Ⅲ
夏も終わろうというある日、彼女はまたも唐突に言った。
「私、夏って嫌いだわ」
「どうして?」
「あんなに生命に満ちていて――この生が穢らわしいなんて感じてしまう私を、溢れんばかりの生命たちの輝きが、苛むもの。目に映るものの全てが、噎せ返るほどの『生』で溢れているもの。お前の居場所なんてないって、強烈すぎる日差しと五月蠅い蝉たちが、そう言うのよ。いつにも増して、この身体に宿す『生』を抉り出してしまいたくなるわ」
「そうなんだ。もう夏も終わるし……良かったね、なのかな?」
「そうね、ありがとう。まぁ、実を言うと秋も嫌いだし、春も嫌いだし、何なら冬も嫌いなのだけれどね」
「えぇ……」
「だって、春は生命が芽吹いて仕方ないし、秋は折角生命たちが落ち着いたっていうのに哀やら郷愁やらで満ちていてちょっと気持ち悪いし、冬も何だかんだで次の生命に向けて水面下で着々と準備を進めているんだもの」
「じゃあ冬が一番マシ?」
「うーん、こそこそと生命を蓄えるかんじが陰湿だから、どちらかといえば秋の方がマシね」
「そうなんだ……」
相も変わらず彼女の感覚はよく分からない。ただ僕は、彼女が一番マシだという秋が訪れることに安堵していた。最近では難しいことは抜きにして、彼女が『生』を吐き出してしまわなければ僕はそれでいいや、なんて思考放棄に走っていた。分かろうとしても簡単には分かれないことを分かれただけでも良しとしようなんて、怠慢にも似たことを考えていた。
「ああ、それとね」
彼女は思い出したように、言った。
「──────ついでに言えば、貴方のことも嫌いなの」
口調こそふと思い出したといったふうだったが──彼女の吸い込まれそうな瞳は、真っ直ぐに僕を見ていた。
──僕は、何も言えない。
「嫌いよ、大嫌いだわ。今まで見てきたどんな『生』よりも。『生』が気持ち悪いなんて聞いて、未だに私の隣を歩くその無理解とか、そういうところが本当に気持ち悪い」
「…………酷い、言われようじゃないか」
やっとのことで、それだけ口にする。
「だって本当のことよ。私みたいな頭のおかしい奴に頭のおかしい話を聞かされても尚そんな頭のおかしい奴の隣にいようとする感情なんて、『生』の最たるものだわ。気色悪いったらありゃしないじゃない」
彼女の口調は淡々としていた。
「気色悪いったら……気持ち悪いったら。私の中にもあるものだって分かってるから、尚更」
彼女の口調は、淡々としていた。
「だって、死にたくないのよ」
彼女の口調は――
「だって、死にたくない」
彼女は――
「……『生』で、いたいのよ。たった一つの、実体もないような要因のせいで」
──震えていた。
「こんなに穢らわしいのに、ね」
僕は、未だ何も言えなかった。
何とも名状し難いような、気まずさとも何かが違うような、そんな沈黙が僕らを覆っていた。夏の終わりを告げるヒグラシの声だけが厭に五月蠅く響いている。まだ生温い夏の風が僕らの肌を撫でつけてゆく。
これらも彼女にとっては全て『生』なのだ。穢らわしく嫌悪の対象である、『生』なのだ。
「僕は君に、『死』にならないで欲しいだけ――……なん、だけど」
……この時の声は、あの時と同じように掠れていたと思う。
ただ、これは紛うことなき僕の本音であり、唯一彼女に願う、我儘だった。
「……そういうところよ。大嫌いだわ」
そう言って、彼女は少しだけ笑った。
僕らは互いに指を絡めた。いわゆる恋人繋ぎだ。彼女の脈が打つ感覚が、僕の手に伝わってくる。僕の脈もまた彼女に伝わっていることだろう。
「……厭な感覚ね」
「そう言うと思ったよ」
彼女が手を振りほどこうとすることはなかった。
せいけんお 木染維月 @tomoneko
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