第6話
「今日も一緒に帰ろうよ」
杠さんに言われて、一瞬心惹かれたけれど、私は手を前にして首を振った。
勉強を言い訳にした。
期末テストも近いから。来年の受験のことも考えて。
続く言葉も思い浮かんでいたけれど、杠さんは深入りせずに、微笑みながら「わかった」と、屈託なく頷いてくれた。
拍子抜けした。身構えていた自分に虚しくなった。
学校から図書館まで、距離は大したことは無いけれど、駅と反対方向にある。喧噪からは離れた環境だった。
私の言い訳はまるで嘘というわけでもなかった。
高校受験のときの志望校選びはそれほど時間をかけなかった。
大学についてはまだ決まっていない。選択肢を増やすために勉強は必要だった。
どんな屋根が納品されても耐えられるように柱をいくつも増築するのだ。
図書館に入ると、同じような思想と見られる人たちがたむろしていた。
私と同じ学校の、同じ二年生の人もいた。
その熱心さに私は舌を巻いた。
言い訳のついでに都合良く膨らませていた私の熱意は急速に萎んでいった。
空いている席に座り、参考書とノートを開く。
授業のときに耳にした言葉たちを次々と文字に変換していった。
午後の日差しが色濃くなっていく。
枯葉の目立ち始めた木々が風に揺れている。
景色しか見ていないことに気づいて、慌てて参考書をめくった。
私が志望校を決めかねていると先生に打ち明けると、先生はそれでもいいと言った。
大学は将来の方向性を決めるための場所にすぎず。
生徒がどの方向にむかうのかは誰にもわからない。
だから大学の方も、一つのキャンパスの中にいくつもの学部を設置して、なるべく広く生徒を受け容れ、キャリアセンターを充実させて、どんな要望でも対応できるようにしているのだ、と。
それならどうして入学前に決めるんですかと、質問した途端にチャイムが鳴って、話は立ち消えになった。
どこへいくのか決まっていない人を、どこへでもいける舟の上に載せ、とりあえず出発する。
そこから先の社会というのがどんなものなのか、誰も詳しくは教えてくれない。
誰にも見えていないのかもしれない。
とにかく今は勉強をしていればいい。しないよりはしたほうがいい。
言説は否定されない限り、まことしやかに囁かれ続ける。
高校生になったばかりのころ、進路指導の先生と私で1対1の面談があった。
勉強へのモチベーションを図るという名目で、生活態度の質問などが淡々と続いた。
趣味を尋ねられて、私が読書と答えると、生真面目そうな先生はにこりともせずに、眼鏡の留め具を指先で軽く押し上げた。
「それは小説ですよね」
確かに当たっていたけれど、どうして冷たい目線を向けられるのかわからなかった。
はあ、と聞こえよがしの溜息をつかれたのちに、先生は大してずれていない眼鏡をまた押しつけた。
長年繰り返された仕草なのだろう。
鼻の傍には留め具の痕が受け皿のように出来ていた。
「小説は楽しむためのものです。楽しむことは否定しません。が、世の中にはもっとたくさんの本があります。せっかく書店や図書館に行く趣味があるならば、新書とか学術書とか、もっとためになるものに手を出してみたらどうでしょうか」
それ以来、新書学術書などの本の類いには一切合切手を出さないと心に誓った。
自分が読む物の名前を本と呼ぶのをやめ、私が読むのは小説なのだとはっきり口にするようになった。
口にする機会はとても少なかったけれど。
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