最終話 雲隠~新たな物語へ

 ~雲隠くもがくれ


 ………













「あの、若紫さま。これはなぜ空白なのですか。確か、ずーっと何か書いてらっしゃいましたよね」

 わたしは、表題だけであとは真っ白な原稿用紙と若紫ちゃんを交互に見比べた。しかもこの回は光源氏の最期が描かれる流れだったはず。


「え、あの。そうですか? ま、まあ、こういうのも最終話としては斬新ではないかと思うのですが」

 若紫ちゃんの目が泳いでいる。絶対なにか隠しているに違いない。


 わたしは、彼女がそっと後ろに回した文箱に目を留めた。

「見せなさい!」


「だ、ダメですっ。これだけは、……後生ですからっ!」

「犬君ちゃん、押えておいて!」

「わん!」


 犬君ちゃんが羽交い絞めしている間に、若紫ちゃんの文箱を取り上げる。


「どれどれ。若紫の恥ずかしいところを見せてもらおうかのぅ」

「お姉ちゃん極悪だっ。悪代官さまだわん」

「やめてください、そんな性格じゃなかったでしょ、みさきさまっ」


 ふっふっふっ、と笑いながらその原稿を広げる。

「うわ」

 途端に目が釘付けになった。


「うわ、うわ、うわー」

 読んでいるうちに、耳たぶまで熱くなってきた。

 え、エロい。処女のわたしには刺激が強すぎるぞ。これが紫式部、渾身のエロ小説なのか。最終回だから源氏が男女問わず手当たり次第に……!

 もう、サービスシーンの連続だ。なんでもありだ。

 今日まで地道に筆文字を勉強していて良かったと、初めて思った。わたしは、いますごいものを目撃しているっ。


「くはぁーーっ」

 読み終わって、魂が抜けていった気分だ。

 女性としての経験値があまりに違いすぎるから、仕方ないといえばそうなのだろうけれど。大人って……。


「……恐れ入りました」

 もう今日から若紫ちゃんなんて呼べない。やはり紫式部大先生だ。

 でも、趣味に走りすぎです、先生。


「これはやはり、密かにしまっておかれた方が宜しいかと愚考します」

 さすがに、後の世のイメージというものがありますから。


「だから、見ちゃダメって言ったじゃないですか、もう」

 拗ねた表情で怒られた。


 ☆


 自宅に帰ると、男が待っていた。狩衣姿の長身の中年男だ。

「遅かったな、不細工な娘」


 えーと、誰だったっけ。うーん。ここまで名前が出てるんだけど。


「珍宝寺 衆道さんでしたっけ」

「誰じゃ。それを言うなら六道珍皇寺、それにわしは小野 たかむらだ。いい加減に憶えぬか」

 そうだった、やっと思い出した。


「それで、何の御用です。篁さま」

「うむ。今日はそなたに頼みがあるのだ。わしをここに居候させてくれぬか」

「はい?」

 いきなり何を言い出すんだ、このおじさんは。


 そうか。わたしは事情を察した。

「なるほど。浮気がばれて、奥さんに家を追い出されたのですね」

 いかにも好色っぽいものな、この人。

「何をいう。今回はそうではないわ。もっと深刻な話だ」

 今回は、って。


「ああそうか。そなたは知らぬのか。わしはこの時代の人間ではないのだ」

 いよいよ理解の外なんですが。


 道長さまや晴明さまが普通に接していたから、まったく気付かなかったけれど。どういう事なんだ、この時代の人間じゃないって。


「では、わたしと同じ未来から来られたのですか?」

「いや、逆だな。100年ほど過去からだ」


 井戸を通って行き来している、とか言っていたのはそう云う事だったのか。まさか地獄と現世、しかも時代まで自由に越えているとは思わなかった。


「それが何故わたしの邸に?」

 篁さまは大きく息をついた。

「わしの時代と地獄の閻魔庁をつなぐ通路が塞がってしまったのだ。わしはお前が原因だと睨んでいる」

 わたしが? ブスだと時空通路まで塞がっちゃうの?


「いや、お前が不細工だから、という事だけではないと思うが」

 原因の一つだ、みたいな言い方は止めて欲しい。


「ただ、お前がこの世界の異物であることは変わりあるまい。きっとお前のせいで通路が歪められ、あの池に繋がってしまったのだ」


 あれからもう一度、池を掘り返したけれど何も無かった。だけど、この邸の近くにあるのは確からしい。

「新たな入口が見つかるまでの間、世話になるぞ」


 ☆


「それは、みさきさまが以前話してくださった『えすえむ』というものですね」

 はて若紫ちゃんにそんな話をしたかな。


「はい、三度の食事より『えすえむ』が好きだったと、はっきり」

「相当に誤解を招きそうだけど、それはたぶんSFだから」

 タイムスリップものアニメが好きだったのだ。

 ふーん? 若紫ちゃんは不思議気に首をかしげた。


「ところで、若紫先生。物語の続きは書かないんですか?」

「ええ。主人公の光源氏が世を去った以上、この物語を続ける意味もありませんし。あとは、書きたい方がご自由に書かれればいいのです」


 そうか。著作権なんて無い時代だし。でも、もったいない気もするな。


「それより、わたしはこんな日常を、日記として書き続けていきたい。何事もない日々こそ尊いと知ったのです」

 まあ確かに藤原道長や、光源氏というエロ大魔王どもに身も心も囚われていた若紫ちゃんが言うと、すごく説得力があるけれど。


「そうか、彰子しょうしさまが懐妊なさったのですよね!」

 中宮の彰子さまに待望の赤ちゃんだ。お祖父ちゃんになる道長さまは、今からそわそわしている。

 若紫ちゃんは、にっこり笑って頷いた。

「とても面白い物語が書けそうです」

 やはり若紫ちゃんは、とことん物語作家だった。


 ☆


 小野 篁さまが元の時代に戻っていった。どうにか地獄の閻魔庁を経由し、そこから六道珍皇寺の井戸につながるルートを見つけたらしい。


「もう当分この時代に来る事はないだろうから、あの不細工に礼を言っておいてくれ、と言伝ことづてを頼まれたぞ」

 座敷童くんが寝転んでおやつを食べながら教えてくれた。

「ああ、行儀が悪いのは家主の影響だ」

 わたしの心を読むな。それにわたしは、もっとちゃんとしてるし。


 で、どこがその、地獄への入り口だったんだろう。

「それさ。唐から伝わった机に小さい抽斗ひきだしがあるだろう」

 指さした先に可愛い机が置いてあった。これはあれだ。常陸宮ひたちのみや宝物庫という名のガラクタ置き場にあったものだ。こうしてみると結構よさそうな品ではある。


「よくこんな処にはいれたね、篁さま」

 その抽斗を何度も出し入れしてみる。やはり、ちょっとした筆記具くらいしか入りそうにない。わたしは篁さまの巨体を思い出して可笑しくなった。

 そしてここも、すでにルートでは無くなってしまったらしい。


「あの男が最後に言っていた」

 わらしくんが体を起こした。

「お前がこの世界に来たのには必ず理由がある。それを見つけることだ、とな」


 篁さまが、そんな事を。だけど、それって……何だろう。


 ☆


 ということで『源氏物語』の続編は、わたしが書くことにした。


 光源氏の息子や孫たちを主人公として、くんずほぐれつのBL展開にするつもりだ。あの光源氏の美貌を受け継いだ少年たちが、愛の物語を繰り広げるのだ。もう胸が躍って仕方ない。


「却下です!」

 即座に若紫ちゃんに怒られた。


「やめてください。彰子さま付きの女房がそんなものを書いていると知れたら、今からでも彰子さまが中宮を下されます!」


 うーむ、そういうものか。でも若紫ちゃんも同じようなのを書いていた気がするんだけど……。


 仕方ない。当たり障りのないところで、わたしの居た未来の話でも書くとしよう。


 どうやら女官生活もまだまだ長くなりそうだし、ここで出来ることを見つけなければ。


 わたしは火星より遠い場所、ここ平安京で生きていく事に決めたのだから。



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 西暦20××年。

 ある書店の前を老夫婦が歩いている。


「あら、ここでもやっていますよ、平安時代フェア。人気なんですねぇ」

 二人は店頭で足を停めた。

「最近になって皇室秘蔵の文書が出てきたらしいからな」


 それが、未来の出来事を正確に予言していたというのだが……、老人は苦笑を浮かべ首を振った。

「まさかなぁ、信じられないよ」


「でも、避難計画に反映されて、あれだけの大震災だったのに奇跡的に被害が少なかったと聞きましたけど」


 先頃の大地震についてそういう報道を聞いたことはあるが、てっきりワイドショーのネタだとばかり思っていた。

「だけど、それは偶然じゃないか」


「そうですねぇ。ああ、でもこれ……」

 そう言って老婦人は本を手にとった。

「この表紙のイラスト、みさきちゃんによく似ていますよ」


 それは亡くなった孫の名前だった。本を見つめる彼女の目は、慈しむように少しだけ潤んでいた。


「……そうだな。だけど末摘花がこんなに美人な訳ないだろうに」

「そうですよね。ブス代表ですもの」

 二人は顔を見合わせ微笑んだ。


 そして二人は末摘花が著したとされるその本を買って、書店を出て行った。



おわり






※キュリオシティ : 英語で「好奇心」、火星探査機の名前。

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平安京キュリオシティ ~末摘花はブスじゃないっ 杉浦ヒナタ @gallia-3

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