ごま

仮墓地ヤン

1. 19日

「やぶーち!」

思ってもない場所、予想だにしないトーンで大声で呼ばれると人間がどうなるのかを初めて見た。

目の前の藪内君は椅子から20センチは飛び上がったのではないかと思う。180センチを超えた人間が椅子から飛び上がるのだから、それなりに振動がある。

正面の僕もビクッと震えた上に、かなりの量のコーヒーをこぼしてしまった。

「あーごめんごめん!!」

声の主、宮本は弾けんばかりの笑顔でハンカチを投げて来た。

「もー!大丈夫?」

横から黒野さんもティッシュをくれる。

彼女の長い黒髪がサラッと音を立てて肩から滑り落ち、いい香りが空気と共に届く。

「みやもっちゃん、晩飯奢りやで?」

いい香りに動揺しているのをごまかすために、ちょっと声を張った。

「えー。マジか。」

天然パーマの茶髪をゴシゴシ掻きながら、宮本が顔をしかめる。

「よっしゃ奢りや奢り!!行こ行こ!!」

藪内君がその身の丈に合わないほどの機敏さで立ち上がる。

ギッと大きな音を立てて、テーブルがこちらに寄って来た。

「ちょ、堪忍してー藪くんよー。」

悲壮な声を出してみたら、思ったより自分がビビっていたことに気がついた。

「なんなの?なんで全員奢りみたいな感じ?どうした?お前ら。」

なんだか変な空気感してる?と宮本が勘づいた。

「飯や!飯行こ!!お前も行くやろ?」

藪内くんの問いに黒野さんは微笑みながら、

「今日は遠慮しておく。明日早いし。この後予定もあるから。」

とバッグの中に携帯をしまい、手を振った。


少しずつ、少しずつの違和感はあったんだ。

後に彼はこっそり後悔することになる。

でもこの時は、この日は、何も誰も全てが順調だと信じて疑わなかった。



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