らした。


 風によって一瞬だけ霧が薄くなる。

 敵の姿を視認した小十郎は右手を高々と上げ、そして勢いよく振り下ろした。

「第一陣、撃てっ!」




 確かに弾丸は命中したはずだった。

「なぜ倒れない……」

 弾着の瞬間だけは動きを止めた大坂方だったが、すぐに何事も無かったかのように接近を続けている。伊達家を含む徳川方に動揺が起きた。

 

「やはり、例のものを使わねばならないか」

 小十郎は第一陣の鉄砲隊を下げ、第二陣を前に出した。

装填してあるだろうな」

 鉄砲隊組頭は強張った表情で頷いた。


 第二陣の鉄砲が火を噴いた。


 ☆


「静かになりましたぞ」

 深い霧の中を手探りするように進んでいた明石 全登ジュストは、並んで進む真田幸村に声をかけた。

 先程まで激しい発砲音や喚声が聞こえていたが、ふっとその音が止んだ。


「間に合わなかったか」

 幸村は顔をしかめた。計画では後藤、明石、真田の隊が合流して徳川軍を迎撃する筈だった。しかし未明からの深い霧で彼らの進軍は大きく遅れてしまった。

「陣形を崩すな、このまま進め」

 

 おそらくこの辺りが道明寺なのだろう、見覚えのある場所に出る。その頃になってようやく霧がはれて来た。

「おうっ」

 明石全登が呻いた。行く手を遮るように徳川の大軍が陣を敷いていた。おそらくその兵力はこちらの倍はあるだろう。

 そして対峙する軍勢の間には、後藤又兵衛の手勢がその屍を晒していた。


 硝煙の匂いに混じって周りに漂う腐敗臭。

 甲冑を着ているのは既に白骨化した兵士たちだった。まだ人の姿を残しているものも、見る間に腐り果て骸骨となっていった。


「これは、悪魔の所業ではないか……」

 思わず明石全登は胸の前で十字を切った。


 徳川軍の足を停めているのも同じ恐怖からだった。

 しばらく睨みあったのち、双方どちらからとも無く兵を引いた。

 



 片倉小十郎は手にした一発の弾丸を見詰めている。


 家康の側近、南光坊天海が用意したというその弾丸。一つ一つ鉛で鋳造しているのだが、その表面にはある絵柄が刻んであった。

「これは、桔梗ききょうの紋ではないか」

 桔梗を家紋とする家は多くあるが、その中で最も有名なのは明智家であり、誰か一人をあげるのであれば、明智光秀であろう。


 あの男はまだ闘い続けているのだろうか、小十郎はその弾丸を握りしめた。

 

 ☆

 

「総攻撃は明日と、決した模様でございますよ」

 大坂城内には入らず野営をしている幸村の許に佐助が報告に訪れた。密かに徳川陣内を見て回ったようだ。

「ではもはや、これまでか」

 幸村は小さく呟いた。各方面から同時に攻め掛かられては、天守以外に防御手段のない大坂城は一たまりもない。

「いかがなさいますかな、若殿」

「いいかげん若殿は勘弁してくれ。いや、すまん。今まで世話になったな、佐助」

「……勿体ないお言葉を」

 老いた忍びはかすかに目を潤ませていた。




 翌日の朝も、昨日と同じような濃い霧になった。


「私は大坂城へ向かいます」

 明石全登は手勢を幸村に引き渡し、そう言った。

「そして、あの母子を討つ。真田どのは、大御所を……」

 幸村も頷いた。


「大奥の中は案内が必要かと思いますが」

 声を掛けたのはお宇芽だった。具足を着け、足軽のような格好をしている。 

「殿方は大奥の構造はご存じないでしょう。わたしが一緒に参ります」

「それはいけません、お宇芽どの」

 驚いた全登は幸村を見た。だが幸村は黙って首を振った。かすかに笑みを浮かべている。

「言い出したら聞かない娘でして。申し訳ない」

「母たちが中に逃げ込んでいるのです。それを連れ出す必要もありますから」

 全登も頷くしかなかった。


「では、ご武運を」

 幸村と全登は最後の挨拶を交わした。


「お宇芽、皆を頼むぞ」

 ぽん、と娘の肩を叩く。お宇芽は父に縋り付き、しばらくそのままでいた。


 ☆


 明石全登とお宇芽は大奥の廊下を走り抜けていた。

 激しい砲撃が続き、そのたびに建物は大きく揺れた。淀の方が居を移した場所も砲弾ですでに破壊されていた。

「正確に狙っているのだな」

「感心している場合ではありません、と。人がいますよ」


 瓦礫となった壁の下に一人の女が埋もれていた。お宇芽も見覚えがある淀の方の侍女だ。血まみれとなり、すでに虫の息だった。

「しっかりして。お方さまはどちらに」

 女は目を開いた。その眼に、あの妖しい光はなかった。

「……ここは、私はどうして……ああ、痛い、いたい」

「聞いて! お方さまはどこに行ったの」

 お方さま……、女はかすかに呟き、最後に言った。

「秀頼さまと、避難を……。天守、に」

 こと切れた女を見下ろし、お宇芽と全登は顔を見合わせた。


 その時、大音響が大坂の戦場に響いた。

 天守の弾薬庫を砲弾が直撃したのだ。一瞬にして大天守は炎に包まれた。


 ☆


 幸村率いる真田軍は、真っ赤な甲冑を更に血で染め上げ、徳川の本陣を大きく突き崩しながら家康に肉薄していく。愕然とする家康を幸村はその目で捉えた。


 しかし、もう何度目とも知れない突撃の果て、残る手勢も僅かとなっていた。

 逆に包囲されかけた真田軍の横腹へ向けて、新たな黒い甲冑の部隊が突入してきた。その旗印は『竹に雀』

 奥州の雄、伊達家の家紋である。

 そして先頭に立つのは片倉小十郎重長だった。


「歴史に名を残すには十分なご活躍。あとは……」

 そこで不意に小十郎は黙り込んだ。


「あれをご覧ください、真田どの」

 少し震える声で小十郎は幸村の背後を指差した。

 そこには燃え上がる天守閣があった。

 どす黒い煙と紅い炎が渦巻きながら天を焦がしている。

 

 その炎の中に何かの姿があった。人のようであり、獣のようでもある。

 おぞましくもありながら神々しい、見る者の心を不思議と惹き付けるその姿。

「弥勒菩薩が……」

 かすれた声が聞こえた。声の主は家康だった。彼は立ち上がると、二三歩前に出て、そのままばったりと倒れ、動かなくなった。

『厭離穢土 欣求浄土』

 家康の旗印が、その上で揺れていた。



悪魔サタン、いやあれが本当の神の姿なのか」

 全登はロザリオを握り、喘ぐように言った。

「明石さま、火の粉が飛んできます。早く逃げましょう」

 お宇芽の声で我に返る。

「そうだったな、お宇芽殿の家族も探さなくては」

 もう一度、胸の前で十字を切り、全登は屋敷を出た。


 ☆


 真田の最期の攻勢は伊達家の片倉重長によって撃退された。

 敗れた幸村はひとり戦場を離れ、自害したと云われる。

 この時、徳川家康も命を落としたのだという噂が流れたが、それを裏付ける証拠はない。公式には、家康の死はこの翌年である。


 残されたお宇芽たち幸村の一族は、明石全登に守られ、伊達家に庇護を求めた。当主の伊達政宗は幕府の追求から彼女らを守り抜く。

 のちに、お宇芽は片倉小十郎重長と結ばれることになるのだが、それはまた別のお話。


 ☆


「姉上も、利用する相手を誤ったものよ」

 江戸城の奥。彼女は救い出された娘、千姫とともに談笑していた。

「これからは、わらわたちが信長公の跡を継がねばのう」

「はい、母上」

 お江の方と呼ばれる彼女は二代将軍秀忠の正室である。

 そして、織田信長の姪にあたり、淀の方の妹でもあった。


 笑みを浮かべる二人の瞳は妖しい紅い光を帯びていた。



 ――― 終

 



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真田戦記~大坂城の第六天魔王 杉浦ヒナタ @gallia-3

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