4.ぼくは何者?

 遠くから騒音が伝わってくる。


 怒鳴り声だ。スピーカー越しの不愉快な響きだ。ぼくは谷川さんに尋ねた。

 「あのうるさい声は何ですか?」

 「あれは……なんでもないの」

 ぼくは、耳を澄ました。イルカには耳たぶが無いので、ひたいの中にある音波受信組織『メロン』を向ける。

 「……イルカがどうとか言ってますね。荒熊博士の声がします。誰かに責められているような……。

 なんだか様子がおかしい。ぼく、行ってきます!」

 谷川さんは、怒ったような表情になった。

 「待ちなさい! きみが行かなくてもいいの!」

 彼女には悪いけど、放っておくわけにはいかなかった。


 ぼくはプールの隅に向かった。壁面に取り付けられている防水タッチパッドを、鼻面で操作した。

 目の前にある水門が開いた。ぼくは水門をくぐった。この水路は海に通じている。知的イルカであるぼくの自由な意思で、いつでも出入りできるものだ。

 ぼくは海側の水門を開け、外へ出た。


 そこは、三保海水浴場の隣に建設された、小規模な船溜ふなだまりだった。

 清水港大学海洋博物館が、海上輸送のさいに使っている埠頭ふとうだ。博物館の、海側の玄関と言える。

 そこは今、十数せきの中・小型船にふさがれていた。

 どの船も、怒鳴り散らす人々を乗せ、大きな旗をなびかせていた。色彩の洪水のようにごちゃごちゃした絵柄のそれは、大漁旗たいりょうばただった。漁船だ。


 大勢の漁師たちは、口々に怒号を発していた。

 「イルカに知恵付けんなや! よぉ?」

 「イルカ獲れんようにする気か! わしら殺す気か? 飢え死にせえゆうんか!」

 蛮声ばんせいが向けられる先には、埠頭に立ち尽くしている博物館の職員たちがいた。彼らは怯え、すくんでいた。

 荒熊教授もいた。教授は懸命に抗弁こうべんしていた。


 「イルカは、もともと知恵を持っているんだ!」

 教授は、わなわなと震えていた。

 「知能の低い動物を、私の勝手な都合で、無理やり改造したのとは違う!

 元から賢いんだ。人間が、少し手助けしてやるだけで、話せるようになった……そういう賢い生き物だと、みんなに知って欲しいんだ!」

 ぼくは、教授の言葉を素晴らしいと思った。だが漁師たちは、そうは思わなかった。

 「寝言ねごというたらあかんで! 今、漁師も国も、一丸いちがんとなって捕鯨を守ろうとしとるんや! あんただけ足引っ張るんか?」

 「国から補助金もろうて、国に逆ろうて、いい御身分やのおー!」


 教授はこぶしを握り締めていた。その表情はくしゃくしゃだった。

 「私の研究も、国のためだ! 人間とイルカが話し合えたら、イルカが人間の手助けを、海の中でできるようになったら、素晴らしい世界になるんだ!」

 「その素晴らしい世界とかーに、わしらの居場所はあるんかい!」

 「鯨捕りの居場所は、のうなってもええんかい!」

 「人殺し!」


 もう、聞いていられなかった。ぼくは、音唇おんしんも裂けよとばかりに声を張り上げた。

 「いい加減にしろ!」

 ぼくが大声を出せば、大型トラックのフォーンが怒鳴ったようなものだ。漁師たちは度肝どぎもを抜かれた。

 「ぐずぐず言うな! 出来た事にけちをつけるな!

 イルカはもう、賢くなったんだ。いくらでもしゃべれるんだ。もう黙ってはいないぞ!」

 漁師たちはうろたえていた。互いに顔を見合わせ、発言の機会をゆずり合っていた。

 怒鳴るイルカと対面したとき、人は何が出来るだろう?

 「イルカが賢くなることは、もう止まらない! イルカと仲良くするんだ! そうすればお前らは得をする。イルカと喧嘩けんかしたら、損するぞ!」

 「な、何をどう、損するんや?」

 「イルカと人間が仲良くしたら、素晴らしいことがたくさん起こる。素晴らしい物がたくさん出来る。そのどれも、お前らの手には入らないぞ!」

 「イルカも鯨も獲れんようなったら、わしらどうやって食うていけば……」

 ぼくは、断言した。

 「二度と、一匹も獲るな!」


 漁師たちはぐずぐず言い始めたが、ぼくは取り合わなかった。帰りの相談を始める者も出てきた。

 何とかなりそうだ、と思った時……。


 「かわいそうな、人間もどき……あなた、モンスターに改造されて、そんなに嬉しいですか?」

 その声音こわねは、争いの場には似合わない、わたったものだった。なのに、言葉の中身は冷たかった。女の人の声だ。

 漁船団の先頭の一隻のへさきに、人ごみをかき分け、その人は歩み出て、ぼくを見下ろした。

 金色の長い髪が大漁旗のように、風になびいて、きらめいていた。


 「わたし、自然保護活動家しぜんほごかつどうかのミス・ハルバードいいます。あなたの名前は?」

 「ぼくは、知的イルカのユウキだ」


 ぼくは、かつて荒熊教授から聞かされた言葉を、思い出した。

 「昔、活動家と漁師は対立していたんだ。イルカを獲るな。いや獲る、と。

 今は意見が一致いっちしてる。イルカを自然のままにしておけ。その通りだ、イルカに知恵を付けるな、と。

 彼らは今では手を組んで、私たちの妨害をしているんだ。ユウキ、お前もいつか、彼らに会う日が来るかもな……」

 では、この人がその、活動家なのか。


 「ユウキ、あなた、人間言い負かして、得意でいますね? イルカという、種族のほこり、守ったと」

 ミス・ハルバードのひとみは、南の海の深いふちのように光を吸い込んでいた。

 「でもそれ勘違かんちがいです。なぜなら……あなた、もう、イルカじゃありません」

 ぼくは、きょを突かれた。

 そんなことを言われるとは、思ってもいなかったから。

 「あなた論争に勝った。でもそれ、人間に授けられた言葉のおかげ。イルカ本来の言葉と違う。クリックスでも、ホイッスルでもありません」

 黙っているわけにはいかなかった。ぼくは何とか、言葉をしぼり出した。

 「あなたは一体、何が言いたいんだ! ぼくはイルカだ!」

 「人間がくれた言葉、いう武器で勝って、いい気になってるだけです。イルカ本来の知恵で、イルカ本来の言葉で、勝ったと違います。

 そもそも、自然のイルカ、人間に勝てません。思い出してください。勝てましたか? あなた歴史の勉強しましたか? 勝てませんでしたね?

 イルカは人間よりよわーい生き物です。それが『所与しょよの条件』なのです。だから、わたしたちが保護してきました」

 彼女の口から、ぼくの知らない考えが押し寄せてきた。

 ぼくはなぜか、心にひびが入るように感じた。

 「人間と論争して勝つ。あなたもう、不自然な存在です。自然のイルカと、断絶してます」


 ミス・ハルバードは、荒熊教授のほうを向いた。

 「ドクター・アラクマ。あなた、このいたいけな動物に、かわいそうなことしましたねー。

 人間がイルカと話す? いいえ、あなたイルカと話してない。あなたが造った、変な動物と話してるだけ。鏡に向かって、独り言いってるのと、同じでーす」

 教授は、全身の震えを止められずにいた。

 「ドクター・アラクマ、あなたこうも言った。“イルカはもともと賢い”……口先だけ!

 あなた、イルカが馬鹿だと思ってます。だから改造した。彼の種族も、彼の種族の伝統も重んじてないから、改造した。

 彼らの、あるがままの状態に、敬意を払っていません。これ、人間のわがままでーす」


 ぼくの心の中で、何かが爆発した。

 「黙れ! 黙れ!」

 ぼくは叫んだ。

 「勝手なことを言うな! ぼくは、かわいそうなんかじゃない! 変な動物なんかじゃない! ぼくは……!」


 漁師たちは、とまどっていた。

 彼らの仲間の一人が、劣勢れっせい挽回ばんかいし、逆転までしている。それは分かる。だが、話についていけないのだった。

 彼らはミス・ハルバードのそでを引いた。今日のところは、この辺にしといたら?……そうささやいていた。

 「今日はこれで勘弁かんべんしてあげまーす。でも、話は終わってませんからね!」

 ミス・ハルバードは、ひとまずの勝利宣言をあげた。


 漁船団は向きを変え、船溜りから港外へ出て行った。

 去りがてに、漁師たちはぼくに声を掛けてきた。

 「おう、あんちゃん、元気出せや!」

 「わしら、暮らしを守りたいだけなんや……」

 「おばはんはきっついこと言うんや……あんまり気にせんとき」

 不思議なことに、彼らはぼくに、同情しているようだった。





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