第2話 大奥の深い闇
「ほう、そなたが
声を掛けられ、お
正面に座るのはこの城の実質上の主、淀の方だった。母親のお市の方は絶世の美女であったというが、淀の方もその血を受け継いでいるのは間違いない。
漆黒の艶やかな髪、色白の顔に切れ長の眼。唇の紅が鮮やかに映えている。
女から見ても思わず惹き込まれるほどの美しさだった。
だが、お宇芽は強い違和感を感じた。
(何故だろう、なんだか造り物めいて見えるのは……)
左右に居並ぶ侍女たちに目をやった彼女は更にその感を深くした。
この部屋に居る女たちの誰一人として、人間らしさを感じることができなかった。みな同じような笑みを浮かべて彼女を見ている。
底知れぬ恐怖を感じ、お宇芽はまた顔を伏せた。
それは図らずも、かつて徳川家康が秀頼に対して感じたものと同じだった。
「よう参ったな。そなたも秀頼どのの為に、命を懸けて働いておくれや」
甲高い声が頭の上で聞こえた。
はい、とお宇芽はひれ伏した。
☆
準備があるので、と一旦大奥を出たお宇芽は、幸村のもとへ駆け込んだ。大坂城内に真田家が与えられた居所である。
ちょうど幸村は搬入された甲冑を見て相好を崩していたところだった。それは、全体に赤漆を塗った煌びやかなものだった。
「どうじゃ、お宇芽。これを直属の兵士すべてに着用させるのだ。すごいであろう」
「おおう、これは」
お宇芽は用件も忘れ、それに見入った。
「まるで信玄公の赤備え。その再来ではありませんか」
ふふん、と幸村は得意げに笑った。
「わしの兜にはさらに六文銭の前立てを付けるつもりだ」
前立てとは兜の前面に取り付ける装飾である。鎌倉時代では『
有名なところでは伊達政宗の巨大な『三日月』や、黒田長政の屏風のような『一の谷』などだろう。
六文銭とは地獄の三途の川で必要な渡し賃だ。転じて、命を惜しまず戦うという意味を持ち、真田家の家紋でもある。
「うーん、でもそれよりもっと目立つものの方が良くありませんか」
お宇芽は少し不満気だった。
「なんじゃ。例えば」
「そう、例えば『愛』という文字とか」
「それは目立つだろうが……もう、わしの知り合いが付けているからな」
「じゃあ、『爺』はどうですか。文字の画数では負けておりませんよ」
「一体、どこで勝負しているのだ。いやだよ、爺いの前立てなど」
敵味方、双方が戦意を失いそうだ。
「そうだ、お父さま。わたしはこんな下らない話をしに来たのではありません」
いきなり真面目な顔になるお宇芽。
「断っておくが、下らない話をしていたのはお前だけだぞ、宇芽」
そう憤慨する幸村を気にする様子もなく、お宇芽は続ける。
「お父さま、この大奥はおかしいです。特に淀の方、あれは妖怪です」
「おい、口を慎め。誰が聞いているか分からぬのだぞ」
ふたりが羽音に振り向くと、庭先から大きな鴉が飛び立っていった。
☆
この間、方広寺の鐘銘事件が起こっている。
とにかく戦を起こしたかったのだろう、徳川方の焦りさえ伺えるお粗末極まりない事件である。豊臣家が鋳造した方広寺の
一例をあげると『君臣豊楽』『国家安康』というのがそれだ。豊臣を君主として楽しみ栄え、家康の名は二つに切り裂くものだ、というのである。
「徳川家の恥さらしだ。
これには家康も激怒した。立案したこの二人は家康の政治面での側近であるが、それでも到底許すことができない程の愚策だと思った。
「これで後世まで三河者は無知蒙昧の輩よ、と言い囃されるだろう」
「よいではありませんか。殿が滅ぼそうとなさっているのは豊臣ではございません。織田の血を引く者どもでございます」
冷静な声で諫めるのは、
「第六天魔王の末裔を滅ぼすのに、何の理由が要りましょう。ただ、劫火によって焼殺すればよいのです。それが仏の御心にかなう事でもあるのですから」
それは、と家康は唾をのみ込んだ。
「あなたが、本能寺でやったようにか。……光秀どの」
天海は鋭い眼光をふと緩めた。
「これは、また。いったい誰の事で御座いましょうな」
僧天海はくくっ、と笑った。
江戸と大坂の和平交渉は決裂し、双方は公然と戦支度を始める事になる。
大坂冬の陣が勃発するのは、もう間も無くだった。
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