5.ふるさとの伝説

 ぼくは水路を戻り、アトラクション用のプールから、飼育用の屋内水槽おくないすいそうに帰った。


 夜になり、荒熊教授が訪れた。落ち着きを取り戻したようだ。

 「ユウキ、元気になったかい?」

 「さっきまで怒っていました。悔しくて……でも、今はかなり落ち着いてきました。

 教授は、少しは気分がよくなりましたか?」

 屋内水槽の縁には、対話用の腰掛けが設置されている。教授はそこに座り、両足を水に漬けた。

 「ひさしぶりに、昔のことを思い出していた……。

 私がね、“イルカの頭に電極を刺したい”と言ったんだよ。そのとたん、潮が引くように、友達がいなくなった……。

 私は、みんなの役に立ちたかっただけなのにね……」

 教授は頭を抱えた。

 「もう、止めてしまおうか?」

 ぼくはびっくりした。教授は落ち着いてなどいなかった。落ち込んでいたのだ。


 なんとしても、教授を励まさなければ。

 「しっかりしてください! ここまで来たのに止めたら、もったいないですよ。今は苦しくても、この先きっと、良いことがあります!」

 「どんな?」

 ぼくは手がないから、頭を抱えることが出来なかった。

 「それは……そうだ、ミス・ハルバードを見返してやりましょう」

 「どうやって? いまさら研究の方向性は変えられないし」

 「ぼくたちが、イルカの言葉を、イルカの伝統を重んじていることを、証明してやるんですよ! そしたら、ぼくは馬鹿じゃないし、教授もわがままじゃないことになります」

 「何か考えがあるようだな?」

 「前にもお話したでしょう。ぼくの母の故郷、天草灘あまくさなだに伝わる、イルカの昔話のことを」

 「まさか……」

 教授はまじまじとぼくを見つめた。

 「天草四郎あまくさしろうの財宝のことを、言ってるのか?」


 江戸時代、徳川幕府はキリスト教を弾圧した。それでもキリシタンは信仰を捨てず、やがて恐ろしい衝突が起きた。

 寛永かんえい十四年(1637年)、島原半島しまばらはんとう天草諸島あまくさしょとうで、領主によるキリシタン弾圧と苛酷かこく年貢ねんぐの取立てをきっかけに、大規模な反乱が起きた。

 反乱軍の指導者には、天草四郎という、十六歳の若者が立てられた。不思議な魅力があり、人々の心をとらえていたという。

 反乱軍には、当時の領主に恨みを持つ、戦上手いくさじょうずの浪人も多く加わり、戦いは長引いた。だが最後には原城はらじょうに追い詰められ、反乱者は皆殺しにされた。


 のちに、奇妙な伝説が残された。

 天草四郎は再起をはかり、莫大ばくだいな財宝を、部下に命じて隠させたというのだ。

 それは黄金製の大きな十字架で、重さは6キロにも相当した。他には、金と銀の燭台しょくだい二十基、南蛮塗なんばんぬりの宝石をちりばめた王冠、そして大判小判の軍資金。

 それらの行方ゆくえを示す手掛かりは……「さんしゃる二 こんたろす五 くさぐさのでうすのたからしずめしずむる」という暗号が伝わっているだけだ。


 ここまでは人間の伝承だ。疑う人も多い。

 だが、母がぼくに語り伝えた、天草灘のイルカの昔話の中に、奇妙な共通点が見られるのだ。



 ――晴れた日、漁師の船から、きらきら、きらきら、降ってきて……。

 足のけた、ひとでのような、珊瑚さんごの枝の、折れたような、きらきら、きらきら、舞い降りて……。

 かしこいイルカは、つかまえて遊び、投げ上げて遊び、舞い降りてはのぼり、昇っては舞い降り、きらきら、きらきら……。

 かしこいイルカは、漁師のおくり物、大切にし、わだつみの、いろこのみやに、かざき……。

 きらきら、舞い降りて、飾り置き、きらきら、舞い降りて、飾り置き、いつまでも、いつまでも、きらきら……。



 教授は、呆然としていた。

 「しかし、それはおとぎ話だ。いや、お前の御先祖様の伝承を疑うわけじゃない……だが、人間側の伝承は、ほら話みたいなものなんだ」

 「教授はぼくに、トロイの遺跡いせきを発掘した、シュリーマンの話をしてくれましたね?」

 「ああ……あの時、お前は『土を掘る』ということをなかなか理解できなくて、私を困らせたな……」

 教授の引きゆがんだほほが、笑いでほぐれた。もう一押しだ。

 「本当か、ほら話か、調べてみて困ることが、何かありますか? 何も困りません。調べに行きましょう!」

 「しかし、その名目では、大学の事務局は研究費を出さないだろう。お前を天草へ輸送しようにも、輸送費が……」

 「何言ってるんですか。そんなの……」


 ぼくは言った。

 「泳いで行けばいいんですよ」

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