シトラスタイム

小谷杏子

第1話 君はレモンシャーベット

「私さー、昨日、シツレンしたんだー」


 唐突に軽く言ってみる。


「へぇ。失恋ねぇ」


 甘夏あまなつは、私のことなんか目もくれずに返してきた。


「そうそう。失恋したんだよ、私」

「へぇ……あ、木野きの、そこにポーション隠れてるから拾っとけ」


 見事なスルースキル。おそるべし、隅田すみた甘夏あまなつ。さすが私が見込んだ男。まったく動じてくれない。

 かく言う私も、視線は目の前の画面に釘付けで。

 冷えた部屋で、パソコンのモニターにかじりつく甘夏と、もう一台の画面で甘夏の動きを追いかける私。目の前に広がるのは荒廃した野原。世界は終末。わずかに生き残った人間たちと母星を守るため、私たちは遺跡を巡り、魔獣を狩る任務を遂行して――

 じゃない。そうじゃない。


「おいこら、甘夏。私がフラれたっていうのに、それだけかよ。あーあ、お前って、本当に冷たい男だな。幻滅だよ、あーあ」

「うるせー。今それどころじゃねー」


 ズーン、と重たい音が部屋を震わせる。目の前には巨大なドラゴン。この世界では魔獣も化石だ。屍のくせに、手ごわいやつだ。


「来た! おい、木野っ!」


 普段は声も出さずに会話する甘夏が声を荒げる。それにより、私もコントローラーを握りなおす。変な汗がじわっと手のひらに浮かんだ。


「お前は裏から回れ!」

「りょーかい!」


 さぁ、大仕事だ。これに負けると次のシーンに進めない。ライフは七十パーセントくらいか。甘夏は満タンっぽいけど。

 私のキャラクターは騎士だ。それなのに甘夏は、私を裏に回して地味な攻撃をさせる。魔獣のヒットポイントを減らす協力プレイばかりさせる。私もたまには真っ向から――

 じゃない。そうじゃなくて。

 ダメだ。甘夏のペースに流されている。このままだと、私はいつまで経っても甘夏の友達。ただのゲーム仲間のまま……


「よし。いいぞ、木野。そのままヘルプ頼む」


 甘夏のキャラクターは盗賊だ。全身黒ずくめの貧弱そうなビジュアルだが、スキルは高い。魔獣の攻撃を難なくスルーしていく。無駄のない、鍛え上げられた指の動きは圧倒的。

 その姿は昔から変わらない。

 でも、昔はもっと可愛かったはずだ。ゲームをしている時だけ人が変わったように生き生きするけど、それ以外はまるでポンコツ。勉強も運動もダメで、さらには弱虫で。半べそをかいて私の後ろをついてくるような男の子だった。

 私が引っ越してから何があったのかは知らないけど、友達はほぼいない。

 これは「俺は友達なんかいらねー」と言い張るクール的思考ではなく、「俺より強いプレイヤーがいねー」というゲーマー的志向が原因だ。

 この隅田甘夏という男、オンライン上ではそこそこ名のあるゲームプレイヤーである。カビミカンという妙なハンドルネームを使い、影の薄いキャラクターを選ぶのが甘夏スタイル。隠密行動を得意とし、いつの間にか鍛え抜かれたスキル、そして集中力は他の追随を許さない。


「はぁー……なんとか倒せたー」


 私はコントローラーを太ももの上に置いた。画面ではドラゴンが塵となって消えていく。ムービーが穏やかになってきた。

 すると、甘夏が一息ついた。椅子を回転させて私を見る。


「アイス食う?」

「食う!」


 間髪を入れずに飛びつくと、甘夏は「ん」と短い返事をして小型冷蔵庫からカップアイスを取り出した。それを頭の上に置かれる。髪の毛に冷たさが浸透する。そのまま、ひたいにスライドさせて熱を吸わせた。固くて冷たいカップが、白熱した私を冷ましてくれる。

 甘夏は蓋を開けてスプーンで、固いシャーベットを削っていた。


「ところで、なんでハンドルネームを『カビミカン』にしたんだ?」


 私はふと疑問に思ったことを聞いた。すると、甘夏は「んー」とぼんやり考える。ほんと、ゲーム以外は頭回らないんだな。


「ほら、俺の名前って甘夏だろ」

「うん」

「だからだよ」


 はい、ナゾ理由きましたー。まったく説明になっていない。

 私はアイスの蓋を開けて、この言葉の意味を考えた。


「甘夏は、ミカンだから……? でも、どこからカビが出てきたんだ?」

「カビってジメジメしてるからな」

「いや、よく分かんないし。甘夏のどこらへんがジメジメして……」


 言いかけて、私は口をつぐんだ。

 これは、甘夏流のブラックジョーク。こういう闇な部分を見せてこられるとどうしたらいいか分からない。

 私はもう何も言うまいと蓋を開けた。口の中が酸っぱくなりそうなレモン色のシャーベット。甘夏の好物。ゲームで頭と体使った後はクエン酸を摂取したいから、これを選ぶようになったらしい。


「で、誰にフラれたって?」


 スプーンを舐めながら聞いてくる甘夏。私は思わずシャーベットを削り損ねて、ガクンと椅子から転げた。


「へ? あ、あれ、聞いてたんだ」

「ちゃんと返事したろ」


 それはそうだけども。

 表情筋を一ミリも動かさない甘夏の視線が、なんだか痛い。私は目を合わせずに言った。


「三組の広田だよ。バスケ部の」

「知らん」

「広田とは、バイトが一緒でさ。シフトがよく合うから、そんで一旦、付き合ってみる? みたいな話になって。でも、フラれた」

「理由は?」

「思ってたのと違ったって」


 私はカップを握りしめた。

 悲しさは……ない。私の気持ちは結構軽い。フラれた後は、ただただ悔しいだけ。


「私のどこらへんがダメだったんだろ……」

「そりゃ、お前の中身はガサツだからな」


 甘夏は冷たく言い放った。私の胸をダイレクトに突き刺す。


「ガサツって……そんな、バカな」

「外面はいいからなー、木野って。騙される男がいるのもしょうがねーか」


 グサグサと容赦がない。そのスプーンで刺されているかのようだ。

 私はカップをさらに握りしめた。


「ははぁ、なるほど。猫かぶってるわけだ、私は」

「あ、無自覚だったんだ。こえー」


 甘夏はクルンと椅子を返して背を向ける。悔しい私はその背中を思いっきり殴った。



 ***



 外面がいい猫かぶりの木野きの睦心むつみ。それは多分、転校が多かったせいだ――

 いわゆる転勤族の木野家は、私が生まれる前から各地を転々としている。四歳から八歳まで、この町に住んでいた。

 そこで出会ったのが甘夏だ。

 転勤が多いことと、兄の影響でゲームばかりしていたから、いつの間にか意気投合し、仲良くなっていた。クラスこそ違うものの、小学一年生から同じ学童で過ごしていた。


 でも、別れは突然やってくる。

 泣いてばかりの甘夏をなぐさめて、「必ず帰ってくるから」と言い残して引っ越した。それから何度も住所が変わったけれど、いつまでもずっと心に残っていたのは甘夏だけ。当時は携帯端末を持たされていなかったから、連絡先や住所を知っていても気軽には連絡できない。両親も忙しかったし。


 そんな日も過ぎ去った中学三年の春、進学そっちのけで私はオンラインゲームを始めた。そこで、出会ったのが「カビミカン」だった。

 ゲームの中で知り合い、何度か一緒にクエストをこなしたのがきっかけで、私たちはチャット機能を使って連絡を取るようになった。そうして話していくうちに、同い年であることや、住んでいるところまで分かっていき、私は「カビミカン」が甘夏だったらいいのに、となんとなく思うようになる。

 同時期に父の転勤が決まり、高校進学からまた甘夏のいる町に戻ることが決まった。

 その時の会話は今でも正確に記憶している。



むっちゃん:私、そっちに引っ越すことが決まったよ〜 もしかしたら同じ学校に行けるかもしれない!


カビミカン:おー、そしたら時間気にせずクエスト誘えるなー。


むっちゃん:そうだね〜 ちなみに、松見高校ってとこ受けるんだけど、そっちはどこ?


カビミカン:まじかー。俺も同じとこ。



 そんな偶然、あるわけないと笑いながらも、晴れて同級生となった「むっちゃん」と「カビミカン」。それは、私と甘夏の再会を意味する。



 私とカビミカンは入学式の日、校門前で待ち合わせていた。オレンジのヘッドホンが目印だと言われて来てみれば、なんとなく覚えのある顔に驚いた。


「甘夏……?」


 この時、ハンドルネームで確かめるのが一般的なんだろうが、私の口からはそれが真っ先に飛び出した。

 色素の薄い、長い前髪のヘアスタイルは昔とまったく変わってない。とろんと眠そうなタレ目で私をじっと見る。


「私、むっちゃん! 小二の時、仲が良かった!」


 思わず腕に飛びつくと、甘夏は顔を引きつらせて口を開いた。


「誰だ、お前は。名を名乗れ」


 感動の再会の一言目がそれか。

 私は笑顔を保ったまま、一歩だけ足を引いた。


「木野睦心だよー。覚えてない?」

「知らん」


 甘夏は冷たかった。

 あんなに、私のことを「むっちゃん、むっちゃん」って呼んで、後ろをついて回っていたあの甘夏が、どうしてこうも冷たいのか理解できない。


「俺が知ってる木野睦心はじゃねー」


 スタスタと昇降口を出て行く甘夏の後ろ姿。カバンを肩に引っ掛けて、面倒そうに歩いて行く。


「ちょっと、待ってよ! 甘夏!」


 約束したのに。帰ってきたことも、ここで会うことも約束したのに、そんな態度はないじゃないか。

 そう思っていると、だんだん腹が立ってきた。仮面が取れる。


「おいこら、甘夏! 忘れたとか言わせねぇからな!」


 回り込んで甘夏の足を止めると、ようやく眠たそうな目が大きく開いた。驚いて瞬きをしている。

 しばらくの沈黙後、甘夏はなんと、うつむいて笑った。


「……本当に帰ってきたんだ」


 柔らかな笑い方は八年前のまんま。

 それを見ると、甘酸っぱい何かが弾けた。

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