第4話 恋はシトラス

「俺はさ、あんまり恋愛とかよく分かんねーよ」


 コントローラーを操作しながら、甘夏は静かに言った。


「てか、本当に無縁だと思ってる」

「なんで?」


 聞いてみると、甘夏は目の前の魔獣にとどめを刺した。作業のように淡々とこなしていく。


「俺さ、昔、いじめられてたんだけど」


 甘夏の口はそこまで重くない。いつもの自虐をさらっと流すような手軽さがあった。


「女子と一緒に遊ぶのは悪いんだとさ」


 そんな話は聞いたことがなかった。私は何も返せず、ただただ画面の中にいる魔獣を探している。


「それで、一人でゲームしてたら、俺よりも強いプレイヤーが周りにいなくなって」


 魔獣探索に走り出す甘夏を追いかけ、横槍を入れてくるNPCをあしらう。

 私は「ふーん」と小さく唸った。そして、ポンとひらめく。


「ん? 甘夏って、もしかして自分が恋愛しちゃいけないって思ってるのか」


 言ってみると、甘夏は首を傾げている。


「あー、そうなのかなぁ……」


 自分のことなのに不確かな回答だ。

 私は椅子を寄せて甘夏の顔を覗き込んでみた。


「甘夏って、好きな人、いる?」

「………」

「いるのか?」

「………」

「おいこら、甘夏。答えろよー」

「……木野、クエストきた」


 無視。

 完全に黙秘を決めている。

 それにしても、甘夏の好きな人……考えたこともなかった。もし、いるのなら私が友達としてしか認識されていないのも頷ける。

 誰だろう。甘夏の好きな人、すごく気になってゲームに集中できない。

 幼い頃、甘夏はいじめられていた。それは女子と遊んでいたからだという。甘夏の身近にいた女子は……


「史っ」


 頭に浮かんだ言葉が口をついて出て、ぐっとこらえる。

 史緒なのかもしれない。甘夏の好きな人というのは、沢井史緒だ。



 ***



 帰りに、私は史緒の家に寄った。甘夏からは有益な情報を得られそうになく、こうなったら直撃してみるしかない。

 ドアチャイムが鳴るとすぐに奥から声がする。


「はーい。あ、睦心ちゃん」


 笑顔の史緒が現れる。甘夏の家と同じ間取りだから、史緒の部屋は入り口側に近い。でも、甘夏のようなゲーム部屋とは違い、白を基調とした女の子の部屋。カーペットの上に座らされ、白いミニテーブルを挟んで向かい合う。


「どうしたの?」

「あの、甘夏の好きな人について知ってるかどうか聞きたいんだけど」

「へ?」


 史緒は素っ頓狂な声を出して、それから大きな目を丸くした。


「えっ、なになに? 甘夏くんの好きな人?」

「うん……知らないならいいんだけど」


 この様子じゃ知らないようだ。お互いに好意を寄せているというわけでもなさそう。

 私は落ち着きを取り戻してしまった。一方で、史緒のテンションは爆上がりする。


「えーっ、甘夏くんって好きな人いるんだ! 『俺は恋愛とかキョーミねー』って感じでいるくせに! へぇーっ、そーうなーんだー」


 ……すまん、甘夏。余計なことをしてしまった。


「じゃあ、あなたたち、付き合ってないのね。てっきり二人が付き合ってるんだと思ってたのに」

 興奮冷めやらぬまま、史緒が言う。その発言に、私は思い切りのけぞった。

「はぁ!?」

「だって、ほとんど毎日一緒にいるじゃない」


 それはそうかもだけど。それは、私が甘夏を振り向かせようとしてて……言い訳が喉元で大渋滞する。


「ともかく、私じゃないと思うよ。私も甘夏くんのこと、恋愛対象に見てないし」

「そうなんだ」


 やっとの思いで出た相槌はこの場のテンションにはそぐわない。それでも史緒は楽しそうだった。


「私の好きな人は強くて格好よくてー、優しくて頼りになる人。昔いたのよー、そんな男の子が」

「そんなやつ、いるんだ」

「いるのよ! でも、小二の時に引っ越しちゃって、それっきりでさ。あ、もしかしたら睦心ちゃん、知ってるんじゃない? 小二までこっちにいたんだし」


 私は首をかしげた。


「知らないかな、っていうの」

「む……?」

「クラス違ったし接点はなかったんだけど、下校途中に野良犬に追いかけられてね。それを追い払ってくれたの。甘夏くんなんて私を置いて逃げちゃったのに、その子は私を守ってくれたの。一度っきりしか会ってないけど、あれが私の初恋」


 私はテーブルの角にひたいを打ち付けた。ごつん、と痛い音がする。

 それ、絶対、私だ。その男子は私だと思う。でも、史緒のことを覚えてない。甘夏のことしか記憶にない。


「あれ? そういえば睦心ちゃんって、あの子に似てるような……でも、あれ?」


 史緒も気付き始めた。

 気まずい思いでいっぱいになる。しばらくして、私たちは渇いた笑いを上げていた。



 ***



「ねぇ。私さー、昨日、失恋したんだー」


 コントローラーを連打する空間で、史緒の暗い声が漂う。

 甘夏の部屋。ベッドに横たわる史緒の空気を背中で感じながら、私は黙々とクエストをこなしていく。


「き、い、て、よ! 私! 昨日! 失恋したんだよー!」

「ごめんってば! それは昨日謝っただろ!」


 堪らず声を上げると、甘夏が左耳を塞いだ。


「うるせーな。痴話喧嘩なら、よそでやれ」


 その瞬間、モニターの両方が爆発する。荒野の中、私たちのキャラクターがどっちとも魔獣の餌食に。あーあ。


「……話は大体わかった」


 しばらくして甘夏が椅子を回転させた。


「史緒は八年前、木野のことを男だと思っていた。それを昨日知ったと」

「はぁーあ。初恋の相手がまさか女の子だったなんて」

「確かに、昔の木野は男だったよな」


 甘夏までそんなことを言う。


「でも、失恋って『失う恋』って書くだろ。気持ちが失くなってないなら、別に騒ぐこともないんじゃねーの」


 なんだよ、その理屈。


「そっか。失くなってないなら別に失恋ってわけじゃないのか」


 意外にも史緒が賛同する。そして、私を上目遣いに見た。


「や、ダメだよ、史緒。私、女子とは付き合えない……」

「ちぇー、残念」


 残念がるな。


「男を取っ替え引っ替えするよりは健全じゃねーか」


 おい、甘夏。やめろ、煽るな。

 あぁもう。なんでこんなことに。


「ってことはなんだ、私はあの時代、みんなに男だと思われてた?」


 それはなんか癪だ。そりゃあ、服は兄のおさがりだったし、言葉遣いも悪いし、よく怪我してたし、男子っぽいって言われるし……


「同じクラスじゃなきゃ、分かんないよ」


 史緒の口調にはトゲがある。私は黙ることにした。


「あ、じゃあ甘夏くんも、あの当時は睦心ちゃんのこと、男子だと思ってたの?」


 この言葉に、私はすぐに顔を上げた。甘夏を見る。

 無表情だ。どんよりと暗い目の下にはうっすらとクマが見える。その顔には無しかない。動揺しているようにも見える。どうしたんだろう。


「やっぱそうなんだー。そういえば甘夏くんって、一時期、別クラスの女子が好きなんじゃないかって噂が流れてたんだよね」

「え?」

「おい、史緒」


 史緒の発言に、甘夏がたしなめようと顔を上げた。しかし、そんな甘夏をの椅子を思い切り遠くへ押しやって、私はすぐに史緒に飛びついた。詳しく頼む。


「女の子と毎日仲良くしてるからっていう理由で、クラスのボスに目をつけられちゃってさー。でも、別に女の子と仲良くしてたわけじゃないんだよね。だって、あれはむっ――」

「史緒、帰れ」


 慌てて遮る甘夏。その動きといったら尋常じゃなく早く、素早く史緒の腕を持ち上げて締め上げる。


「へ? なんで? ちょっと、甘夏くん!? 痛いんですけどー!」


 抵抗する史緒。だが、問答無用で部屋から追い出されてしまった。あえなく玄関まで追い立てられていく。

 静かになる室内。私はずっと動けない。頭の中を整理するので忙しかった。

 甘夏は、私のことを男だと思っていた。私は好きなひとから女子だと認識されていなかったらしい。ということは、昔、仲が良かったのは私のことを男子だと思っていたから……だろう。

 なんてことだ。これ、完全に脈なしでは。


「失恋だ……」


 紛れもなく失恋。私はそもそもフィールドにすら立てていなかった。


「いや、なんでそうなるんだよ、バカ」


 一仕事終えたように息をつく甘夏が部屋の扉から現れる。

 甘夏は冷蔵庫からレモンシャーベットを出してきた。私の頭に押し付ける。冷たいし痛い。


「痛い、甘夏。痛い、冷たい」

「普通、そこで失恋って発想になるか? ならねーだろ、バカ」

「はぁ?」


 なんでお前にバカ呼ばわりされなきゃいけないんだ。意味が分からない。

 あれこれ画策して、バカなことはしていた。それは認めよう。でも、説明もなしに「バカ」だと言われたら、素直にムカつく。


「入学式を思い出せ。よく考えろ。いつもの妙な作戦考えてる頭はどこやった」


 なんなんだ。めちゃくちゃ怒ってる。私よりも怒ってる。

 甘夏の声がいつも以上に冷たい。シャーベットよりも冷たい。頭を押さえつけられてるから顔は見えなかった。


「誰にフラれただの、失恋しただの、散々言われるこっちの身にもなれ」


 え?

 私が甘夏の気を引こうとしていたことが、バレている? そんなバカな。


「待って待って。ちゃんと説明しろ、甘夏」


 シャーベットと甘夏の腕を掴んで引き寄せる。すると、バランスを崩した甘夏が私に覆いかぶさる。机に手をついた形になり、距離が近い。何が起きてるのか分からない。


「……小学生のとき、俺は、お前が男だと思ってた」


 この状況で静かに語り始めるから、私はごくんと唾を飲んだ。


「でも、お前が転校してから女だって知った」

「あ、転校してからなんだ」

「一時期、俺は女子と一緒にいることでいじめられた。それはお前のことだ」


 次第に、甘夏はうつむいてしまった。机から手を離し、遠ざかっていく。

 分からない。甘夏はいつも言葉足らずだから、結局なにが言いたいのかはっきりしない。ちゃんと口で説明してくれないと分からないよ。


「俺はお前を忘れたこと、一度もねーんだよ。また遊びたいって思ってたんだ。去年、ゲームで会った時も、ハンネですぐに木野かもしれないって思ってた。でも会ったら、昔と全然違っててさ」


 甘夏はイライラと椅子に座って、シャーベットの蓋を開けた。


「中身は昔のまんまなのに、外面だけ変わってて。あー、やっぱ女子だったんだなーってすげー落ち込んだんだよ……なんだろ。それから、お前のことがちゃんと見られなくなった」


 一口食べる。その一口がいつもより大きい。


「でも、俺はお前とゲームがしたかった。だから誘ったのにさ、すぐ彼氏作って、無駄にフラれて。バカみてー」


 むすっとむくれた顔で頬張っていく。それを私は唖然と見つめるしかできない。

 いま、何が起きているんだろう。


「お前、俺が恋愛しちゃダメだと思ってることに気づいといて、俺の気持ちには気づかないのな。ここまで言ってもまだ分かんねーのかよ、鈍感女」


 甘夏はシャーベットを頬張ったまま、むくれた顔を見せた。不機嫌いっぱいの顔だ。


 えーっと、ということは?


「甘夏って、私のことが、好き……?」


 どうしてもっと早くこの結論にたどり着けなかったのか、よく分からない。でも、この状況の方がもっと分からない。


「気づくの遅すぎ」


 甘夏はもごもごと言って、シャーベットをごくんと喉へ送った。

 私を睨みつけている。


「いや、分かるわけないだろ!」


 しかも好きな女に向ける顔じゃないだろ、それ。

 あぁ、もう。私もバカだけど、甘夏はもっとバカだ。



 ***



 甘夏いわく、失恋というのは気持ちを失くしてから始まるものだという。冷めないうちは失恋とは言わないらしい。転校した私のことが忘れられなかったのは、その理屈のおかげだとか。それはそれで怖いけど。


「それじゃ、なんとなく付き合ってフラれたのはカウントしないってことだな」


 荒野を駆けるキャラクターの機敏な動きを目で追いかけながら、私はふと呟いた。


「おい、集中しろ。次のポイントで魔獣くる」


 鬼気迫る勢いの甘夏。その背中をチラッと見て、すぐに画面に目を戻す。

 あれから一週間が経過したが、私たちはいたっていつも通りだった。

 今日も元気に魔獣を狩りに荒野を走る。そろそろエンディングを迎えそうな大事な時期だから気が抜けない。

 甘夏のライフは相変わらず満タンで、私のはだいたい八十パーセントか、それくらい。


「よし、いける」


 その言葉通り、激しい連打で見事に魔獣を倒した。塵と化して消えていくと、画面いっぱいに「completeコンプリート」の文字が浮かび上がる。

 ついに長い戦いが終わった。これで、星に平和が訪れる――


「じゃない! そうじゃない!」


 私は思い切りコントローラーを机に置いた。

 椅子にもたれて歓喜に脱力している甘夏はまったく動じない。


「おいこら、甘夏! お前、私と付き合うって話どうなってんだ!」

「はー?」


 気だるそうに返事をして、冷蔵庫からレモンシャーベットを出す。一つを私に投げた。


「その気のない女子を家に上げるとか、普通しねーだろ。他に何を望むんだよ」

「史緒も上げてるだろ! 特別感がない!」


 足を踏みならして猛抗議。そんな私を置き去りに、甘夏は遠くを見る。


「んー、なるほど……」


 つれない態度で蓋を開け、静かに食べ始めた。私ももう諦めてシャーベットを開ける。

 まったく、これじゃあいつもと変わらない……



 唐突に呼ばれ、その声の近さに驚いて顔を上げると、目の前にレモン色のスプーンがあった。ぱくんと口に入れる。冷たくて酸っぱい。でも、すぐに溶けて甘くなる。


「……何、急に」

「間接キスってやつ」


 得意げに言う甘夏。その笑顔は、ずるい。

 私の中の甘酸っぱいものが弾け飛んだ。


〈完〉

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シトラスタイム 小谷杏子 @kyoko

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