ボーン・ドリーマー、あなた

naka-motoo

今すぐにキミの街へ駆けて行くよ

 カッ飛ばした。


 カノさんから電話があったのが夜中の3時。もう日付は9月2日に変わっていた。


 あと5時間もすれば新学期の始まる時間だ。


 僕は走った。夏休み、高校の同級たちに下僕のように連れられて僕の街のはずれにある一軒家に住み込みのバイトをしに来ていたカノさんが帰ってしばらく連絡がなかった。


『スマホの履歴を定期的にチェックされるの』


 彼女がそう言っていたのは親にじゃない。カノさんをいたぶっていたあの水谷さんたち同級の女子どもだ。


 バイト期間が終わってカノさんと別れる時、彼女は僕の胸におでこを預けて「辛いよ」と泣いた。自分のあだ名のことも泣きながら話そうとしてくれた。

 僕は約束したんだ。


 自転車で行くって。


「怖くない怖くない怖くない怖くない」


 峠の下をノーブレーキどころかペダルをフル回転で回し切った。まだ真っ暗な山道の前方に車のテールランプが見えてきた。


「怖くない怖くない怖くなあいっ!!」


 ブチ抜いた。


 GPSのセッティングすらもどかしくて出発したから定かじゃないけどたぶん、僕のこのロードレーサーは80kmは出てる。


 でも、だからどうした。

 カノさんは、


「死にたい」


 って僕に電話してきたんだ。


 彼女を失いたくない。

 しかも『いじめ』なんかで絶対に。


 僕は、男だ。


 もう自分のココロで決断し、行動できる男なんだ。


 あれっ?

 車のライト?

 なんだろう、車線、はみ出てるけど・・・


 ・・・・・・・・・・・・・


 どうしよう。涙が止まらない。

 普通、来るわけない。

 だってキトくんだって今日から新学期なんだから。


 お母さんはお父さんが居なくなってからわたしの話を一切聞いてくれなくなった。気持ちはわかる。でも、分かったところで辛いだけ。お母さんを恨みそうになったりもする。


 ああ。


 どうしてわたしはいじめに遭っているんだろう。

 どうしてこの世はこんなに辛いんだろう。

 どうして朝がやってくるんだろう。

 どうして夏が終わるんだろう。


 朝、目が覚めて、それでもう死んじゃってたらどうなんだろう。


 キトくんが来てくれたとしてでもそれでどうなるんだろう。

 わたしたちは高校生で、高校生同士で何を変えられるんだろう。


 ああ。

 寂しい・・・

 辛い・・・


 ・・・・・・・・・・・・・・


 ・・・危なかった。よく避けられたな。あの車、多分居眠りだな。


 あ、痛!


 骨は大丈夫みたいだけど・・・右足首が相当痛いな。

 痛いのはどうでもいいんだけど、そもそも力が入らないな・・・


 ああ、もう5時だ。


 3時間で着くつもりなのに。


 とにかく道路に戻って・・・ってどうやってこの斜面を自転車担いで登る?

 でも、登るしかないってことか。


 ・・・・・・・・・・・


 ああ。

 もうじき日が出てくる。夜が明ける。

 そうだよね。

 今日行かなかったって何か変わるわけじゃない。

 だって明日はまた来るもん。

 明日の朝が、また来ちゃうもん。


 だから、永遠に朝が来ないようにするには・・・夜明け前に決断するしかないんだね・・・


 河がいいかな・・・


 ・・・・・・・・・・・


 ああ・・・僕は何やってんだ。

 蔦で自転車引っ張り上げるなんて、いつの時代だよ、ここは。


『死にたい』


 カノさんは僕にそう言った。

 じゃあ、カノさんのお母さんは何してるんだ。


 いや、わかってる。

 カノさんのお母さんはお父さんと別れてからずっとココロを閉じたままなんだ。カノさんのお母さんも辛いココロで努力して努力して毎日を生きてるひとなんだ。


 じゃあ、誰に言えばいいんだ。

 先生? 信用できない。

 友達?助けるだけのパワーバランスにない。

 医者? この時間に「今すぐ救われたいんです!」って?


 他のひとたちなんてどうでもいい

 僕がカノさんのそばに行けばいい。

 そして、救うんだ。


 ・・・・・・・・・・・・・・


 ああ。


 もう山の稜線が朝日の逆光で黒く濃くはっきりと見えてきた。

 朝の光が、わたしは辛い。

 責め立てられてるような気分になってしまうの。


 河は増水してないから息が途切れるまで時間がかかるかも

 あ、でも夏の渇水で水深は浅くなってるから、落ちたら川底に身体を打ってそれでおしまいかな。


 でも、おかしいな。


 ほんとは家からだともう一つ下流の橋の方が近かったのにわざわざこの道を選んでしまった。


 この道はキトくんの街からずっと繋がってる国道だから。


 ああ。


 ごめんね、キトくん。


 やっぱりもう我慢できないの。


 朝まで、もう待てないの。

 早く、ラクになりたい・・・


 欄干の上に立つのは怖い。

 河に向かって脚を出して、座ろう。


 ・・・・・・・・・・・・


 ああ・・・早く、行きたいのに。

 3時間で行ける、って夏の初めに別れた時、約束したのに。


 最後の峠がこんなにきついなんて。

 まだ、頂上までたどりつかない。


 カノさん。


 好きなんだ。

 ほんとに好きなんだ。


 あの時、まだ夏休みが終わらないからって、学校がまだ始まらないからって、帰すんじゃなかった。

 そのまま僕の街に、僕の家に置いて、一緒に暮らせばよかった。


 一緒に生きてればよかった。


 とか言ってなんで、僕が泣くんだよ。

 泣いてるのはカノさんだろ。


 いや違うな。僕はカノさんを好きでたまらなくて感傷的になって泣いてるんだ。

 カノさんの、怪我したトンビを2人で拾い上げて輪行袋に入れて病院に連れて行った時の、あの肩の柔らかい感じを思い出して・・・


「こういう妄想でもしないとこんな坂、登ってらんないよ、っと!」


 お?


「おわあ! 河だ! 登り切った!」


 なら彼女の家へは後は下るだけのはずだ。


 えい!


 ・・・・・・・・・・・・


 とうとう朝日が稜線から全部昇り切った。

 もう、しなきゃ。


 こんな大きな三車線もある橋の欄干に座って足をぶらぶらしてると、ちょっとだけいい気分かな。


 ちょっとだけだけどね。


 水面の照り返しが眩しいなあ・・・

 この光を観て希望を持つひともいるのかなあ。


 ああ、あ。


 どうしてキトくんとわたしは違う街に生まれたんだろう。


 一緒の街だったら。

 一緒の学校だったら。


 わたしが今こんなところに座ってるわけないのに。


 でも、もういいの。

 そう、いいのさ。


 最後はちょっと映画みたいに無理して笑ってかっこよく終わろうか。


 少しずつ、お尻を前に滑らせて・・・


「カノさん!」



 え!?


「あ!」

「あっ、カノさん!」


 ・・・・・

 ・・・・

 ・・・

 ・・

 ・


 パシャ・・・・


 落ちた・・・・







 靴が。


「カノさん!」

「キ、キトくん・・・」


 カノさんの右の靴は高さ15mの橋の上から水面に吸い込まれるように落ちていって、僕はロードバイクをガシャ、と放り出して顔だけ振り返っている彼女を背中から抱きとめた。

 そのままゆっくりと歩道側に下ろしてあげる。


「遅れてごめん」

「ううん・・・来てくれたの・・・う、嬉しい・・・・」

「辛かったね」

「ううん。いえ、やっぱり、ほんとに辛かった。毎日辛かった。自分で自分の胸をぎゅーってしても、壁に背中を当てて体育座りしてても、どんな風にしても、辛かった。ほんとにほんとに、辛かったの・・・」

「うん。そうさ。辛いよ。カノさんは偉いよ。よく待っててくれたよ」

「ほんとは、もう、ちょっと、でね・・・落ちるつもりだったの・・・もう、我慢できないから・・・耐え切れないから・・・」

「そうだよね。ほんとだよね。ありがとう、待っててくれて。僕も嬉しいよ」


 僕は彼女の後ろ髪をそっとブラシで梳くように撫でてあげた。髪を撫でた後は、背中を何度も何度もさすってあげた。小さな肩をもっとすぼめて泣く彼女。


 僕は、僕の決断を告げた。


「カノさん。帰ろう」

「え」

「僕の街に、帰ろう。帰って、それから次の動きを取ろう。キミにひどいことをしてる水谷さんにも会う必要なんかない。一生会わなくたって別にだからってそんなのどうでもいいことなんだ」

「うん、うん・・・」

「お母さんにだけは心配かけないように連絡して。そしたらこのまま僕の街に、一緒に帰ろう」

「・・・ありがとう・・・えと」

「ん?」

「わたしの自転車は?」


 僕らは国道を伝って何十というバス停をいくつも歩いた。


 2人で並んで1日ずっと一緒に歩いた。僕の街に向けて。時々、手を繋いで、また放して、そして繋いで。


 このままずっと歩いていくのさ。


「ばあちゃん、ただいま」

「おばあちゃん、ただいま」



・・・FIN

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