第3話 勘の良い友人(2)

 久志が達也と出会ったのは小学五年生の時だ。


 エリアによっては池や広場、集合墓地もあり、春にはお花見に来る人々で賑わう、市内ではわりと広大な公園でのことだった。そこは自然も豊かで、木々や草花が生い茂る中を散策できるウォーキングコースもあり、そこへの入口は久志の家のすぐ近くにあった。


 週に三回は塾に通っており友達と遊んだりするにしてもほぼ屋内であった久志には、小学校の校外学習や花見の時以外縁のない場所だったが、その時は一人黙々と公園内に足を踏み入れた。そして歩きやすく整備されたウォーキングコースからあえて逸れ、木々が乱雑に生い茂る道なき道を突き進んだ。緩やかな斜面になっており、所々木の根が盛り上がっていたりとでこぼこしていて歩きにくかったが構わず、行く宛てもないまま久志は歩き続けた。


 今の自分の姿を誰にも見られたくなかった。一人になりたかったのだ。


 涙が止めどなく目から溢れ、頬を伝い流れ落ちる。拭っても拭っても溢れ続けるその雫をどうにかすることを久志はとうの昔に諦めていたため、酷い顔をしているに違いない。


 きっかけは些細なことだった。小学校の飼育小屋で飼われていたうさぎが死んだ。一羽。名前はうさ次郎。飼育小屋では全部で五羽のうさぎが飼われており、そのうちの一羽だった。


 何か事件性があったわけはない。病死したのだ。寿命もあったのだろう。


 うさぎは五年生が当番制で世話をしており、またうさ次郎は久志達の代が入学したのとほぼ同時期に飼われ始めたため、同学年の大半は悲しみに暮れていた。


 それは久志のクラスにおいても同様で、教室内は悲しみに包まれていた。久志はそんなクラスメイト達に対して思ったことをそのまま口にした。いや、口にしてしまった。


「代わりのうさぎなんてまだたくさんいるだろう」


 五羽もいたうさぎのうち一羽だけ死んでしまったのだ。まだ残り四羽もいる。うさ次郎も他の四羽も全て同じ品種だった。他の四羽を同じように可愛がればいいのに、クラスメイト達は何をそんなにも悲しんでいるのだろう? 久志としてはそんな純粋な疑問も含んでの発言だった。


 しかしその発言に対し、誰も彼もが久志を非難した。


「うさ次郎は一羽だけなんだよ。かけがえのない命だったんだよ」


「みんなで飼っていたうさ次郎が死んじゃったのに、何とも思わないのかよ」


「頭おかしいんじゃねーの」


「普通はそんなこと言わない」


「冷たい奴。人としての心がないんだよ、きっと」


 等々直接言われたり陰で口々に話されたりした。まるで異物を見るような冷たい眼差しを皆、久志に向けてきた。そして、やがて誰もが久志のことを無視し始めた。他の人間と違って情がない、共感性が欠如していた久志を排除することは五年四組のクラスにおいては正義だった。


 仲間はずれ。独り。誰からも相手にされない。皆が久志を嘲笑う。


 そのことを悲しいと思ったわけではない。ただ、悔しかった。しかしだからと言ってどうして泣けてくるのかはわからない。自分自身のことが久志にはまるでわからなかった。


 煮え切らない胸中をどうにかしたくて闇雲に歩いていた久志はふと視界に飛び込んできた人工物に足を止めた。


 木々がやや開けた場所にビニールシートが敷いてあった。そして仕切りのつもりだろうか。その端は足で跨げる程度の高さだったが、大きな石やそれに類似するガラクタを重しに立たされた段ボールで区切られていた。


 そんな人の手によって作られたスペースの片隅には、さらに座布団を敷き、その上で両手で持った携帯ゲーム機に興じる久志と同じ年頃の少年が一人いた。


 相手も久志の存在に気づいたのか、携帯ゲーム機を両手に持ったまま、こちらに視線を送ってきた。


「誰だ!? 君も僕のことを酷い奴だって嘲笑うんだろう?」


 先にその場所に陣取っていたのは明らかに彼なのだが、クラスメイトと変わらない年齢であろう他人の存在に久志はそう叫んでいた。


「はぁ!? ここは俺の秘密基地だ。お前が勝手に他人のテリトリーに入ってきただけだろうが」


「でもどうせ、泣いている僕のことをざまあみろって笑うんだろう?」


 怪訝そうな表情をする彼を差し置き、さらに久志は喚く。煮え切らない、クラスメイト達に対する思いを。それは完全なる八つ当たりだった。


「泣いている奴を笑ったりなんかしねーよ。『大丈夫?』なんてうざいことも訊かないがな。俺はゲームするので忙しいんだよ」


 そんな久志を怒ることも詰ることもせず彼はぶっきらぼうに言うと、再び両手で持つゲーム機に視線を落とした。それ以上、久志のことを見ようともしなかった。


 久志はそんな彼を尻目に踵を返した。彼がいる限り、久志は決して独りにはなれない。


「おい! 別に立ち去れとは言ってないぞ。その面隠すために、こんな奥まった場所まで来たんだろう? 俺の邪魔さえしなければ別にいてもいいさ。気にしないしな。来る者拒まず。もっとも、去る者は追わないがな」


 久志が足を踏み出し、靴が地面やそこに群生する草々と擦れる音が耳に入ったのか、彼はその背中にそう声を掛けてきた。


「座布団もクッションも何もないが、スペースぐらいは貸してやってもいいぜ」


 久志が振り返ると、彼はゲーム機の画面を注視ししたまま告げる。


「……」


 久志は黙ったまま彼を見つめる。彼はそんな久志に目もくれず、ゲームに興じている。


 久志は彼の秘密基地の前まで無言で歩くと靴を脱ぐ。そして仕切りを跨ぎ、ビニールシートの上に足を着け、履いていた靴を仕切り側に踵がくるよう、両足をきちんと揃えて置いた。それからゲームに夢中になっている彼とはできる限り離れた、ビニールシートの片隅に腰を下ろした。


 久志も達也もずっと同じ小学校に通っていたのだが、一学年五クラスもある人の多い所だったため、一緒のクラスになることはなく、お互いに面識はなかった。しかし、このことがきっかけで久志と達也は度々話すようになり、今では相談するような仲になっていた。


「わかった。相手が傷つくかもしれないってことを念頭に置いて、すぐ別の誰かと付き合ったりするのは慎むようにするよ。お互いの合意の上で別れたのに傷つくっていう感覚はわからないけれど、そういうものだと理解はする」


 久志にとって一般的な他人の感情の機微は、親の体の一部が分かれてそれがそのまま子になるのが無性生殖、雌雄が関わって子を成すのが有性生殖であるというような、勉強と同様に取得する知識だった。知ってさえいれば、共感できずとも振る舞いとしての最適解には到達できる。


「お前にも同等の好意があれば良いんだがな。そういう相手を見つけて付き合うようにしたらどうだ?」


「好きって何だろうね。何を基準に好きだと言えるんだろう?」


「少女漫画的なアレじゃないのか? 胸がドキドキするだとか、頬が熱くなるだとかその人のことばかり考えちゃうとか何とか」


「それはつまり性的に興奮できれば良いってことかい? それを好きだと認識すれば良いのかな?」


 性的に興奮すれば身体は熱くなり、気持ちも昂ぶる。目の前の異性のことしか考えられなくなる。それが好きだということならば、欲情できる相手のことを自分は愛していると言えるのだろうか。


「恋愛事とまるで縁のない非リアな俺にそんなガチなノリで訊かれても困るわ! そもそも好きかどうかもわからないのに、付き合うってのが意味不明だっつーの」


「君にもわからないことがあるのかい?」


「多種多様な他人の価値観の全てがわかるかよ。俺はサイコメトラーじゃねーし、皆が皆一律の基準で行動したり、感情を覚えたりするかよ。現にお前みたいなリア充様の価値観などまるでわからん。好きが何なのかも非リアの俺には縁がないからわからん。当然のことだろう」


 言外に目を丸くする久志に達也は呆れたように言う。


「お前はたまに俺を一般人の代表格のように扱うが、俺は非リアのオタクだし、もし仮にそうじゃなかったとしても全ての人間に対して共感できたりその感情を理解できたりはしねーよ。特に色事に関してはな」


「でも一般的なことに関しては普通の価値観を持っているだろう? そして他人の気持ちも感情も理解できるし推し量れる。僕と違って。僕は元カノである永倉さんが死んだのに、全然悲しくないし、みんなと同じ思いを共有できない」


「……お前は相変わらずだな。じゃあどうして亡くなっても全然悲しくもない永倉が死んだ理由を知りたいんだよ」


 しばし間を置き久志を見つめた後、達也は問う。


「単純に形から入ってるだけだよ。普通の人が元カノが死んだら取るであろう行動を模倣する。形だけでも真似ていればいつか本当に僕にもその行動原理が理解できるかもしれないからね」


 普通の人が取るであろう行動を模倣し履行する。まるで影踏みかのように追っていけばいつか久志にもその行動原理がわかるようになるかもしれない。人として取るべき振る舞いが自然とできるようになるかもしれない。


「……そうかよ。まあ、お前にはわからないなりに理解しようとする姿勢があるからいいけどよ」

 そう達也が言った時、突然今流行りの電子の歌姫の声が激しいロック調の音楽と共に響いた。バイブ音も聞こえる。達也のスマートフォンが鳴り始めたのだ。


「誰だよ、こんな時に」


 達也はぼやきつつスマートフォンのディスプレイを覗き込む。


「出てあげなよ」


「おう」


 悪ぃなとでも言うかのように達也は頷くと彼は自身のスマートフォンをタップし耳にあてる。


「……なんだよ。電話してくるなんて珍しいな」


 電話口の相手にぶっきらぼうな応対をする達也。


「……久志なら俺んちにいるけど。それも目の前にな」


 自分の名前が出てくるとは一体誰からなのだろうか。久志は好奇心から達也をじっと見つめる。


「なあ。今、清香から電話がかかってきてるんだけど、深蔵部がお前に会いたいって言ってるそうだ。深蔵部にお前がここにいるって伝えてもいいか?」


 スマートフォンから耳を離し、達也は久志にそう尋ねてきた。


 電話口の相手は達也の幼馴染みである三村清香。清香は達也と同じく漫画やアニメが大好きな所謂オタクな女の子だが、一般的な話題に対しても手広く見聞があり、誰とでもそれなりに話ができる上に、交友関係も広い。深蔵部結衣とも元々それなりに話す仲なのだろう。


 しかし、清香を頼ってまで久志に会いたいとは。家を出て以来、スマートフォンはマナーモードのままバッグに入れっぱなしだったためわからないが、もしかしたら久志と連絡がつかず、人づてに彼の行方を探していたのかもしれない。


「別にいいけど、会いたいってことはここに来るつもりなのかな?」


「それは知らねーけど」


「三村さんはともかく、あまりよく知らない深蔵部さんはこの部屋には招きたくないだろう?」


「何が言いたいんだよ」


「もし深蔵部さんが僕のいるところに来たいっていうなら場所を変えて会おうかなって。でも僕は君とももう少し話がしたい。それに時間もお昼前と中途半端だ。だから午後一ぐらいに僕の家に集まってもらうってことにしたいんだけど、いいかな? もちろん三村さんも誘って」


「確かにこんなオタ部屋に深蔵部を招くのは避けたいが、俺とこれ以上話したところで、永倉が飛び降りた原因はわからないぞ」


 達也は釘を刺す。


「深蔵部さんは永倉さんと仲が良かったんだ。たぶん、永倉さんが唯一心を開いていた相手だよ。だからき

っと彼女の話は有意義なものになるし、君にもそれは聞いてもらいたいなって」


「俺が深蔵部の話を聞いたところで、何かわかるとは限らないぞ」


 達也はなおも言い張ったが、これ以上電話の相手を待たすべきではないと思ったのだろう。再びスマートフォンを耳に当て、電話口に語り出す。


「もしもし。深蔵部に俺んちにいるって伝えてもいいってよ。ただ、もし会いたいっていうのなら、午後一ぐらいに久志の家に来ないかだとよ。イケメン様がご自宅にご招待して下さるそうだ。清香も一緒についてってやれよ」


 そして達也と清香のやり取りの末、久志の家に皆で集まることは決まったのだった。
















  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

その時彼女は飛んでいた 七島新希 @shiika2213

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ