樹影

深川夏眠

樹影(じゅえい)


 高原の木陰のベンチに座って本を読むうち、没頭してしまって、気づいたときは待っていたバスが目の前に停まり、客が一人、降りようとしていた。

 その人に何故か惹きつけられ、中腰のまま乗車しそびれた。背の高い彼が身を屈め、落ちた栞を拾ってくれた。

 夕暮れの寂しい道を、言葉もなく連れ立って歩く。初めて会ったはずなのに、見覚えがある。それとも知り合いの誰かに似ているのか。あるいは悪夢の中で自分を追い回していた殺人鬼だろうか。

 傾く日差しが影を長く引き伸ばす。吸血鬼には影がないはず……と、思い出した瞬間、鬱蒼とした木立に分け入り、地面は濃い灰色に塗り潰された。これで立場は対等だ。

 彼がチラチラこちらを見下ろしてくる、不穏な気配。チャンスを窺っているのか。来るなら来い——緊張で背筋に汗を滲ませ、口の中で呟いた。いつでもナイフを取り出せるよう、身構えながら歩調を整える。だが、相手の方がずっと素早く、遥かに凶悪な武器を振り翳して斬りかかってきそうじゃないかと思ったら、ゾクゾクして手の震えが止まらなかった。



                  【了】



◆ 初出:note(2015年)退会済


*縦書き版はRomancer『月と吸血鬼の遁走曲フーガ』にて無料でお読みいただけます。

https://romancer.voyager.co.jp/?p=116522&post_type=rmcposts

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樹影 深川夏眠 @fukagawanatsumi

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