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『遍く通じた彼女の話』設定+解説

2010年、成人して社会人になったすーちゃんこと天津燈子(あまつ すみこ)のお話。『普く通ずる私たちの話』と連作になっており、世界観が共有されるお話は他にもありますがこの2作品は直接の続編となっています。

いい話で終わった「普く通ずる私たちの話」が「遍く通じた私たちの話」の冒頭で粉砕されるところまでが1セットの、実に胸糞悪い連作となっております。その当時はいい思い出だと思っても、されど人生は続く……というのが連作上のテーマの1つです。

この2作品は共通して『普通』という概念が扱われています。この言葉に苦しめられてきた生きづら人間は多いと思いますが、この2作品はそれに苦しめられるあまり、それを突き放し、見下し、遠ざけた女の子のお話です。


家にいる時間の少ない父親が厳しく、父親から隠れて自由にしていた京子は大人になってから更に自由になりました。しかし、家にいる時間の長い母親が厳しかった燈子は自らを抑圧する習慣が離れず、『普通』でいられるなら『普通』でいるべきだと縛られて生きています。これが二人の悲しい差なのです。

京子の目的とは裏腹に、『普く通ずる私たちの話』で行われた二人の遊びは燈子にとって呪いとなります。『普通』でいられるなら『普通』でいるべきと考える燈子は、自分は『普通』にはなれないと思っていたから今まで『普通じゃない』女子高生をやってこられたのです。ところがその気になれば『普通』のふりをできると知ってしまった彼女は、以後『普通のふり』をして生きていくことになります。決定打となったのは京子との創作の才能の差で、燈子はすっかりアイデンティティを奪われてしまったのです。

そんな燈子に出会いが訪れます。伊豆太一(いず たいち)という、同僚の男です。彼は燈子から見て完全な『普通』を体現した男で、燈子は自分がやってきた『普通のふり』に自信をなくし、伊豆につらく当たります。ここで大事なのは伊豆はあくまで燈子からみて『普通』だっただけであるということです。本当に健康優良家庭環境で育った人間は伊豆みたいにはならないと思うんだな……(露骨な匂わせ)

とにかく燈子にとって『普通』の象徴である伊豆との出会いにより、燈子はアイデンティティを取り戻してゆきます。そうして彼女が創作を取り戻し、救済されるまでのお話です。

成人した燈子は、自意識・プライド・劣等感に縛られています。『普通』に固執する割には三つ編み丸眼鏡という特異なルックスを頑なに変えないのは、彼女の自意識の象徴なのです。

彼女の思っている『普通』は『真面目』に寄っている節があります。規律を守ること、お堅く真面目でいること、苦労をしていることが彼女の中で美徳であり、正しく『普通』のことなのです。幼少の頃からの抑圧によって生まれた考え方ですが、このせいで人が寄り付かず友達がいないので傍から見れば何も『普通』ではありません。可哀想で可愛いね。

ちなみに、伊豆は本当にすーちゃんのことをなかなか懐かない猫くらいにしか思っていませんが、燈子が思うほど伊豆は『普通』の人間ではありません。『普通の人』というのは、よく知らない人のことを言うのかもしれませんね。

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