第2話 思い出はチョコレートオレンジ

 そこから何か発展するかと思えば何もなく。

 どうにかこうにか近づいても、甘夏はいつもスマートフォンから顔を上げない。頑なに。なんとか話を聞いてくれるようになったが、興味を示してくれない。

 かと思えば、突然自分から私の机にやってきた。六月の半ばのことだ。


「木野、助けて」


 言葉足らずに助けを求めてくる。珍しい。普段はクラスメイトの誰も寄せ付けないのに。


「いいよ! 何なりと!」


 私もチョロかった。甘夏に頼られるのが嬉しくてつい。

 甘夏は安心したように表情を緩めた。


「ありがとう、木野。助かる」


 そうして、彼は私を家に招き入れた。引っ越す前まではよく遊びに行っていた隅田家は変わらない。マンションの一室。両親は共働きで、夜まで帰ってこない。

 部屋に入ると、ここだけが昔と変わっていた。扉を開けて真正面に机。そこにはゲーミングパソコンが鎮座する。

 甘夏は制服のまま、すぐに机の椅子に座った。デスクトップの電源を入れる。モニターに現れたのは荒廃した世界。美麗なグラフィックには暗雲が立ち込める。精神が鍛えられると、一部では人気のアクションRPGゲーム。


「ここが攻略できなくてさ。協力じゃねーと入れないっぽいから、お前ならできるかなって」


 甘夏はもう一台あるデスクトップの電源を入れて、私に言った。


「そこ、座って。じゃ、ヘルプ頼むわ」


 狭い四畳半の部屋にベッドと机と液晶テレビ、仰々しいハードウェア。ベッド脇には埃をかぶったパソコン。棚には教科書や本よりもゲームソフトの方がはるかに上回っている。

 私は、なぜか期待していた。だからか、高揚が一気に沈下していった。

 なんでだろう。私は、どうしてこんなに落胆しているんだろう。

 昔はそうじゃなかったのに――

「むっちゃん」と呼ぶ甘夏を、私はずっと覚えていた。どうしても忘れられなかったのは、甘夏が頼りなくて可愛くて、守ってあげないといけなかったから。

 でも、今はそれがなくて。

 寂しくて、もどかしい。喉の奥が、なんだか不機嫌になる。

 甘夏は私のことを、ゲームができる友達としか認識していない。もうあの頃みたいに頼ってくれない。


 私は甘夏が好きだ。これは多分、恋ってやつだろう。手に入らないものを手に入れたい欲。

 しかし、このゲームオタクを振り向かせるのは至難の技だ。猫をかぶっても、かぶらなくてもこいつは振り向かない。

 まず、私へ興味を持たせなくては。そのためには、ゲームで信頼関係を築くしかない!


 でも、甘夏はやっぱり甘夏だった。私への興味どころか、協力プレイの時だけ呼びつける都合のいい友達として扱い始める始末。

 私は早急に方針を変えることに決めた。


 押してダメなら引いてみろ作戦――!


 太古の昔から言われている恋愛の基本。押しまくった後、急に素っ気なくなれば、否が応でも気になってしまうもの。その心理を突いた作戦が甘夏にも効くだろうと考えた。


「私さー、◯組の◯◯と付き合うことになったんだー」


 動揺を誘う。それまで一緒にいた私に、突然彼氏ができるというハプニングを演出するのだ。私というゲーム仲間が減るのは嫌だろう。

 私を失えば、今後、遊んでくれる人は誰もいないぞ。

 さぁ、どう出る、隅田甘夏。


「……ふーん」


 一切、モニターから目を逸らさない。



 そうして、また時は経ち、現在に至る。




「なんか最近、ころころ彼氏が変わってるよな。お前、ここにくる度にそれ言ってるよ」


 シャーベットを食べ終えた甘夏が唇を舐めて言った。

 私はまだ食べ終わってない。じゃくじゃくと溶けるレモンシャーベットはいつまで経っても甘くない。


「乗り換えるの早すぎだろ」


 それはお前が私に興味ないからだ。


「そういうやつほど、将来、婚期とか遅れるんだよ」


 お前にだけは言われたくない!

 あぁ……やっぱり、告白するにはまだ早い。この段階じゃ、絶対にフラれる。

 他の男にフラられるのは慣れても、甘夏にフラれるのだけは嫌だ。


「よし、んじゃ再開するか、木野」


 私が食べ終わるまで甘夏は待っていた。指を曲げ伸ばして準備している。

 その時、玄関のチャイムが鳴った。


「宅配?」


 聞くと、甘夏は「ちげーな」と何やら確信ありげに呟いた。面倒そうに部屋を出て行く。私はそのまま椅子に座っている。

 途端に玄関先が賑やかになった。


「あ、睦心ちゃん来てるじゃーん。やっほー!」


 部屋に飛び込んで来たのは、いかにも優等生で清楚なハーフアップの女の子。沢井さわい史緒しお――甘夏の幼なじみ。それも、生まれた時から十六年間。私よりも幼なじみ歴が長い。


「まーたゲームしてる! ほんと、毎日毎日飽きもせず……」


 呆れた言い方で狭い部屋に上り込む史緒。躊躇なくベッドに座った。


「何しに来たんだよ、史緒。帰れよ」

「来たばっかでそれはないでしょー! いいじゃん、ちょっと漫画読ませてよ」


 史緒の言い草に、甘夏は不機嫌に眉をひそめた。


「あーもう、勝手にしろ。木野、ゲームやろー」

「どうぞどうぞ、私のことは気にしないで」


 史緒は棚から少年漫画を引っ張り出して、ベッドに寝転んだ。お嬢様っぽいのに、中身はガサツだ。どこか通じるとこがあるから憎めない。

 史緒の家は厳しいらしく、あんまり漫画が読めないらしい。だからたまに甘夏の家にやって来ては漫画を読みにくる。それも突然に。同じマンションだから当然か。


「おい、木野。ぼさっとすんな」


 コントローラーがぶるっと震える。甘夏が私のキャラクターを攻撃したらしい。


「何すんだ!」


 思わず怒るも、甘夏は無視。目はすでに画面にかじりついている。

 あーあ、無駄に回復ポーション使わせるなよ。

 本当にいつまでも進展しない。この状況がいつまで続くんだろう。でも、楽しければいいような。

 漫画を読む史緒がたまに冷やかしにきて、結局は三人でゲームの画面を見て笑っている。一人でプレイするより、ずっと楽しい。


「おー、睦心ちゃんつよーい。すごーい」


 やはり、背後から史緒が冷やかしにきた。私の指さばきよりも、画面にいるキャラクターを追いかけている。


「甘夏くんよりも上手いんじゃない? 見た目もかっこいいし」

「いやいやいや、それはないよ。甘夏の方がやばいし」


 騎士は見た目が派手だ。大きな剣を振るえば、雑魚魔獣なら一発で仕留める。それくらいのスキルは上がっているから、見栄えはいい。


「えぇー、そうなの? 私、ゲームってよく分かんないからさぁ」

「史緒もやってみればいいのにー」


 私は笑いながら言った。史緒も笑う。

 その後ろに甘夏の視線……冷たい。なんだろう。細めた目で私をじっと見ている。


「木野、そういうとこだよ」


 声まで冷たかった。

 いや、なんだよ、そういうとこって。なんなんだ、こいつ。


「そういうとこって、何?」


 私の代わりに史緒が聞く。でも、甘夏の背中はツーンとしていて何も答えてくれない。


「なんなの、甘夏くんったら。意味分かんない」


 史緒はベッドに戻り、漫画を手に取った。

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