第3話 裏切りのシトロンケーキ

 学校に行けば、甘夏はすでに自分の席で寝ている。誰とも交流しない。それを横目で見ているだけで、とくに話しかけたりはしない。


「おーい、木野ー」


 廊下から呼ばれる。数人の友人グループが私を呼んでいる。廊下の奥には背が高い男子がいる。


「何ー? どうしたの?」


 慌てて行くと、彼女たちはその男子を私に押し付けた。


「なんか、話あるってさ」


 それだけ言われ、巻き髪の女子たちは楽しげに笑いながら去って行った。教室から生暖かい目で見守っている。


「話って?」


 私は首を傾げて視線を上げた。すると、その男子はにこやかに照れ臭そうに言った。


「俺、二組の田代って言うんすけど、いや……その、広田と別れたって聞いたんで。木野さん、フリーなら、良ければ付き合ってくれないすか」


 これで何度目だろうか。入学して付き合って、フラれて別の人に告白される。

 顔が赤くて恥ずかしそうなのに、こんな廊下の片隅で堂々と言えるのも度胸があるのかなんなのか分からないな。でも、人の好意を無下にするわけにはいかない。


「田代くんって、バスケ部?」

「え、はい。そうっす」

「じゃあ、広田から聞いたの? 私がフリーだって」

「や、別のやつから聞いて。だって、木野さん可愛いし。結構、有名なんすよ、木野さんって」


 どの辺が可愛いのかははっきりとは分からないが。でも、そう言われて舞い上がらないわけがない。

 私は「えへへー」と照れ隠しに笑った。そうすると、田代も同じく「えへへー」と笑う。


「じゃ、付き合うってことでOKっすか」

「えぇっと……」


 私はちらりと教室の中を見た。友人グループは「行け!」とジェスチャーを送り、応援している。その奥にいる甘夏を見た。

 こいつは、こちらの様子に気がついてないようだ。はぁ……。


「うん。分かった。じゃあ、今日からよろしくね、田代くん!」


 彼の手をぎゅっと握ってみる。田代は嬉しそうな顔をしている。


「ありがとう! 木野さん!」


 その手を引かれていきなり抱きしめられる。大きいから包容力があて、私なんかすぐに隠れてしまう。

 背後で女子たちの拍手が聞こえた。




 二組の田代はバスケ部で、私とはあまり接点がない。でも、私はどうやらバスケ部で有名らしい。多分、広田のせいだろう。何を話したのか知らないが、田代いわく「木野さんはスタイルいいし、顔も可愛いし」とのことだった。それだけで好きになってくれるというのは、嬉しいけども。てか、これで喜ばないはずがない。

 昔から「男子っぽい」と言われてきたのに、高校に進学してからは「男子っぽい」を封印したからか、かつてないほど男子からチヤホヤされる。女子友達とも良好で、これはもしかすると人生におけるモテ期ってやつじゃないか。

 甘夏よ、私の外面だって使いようによっては化けるんだぞ。


「ふふふふん」

「……きもい顔してんな」


 ニヤニヤと口角を上げていると、ひたいにシャーベットのカップを押し当てられた。


「いやぁ、だってさぁ。私、モテ期来ちゃってるんだしぃ? そりゃあ浮かれてもしょうがなくなーい?」

「うーわー、引くわー」


 甘夏の言葉はいつになく辛辣だ。でも、今の私は寛大だから許してあげよう。


「人生には三回はモテ期があるんだよ。知らないのか?」


 得意げに言うと、甘夏はアイスの蓋を開けながら「知らん」と言った。


「俺には無縁な話だなー」


 出たな、甘夏のブラックジョーク。私は身構えていたにもかかわらず、それを笑って流した。甘夏の目が少しだけきつくなる。


「モテ期ってことは……また彼氏できた?」

「大正解!」


 スプーンを突きつけながら言うと、甘夏はクルンと椅子を回転させた。


「そりゃ、おめでとーございました」


 ボソボソと呟く甘夏はそれきり何も言わなかった。ひたすらにシャーベットを削っている。

 これは、もしかすると、妬いているのでは。ついに作戦が効いてきたのか。

 私は甘夏の背後にゆっくり近づいた。


「甘夏くーん? どうしたんですかー? なんか怒ってるー?」


 じわじわと忍び寄り、私ははたと彼の画面を見た。甘夏は右手でシャーベットをすくいながら、左手でキーボードをいじっている。ソーシャルゲームのPC版をいじっている。超高速でシナリオを読み飛ばしていた。

 ダメだ。甘夏は全然興味を持ってくれない。私は諦めて自分の椅子に戻った。


「今回は絶対持たせてやるからな」


 そんな宣言をしても、甘夏は振り返ってくれない。



 ***



 田代との交際は順調だった。甘夏に言われた通り、外面だけがいい木野睦心ではなく、内側も可愛い木野睦心でいることを心がけた。本当の自分を見せてしまったらフラれるし。それに、長く続けば甘夏だって私の存在のありがたみに気がつくだろう。

 だんだんと、甘夏の誘いを断るようになり、私は教室よりも体育館へ行くことの方が多くなった。アルバイトがない日は基本的に部活を見に行く。そんな毎日の繰り返し。

 広田の時は、バイトで会うからと連絡もデートもおざなりにしていたけど、今後失敗しないために、今のうちに自分のスキルを上げておかなくちゃいけない。

 マメに電話もして、帰りはいつも一緒で、楽しく会話する。それをやっておけば大丈夫大丈夫――



 そんな日々も三週間過ぎた頃だった。


「ごめんなさい、木野さん」


 裏庭に呼び出されたと思えば、いきなり頭を下げられる。背の高い田代の頭が鼻にあたりそうで思わず一歩後ずさる。


「え、何……?」

「いや、あの、その……別れて欲しいんだ」

「はぁっ?」


 たまらず大きな声が出てしまった。

 いかん、いかん。声を荒げるなんて、そんなの可愛くない。

 田代は顔を上げると驚いたように目を丸くして、それから気まずそうに笑った。


「なんて言うか……木野さんと一緒にいるのはすごく楽しいんだけど、でも、ちょっと疲れたって言うか。こう、毎日毎日、連絡も一時間おきとか。きついなーって。広田にはそういうこと聞いてなかったから、余計にギャップというか。思ってたのと違うっていうか」


 田代は言い訳めいた言葉をボロボロとこぼした。


「だから、ごめんなさい。木野さんはいい子だし。他の誰かと幸せになってよ」

「あー……そっか。分かった」


 軽くあしらえるから不思議だ。本当にフラれ慣れているらしい。

 その時、背後から男子生徒がゴミ箱を持って現れた。色素の薄い髪――甘夏だ。

 見られた。この現場を。いつもなら興味ないくせに、なんでそこにいるんだ。


「……それじゃあ」


 田代はそそくさとその場を離れていった。逃げて行く。私はその後ろを追わない。フラれてしまったんだから、追う意味がない。

 甘夏は平然とした様子で、裏庭の奥にあるゴミ捨て場に消えた。私の足は田代よりも甘夏の方に向く。


「よう、甘夏」

「よー、木野」

「もしかしてさぁ、今の見てた?」

「まぁ、うん。あんな場所でする話じゃねーよな」


 ぎこちなくボソボソと言われる。甘夏はゴミを思い切り焼却炉の中へ落とし、ゴミ箱を地面に置いた。そして、前髪越しに私を見る。


「でも、ああ言うとき、お前なら絶対殴るし、罵倒の一つや二つしても良かったんじゃねーか」

「そんなことしたら、余計に後味悪くなるだろ」

「別に良くね? フラれたんだし」


 その言葉は軽々しい。抑揚のない声で、楽観に言ってくれる。

 本当にその通りなんだけど、それを今、ここで言われるのはムカつく。惨めで恥ずかしい気持ちになる。

 同時に、甘夏は私のことをなんとも思っていない。そんな風に思えてくる。

 私は震える拳を抑えた。そうすると、勝手に涙が出てくる。


「え、木野? 大丈夫か?」


 普段は鈍感なくせに、こういう時だけ妙に鋭い。


「うるさい! 大丈夫じゃねぇよ、バーカ!」


 頭の中がぐちゃぐちゃで、どうしたらいいか分からなくなった。早足に甘夏を追い越して、そのまま走る。


「おい、木野! 逃げんじゃねー」


 背後から甘夏の荒い息が聞こえてきた。振り向くと、ゴミ箱を小脇に抱えて追いかけてきている。


「なんでついて来るんだよ!」

「お前が泣くから」


 すぐに返ってくる言葉。私は混乱した頭で、その言葉を変換するのに忙しい。

 甘夏は息を整えると、ゴミ箱を裏返して底に座った。普段、運動をしないからめちゃくちゃ疲れている。


「あいつのこと、好きだった?」

「ううん」

「じゃあ、なんで泣くんだよ」


 それは……言えない。

 黙っていると、甘夏はため息を吐いた。


「……ゲームやれば、すっきりするんじゃねーの」


 しばらく溜めて言ったそれは、甘夏らしいなぐさめだった。

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