ファースト・フィナーレ
「行きましょう」
明輝が小声で言うと、エレキギターを手にした龍二は小さく頷いた。二人して、舞台のそでからステージへと出ていく。口笛、喝采。
「ここで、スペシャルゲストをご紹介します。トーマこと藤間龍一の弟、藤間龍二さんです」
客席からまた大声が上がる。明輝はマイクをしっかりと握って、
「トーマは先日、事故のため亡くなりました。でも……彼の音楽は決して消えることはありません。『俺がいつか死んでも、俺の作品は誰かのなかに生き続けるかもしれない。俺のことなんか忘れられても、俺の作ったものが誰かのなかに宿っていてほしい』。それが、トーマの願いでした。今日このステージで、彼の願いを、彼の祈りを、皆さんに届けたいと思います。この小さな奇蹟に、盛大な拍手を!」
割れんばかりの拍手が起こる。りゅうじ、りゅうじ、りゅうじ――と観客が声をそろえた。
明輝はもう一度龍二の顔を見やり、頷き合って、それからゆっくりと舞台の袖まで下がった。遥が差し出した手と、タッチを交わす。
片桐が低くリフを刻む。ドラムの叩き出す、繊細でタイトなリズム。滑らかに泳ぐベースは、まるで歌うようだ。そこに龍二のギターが飛び込んで――あの曲だ。
神さまの使いの黒猫が、トーマの祈りを背負った黒猫が、明輝を龍二に引き合わせてくれたときに聴いた、忘れようのないメロディ。あのときはアコースティックギターで静かに歌われていたあの曲が、今はバンドの奏でるサウンドに包まれて、どこまでも大きく、大きく、突き抜けるような高揚感を纏って――。
歌っている。秀平はカメラ越しに、その青年を見ていた。自然と小さなため息が洩れた。自分の横で牧島が、松葉杖を驚くほど器用に使って伸びあがりながら、彼の姿を一心に眺めているのが分かった。
「トーマですよ」あのときの電話で、そう牧島は言ったのだ。「僕の人生を変えてくれた人です。トーマこと藤間龍一。作品、音楽なんてのは嘘っぱちの偽物だけど、でも現実以上に現実ですよ。僕はそう信じてる」
そうだな、俺も信じることにするよ。
兄から弟へ。音楽は確かに兄弟をつないで、また新しい思いが、ここにいるみんなに宿る。そうに違いない。
おまえさんは本物だよ、と秀平は声に出さずに呟いた。だってそうだろう? 牧島が、俺が、ここにいるみんなが、おまえさんのことを待っていたんだ。
遠回りもあっただろう。迷いもしただろう。でも結局のところ、歌うしかないんだろう? 音楽をやるしかないんだろう? そうやって生きていくんだろう、おまえさんは。
ここに立っていることは、もしかしたらほんの、運命のいたずらなのかもしれない。牧島が言うように、小規模な奇蹟ってやつなのかもしれない。もしかしたら内心はおっかなびっくりで、まだちょっと混乱してるのかもな。
でもいいじゃないか。楽しいんだろう? 幸せなんだろう? 音楽が好きで好きでしかたがないんだろう?
だったら感謝しようじゃないか。今この瞬間に。この小規模な奇蹟に関わったみんなに。
本当に本当だった。藤間龍二。あの日、ライヴハウスで歌っていた青年が、殴られて倒れ伏していた青年が、もう二度と会えないと覚悟していた人が、今また目の前にいる。
わたしの目の前で歌っている。
あの優しくて懐かしい、それでいて胸をかきむしるように鮮烈な声で。
トーマ、藤間龍一と龍二、ふたりが重なって、記憶に焼き付いていた音楽が甦って、自分はまた夢のなかにいるようで――。
片桐が龍二に呼びかけるように下がり、龍二もそれを追う。ステージのちょうど真ん中、雪歩の真正面に龍二が立った。絡み合う二本のギター。初めて聴くアレンジだけれど、間違いなくあの曲だ。
「ファースト・フィナーレ」。第一幕の終わり。新しい始まり。
ありがとう、帰ってきてくれて。
万雷の拍手が起こる。雪歩も、いつまでも手を打ち続けていた。
龍二がいて、アンブロークン・アローズのみんながいて、このイベントを企画してくれた二人がいて、辺りを見渡せば、やたら高級そうなカメラを構えて熱心に撮影している男性がいて、その隣には、足には包帯を巻いて松葉杖まで突いているというのに大声ではしゃぎ回っている人がいて、トーマが遠くから笑って見ていてくれるようで、あの可愛らしい黒猫のことを思い出して、みんなみんな、この小規模な奇蹟の登場人物なんじゃないかという気がして――。
最後の残響がいつまでも耳のなかに聴こえている。片桐が龍二の肩に腕を回し、バンドのメンバーみんながわっと駆け寄っていく。
雪歩は眼の下を拭い、握り拳を突き上げて、龍二の名を呼んだ。
ファースト・フィナーレ 下村アンダーソン @simonmoulin
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