episode4 一番星の隣に添える枝豆のキッシュ
第4話
「果澄、昨日『波打ち際』の前で、
窓から射す夕日の光が、赤みを深めていくリビングで、ダイニングテーブルを挟んで向き合う翠子は、
「本気だし、正気だよ? むしろ、お願いしたいかも」
「……い、嫌よ!」
「答えが直球すぎない?」
「だって、他人同士が、一つ屋根の下で暮らすのよっ? 簡単に決めていいことじゃないでしょ!」
「他人同士じゃなくて、友達同士なのに。だめ?」
上目遣いで
「そのほうが、絶対に、毎日がもっと楽しくなるに決まってるから」
腹に手を添えた翠子の笑みは、いつもの
*
翠子の家を出ると、夕空は薄紫色に変わっていた。二階の窓から
喫茶店は、七月末の営業再開を目指すこと。その日までに、果澄は翠子から接客を学ぶこと。そのために、明日も『波打ち際』に通うこと――もやもやした気持ちを
「……達也?」
「あっ、果澄……」
パン屋の灯りを背に受けた達也が、
「こんな所で会うなんて、
スマホを構えて
「えっと、さ……昨日、果澄に嫌な思いをさせたことを、謝りたかったんだ。本当にごめん。もう待ち伏せはしないから」
「……その台詞が、すでに嘘じゃない」
呆れつつも声音を
「果澄? どうしたんだ?」
達也が、心配そうな眼差しになる。果澄は
「ある人に、新しいパートナーになって、って頼まれたの。でも、一緒に食事をしても、別々の部屋にいる感じがして……」
「えっ? パートナー? 食事? 誰だよ、そいつ」
達也は、雷に打たれた顔をしている。謎の動揺を見せた元カレを放置して、物思いに沈んだ果澄は、次第に腹が立ってきた。
メニューを見直そうとしている翠子は、果澄を喫茶店の戦力として
――『果澄も、あたしのことを翠子って呼んでよ。友達になろう?』
振り向いた果澄は、初恋の一件で翠子を
――『鮎川さんは、私のことなんて、そのうちどうでもよくなるに決まってる』
翠子は、大きな目を瞬いて『そんなわけないじゃん!』と抗議してから、
――『あたしが大人になっても、果澄のことを覚えてたら、そのときは翠子って呼んで、友達になってくれる?』
果澄は、鳩が豆鉄砲を食った顔をしたと思う。そして、レモンスカッシュを翠子の手に残したまま、『出会えたらね』と言って立ち去った。
――『果澄? やっぱり。果澄だ』
再会の日の呼び声が、
「……達也。私が仕事を辞めたのは、達也の所為じゃないって話したよね。私が復職しない理由を、聞いてくれる?」
心を決めた果澄は、まだ
「と……友達、の……喫茶店を、手伝うって約束したから。自分の言葉に、責任を持ちたいだけ」
「……そいつ、本当に友達か? 親の
「……そんな顔なんて、してないわよ」
「もしかして、男か? 果澄、まさか二股かけてたんじゃ」
「うるさい。じゃあね!」
許し
そして、一つのメニューを頭の中で組み立てると、スーパーに着いた果澄は、冷凍パイシートと生クリームを買い物かごに入れた。卵とベーコンは買い置きがあり、昼食のラーメンに載せるために茹でたほうれん草も、まだ十分に残っている。すぐにレジを目指したとき、野菜コーナーに
――枝豆に含まれる
会計を終えて、会社帰りのサラリーマンに紛れて電車に乗っている間に、スマホのメッセージアプリを立ち上げる。『渡したいものがある。そっちに二時間後に戻ってもいい? 遅くにごめん。すぐに帰るから』と送信すると、あっさりと『了解』と返ってきたので、自宅のアパートに着いた果澄は、心置きなく調理を開始した。
まずは、枝豆を鍋で
並行して、ボウルで卵と生クリームを混ぜ合わせてから、塩胡椒を振ろうとして、調理のリズムが初めて乱れる。翠子の声が、
普段よりも少し長めに焼いた二十分後に、こんがりとキツネ色に焼き上がったキッシュからは、野菜の優しい甘みが立ち上った。ほうれん草と枝豆の緑色は、
――達也の心が離れたとたんに、料理が雑になった己の格好悪さに、もっと早く気づきたかった。だが、誰かを笑顔にしたくて手間を掛けた時間まで、否定し尽くす必要はないことを、無敵の料理で伝えてくれた人がいる。
だから、今度は、果澄が意思を伝える番だ。
乗客が減ってきた電車に乗って、夜の『波打ち際』まで駆け戻り、木製扉の前に立つ。二階を振り仰げば、明かりを
「翠子!」
ややあって窓が開き、翠子がバルコニーに出てきた。
「あたしたち、ロミオとジュリエットみたいだね。おお、ロミオ。あなたは、なぜロミオなの?」
「ふざけないで。私たちは、私たち以外の誰でもないんだから」
「果澄、もしかして怒ってる?」
「怒ってるわよ!」
「なんで?」
心から不思議そうに、翠子は訊いた。肩で息をした果澄は、言い難さを
「あなたとルームシェアは、できない。たとえ今は同居できても、お腹の子が生まれたあとの生活を、私には想像できないし、その生き方に責任も持てないから」
翠子の反応を待たずに、果澄は「その代わり!」と声を張った。
「私は、翠子の家の近くに引っ越す。だから翠子は、私に料理を教えて。『波打ち際』の料理の作り方を、全部!」
「どうして?」
「私も厨房に立てたら、身重の翠子が疲れて休憩しても、私が対応できる。お客さんを待たせない。今のメニューを維持できるでしょ」
「それは分かるけど、だからどうして? あたしは、果澄に接客しか望んでなかったよ。どうして、そこまで考えてくれたの?」
「……翠子のカレーが、美味しかったから。この味を待ってるお客さんはいるはずなのに、私が
「……これ、キッシュを作ったの。よかったら、朝ごはんに食べて。バターチキンカレーに合うと思うし、妊娠中でも食べられる食材だから……翠子?」
俯いた翠子は、両腕を抱いて震えていた。愉快そうな笑い声が、ぬるい夜風に乗ってこちらに届く。果澄が顔を赤くして「人が真剣に話してるのに、失礼よ!」と抗議すると、翠子は「ごめん」と返して、顔を上げた。
「果澄のそういうところ、あたしやっぱり好きだな」
「か、からかわないで!」
「本気なのに。ま、ロミジュリごっこはこの辺にして、続きは家でどう? 果澄のキッシュ、早速食べたいし」
「……最近、食べ過ぎてたんじゃないの?」
「今日は、特別」
バルコニーを後にする翠子を、果澄は「翠子」と呼び止めた。もう一つだけ、いま伝えたい本音が残っていたからだ。
「これから、一緒に食事をするときは……体調と食材の折り合いがつけば、二人で食べられる献立がいい。そうしないと、洗い物が増えて非効率的でしょ」
「……ふふ、了解!」
振り返った横顔の
今日も大嫌いと伝え損ねた果澄は
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スイート・ライムジュース 無敵の再会ごはん 一初ゆずこ @yuzuko
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