第二話

「それでヨーナスさんが測量隊、騎士団グラムさんたちが警官隊の指揮をするとして、私は何をしたらいいんですか?」

 会議室からの帰り道、いつものように肩をぶつけそうなほど近いウェンディがダベンポートに訊ねた。

「君には僕の補佐をして欲しい」

 ダベンポートはウェンディに言った。

「今回の事件は奥が深そうだ。それに捜査も大がかりだからな。僕は魔法院に残って考え事をしたい。だからウェンディには連絡将校リエゾンとして各チームとの連絡を取り持って欲しいんだ」

「あら、では私はダベンポート様の副官って事ですか?」

 こころなしかウェンディの顔が綻ぶ。

「ま、そういう事になるね」

 ダベンポートは肩を竦めた。

「君にはそれぞれのチームとの連絡が密になるよう、調整してもらいたい。必要だったら馬を使っても構わないぞ」

「ありがとうございます……それにしても面白い事件ですわね」

 いつものようにウェンディからは微かに香水の匂いがした。嫌味なほどではないがほのかに香る。一部の貴婦人はまるで浴びるかのように香水を使っているようだが、その点ウェンディの香水の使い方は上品だった。近くにいると微かに東洋風の香りがする。

「ああ、これは実に面白い」

 ダベンポートはにこりと笑った。

「何しろまだ人的被害が出ていないことが素晴らしい。ワクワクするじゃないか。これは極めて純粋な謎だよ」

「まっ。ひょっとして他人事だと思っていらっしゃる?」

 思わずウェンディが右手を口に当てる。

「まさか」

 ダベンポートは先に立って事務室のドアを開けながらウェンディに言った。

「魔法が使えなくなるのは我々としても非常に困る。だが解けない謎はない。そうだろう?」


 今回の事件のために、ダベンポートには専用の執務室が与らえた。いつもダベンポートが通う事務室の片隅、元々は物置になっていた場所だ。奥に長い長方形、狭く窓もない部屋だったが、一人になれる場所が与えられることは素晴らしい。

 部屋は事前にオフィス・メイドに掃除してもらったのですすけていた壁も白く磨かれていた。そこにダベンポートは余っていたテーブルと椅子を持ち込むと、同じくどこからともかく調達してきた本棚を背後に設置し、私物の資料を几帳面に並べていた。

「さてと、」

 右側の壁に丸めて持ってきたセントラルの地図をピンで貼り付けながらウェンディに背中越しに話しかける。

「今ヨーナスが観測ポストを設置する場所を設計しているはずだ。それができたら隣に貼ろう。観測が始まったら逐次変化を書き込んで行けば状況は徐々にわかってくるはずだ」

…………


 その日は夕方まで今後の捜査の進め方について議論した。

 この捜査はおそらく長期戦になる。ポストの設置一つにしても二日や三日では終わるまい。それから観測を初めて、変化がみられるのはおそらく一週間後。それまで火急の仕事は特にはない。

「当面は警察の舵取りですわね」

 ダベンポートの向かいに置いた椅子に浅く腰掛け、足を組んだウェンディはダベンポートに言った。

「まあ、そうだな」

 ダベンポートは頷いた。

「なにしろセントラルには三百人程度しか警官がいない。全員を動員する訳にもいかないだろうから、何かルーティンを決めて、観測ポストのデータが効率よく集まるようにしないとな」

「集まったデータの処理も大変でしてよ」

 ウェンディはダベンポートに言った。

「生のデータをもらっても困ります。ある程度処理したものが必要です。データを地図をおろすのにしたって誰かにやって頂かないと……」

「ふむ」

 ダベンポートは腕を組むと頷いた。

「しかし、それを警察官にやらせるのは恐らく無理だな。連中のオツムの作りは騎士団と同じかそれ以下だ。ここは一つ、ヨーナスのところから誰かを借りて、データ処理に専念してもらおうか」

「そうですね。騎士団からも誰かが常駐した方がいいかも知れません。警察の人は見張っていないと怠けますから」

「ああ、そうだな……」


 夕方、上機嫌で家に帰るとダベンポートの自宅の前には白い馬車が停まっていた。どうやら御者はどこかに出かけたらしい。八頭立ての馬車が行儀良く壁際に停まっている。

(こりゃあ、エリーゼの馬車だな……)

 訝しく思いながらドアを開ける。

「ただいま、リリィ」

 ダベンポートの頭上でドアベルがカランカラン……と涼しげな音を鳴らす。

「あ、旦那様、お帰りなさいませ」

 リリィは玄関脇の応接室からひょこりと顔を出すとダベンポートを出迎えた。

「エリーゼが来ているのかい?」

 脱いだインバネスコートを渡しながらリリィに訊ねる。

「はい。何か、旦那様に相談があるようです。でもまだ早かったので」

 リリィの顔が少し紅潮している。

「なに、気にすることはない。楽しかったかい?」

「はいっ!」

 リリィがにこやかに答える。

『リリィちゃん、何を話したかは内緒よ。ガールズ・トークなんだから』

 応接室の中からエリーゼの声がする。

 エリーゼはすぐにリリィの後ろに現れた。長い手足に細い体幹、プラチナブロンドの長い髪。相変わらず美しい。全身にオーラをまとっているかのようだ。

「少し早いかもとも思ったんですけど、リリィちゃんにも会いたかったから来てしまいました」

 スカートの両裾を少し摘んで膝を曲げる。

「なに、エトワールの訪問ならいつでも大歓迎ですよ」

 ダベンポートは上機嫌なことも手伝ってにこやかにエリーゼに答えた。


「それで、相談というのは何なのですかな?」

 ダベンポートはエリーゼをリビングに誘うと、リリィに新しいお茶を淹れるようにお願いした。

「また、トウシューズがおかしくなりましたか?」

 組んだ両手に顎を乗せ、見透かすようにエリーゼを上目遣いに見る。

「はい、実はそうなんです」

 エリーゼは頷いた。

「ジュテもそうなんですけど、もっと小さなジャンプ、アッサンブレなどもどこか様子が変なのです」

 すぐにリリィがお茶を乗せたトレーを持ってキッチンから上がってきた。

「さっき二人でオレンジペコーを飲んでしまったので、今度はラプサンスーチョンにしました」

 ティーマットをテーブルにひろげ、二人の前にソーサーに乗せたティーカップを静かに置く。

 リリィは大きなティーポットから優雅な手つきで二人のカップに紅茶を注いだ。

「リリィ、せっかくエリーゼが来ているんだ。君も一緒に座るといい。もう一つティーセットをもっておいで」

「でも、晩ご飯の準備が……」

 リリィは少し躊躇うようだ。

「あら、それなら大丈夫よ」

 エリーゼはにこりと笑うとリリィに言った。

「一緒に食べようと思ってブイヤベースを作らせたの。馬車にしまってあるわ。晩ご飯は私に御馳走させて?」

 どうやら最初から長居するつもりで来たらしい。

「やあ、それは素晴らしい。ぜひご相伴に預かりたいものだ。リリィ、それならあとはパンとサラダがあれば十分だろう。お言葉に甘えて今日はエリーゼさんに御馳走してもらおうじゃないか」

「よろしいんですか」

 リリィがうれしそうに微笑む。

「勿論だとも。君たちはお友達なんだろう? お友達なら一緒にいるものだ」


「その、不調なのですが」

 上品に紅茶を口に運びながら、エリーゼはリリィが戻ってきてから再び話し始めた。

「実は魔法が効いていないようなのです」

 ソーサーにティーカップを戻し、小さくため息を吐く。

「魔法が効いていないって、エリーゼさんは確かもう魔法は使っていないはずでは?」

「ええ、そうなのですが」

 エリーゼは頷いた。

「実は先日風邪を引いてしまいまして。でも公演は待ってくれないのでマーマの魔法に頼ることにしたのです」

「風邪なのに踊ったのですか?」

 驚いたようにリリィが目を丸くする。

「リリィちゃん、私はプロですもの。お金を頂いた以上、絶対に踊るのよ」

 エリーゼはにっこりと笑った。

「そして絶対にお客様を満足させる。それがプロってものなの」

「ふわー」

 思わずリリィは両手で口を覆った。

「プロって大変!」

「ふふふ」

 エリーゼは含み笑いを漏らした。

「ハウスメイドだって大変じゃない。同じことよ」

「それで、どうなったのです?」

 ダベンポートは話を元に戻した。

「アンジェラ先生のお話では魔法がかかっていると十%ほど跳躍力が増すということだったので、そのぶん力を抜いてみたのです。ところがそうするといつもよりも跳ぶ高さが低くなってしまって……結局全力で踊らなければなりませんでした」

 なるほど。

 もう芸術院のあたりにまで影響が及び始めているのか。

 だがダベンポートはそれを顔には出さず、

「でも踊り切れたのですよね?」

 とエリーゼに訊ねた。

「それはもちろん。死にそうになりましたけど」

「エリーゼさん、死んじゃダメです!」

 それを聞いたリリィが慌てて隣のエリーゼにすがりつく。

「やーねリリィちゃん、言葉の綾よ。踊りすぎて死んだなんて話、聞いたことないわ。大丈夫、一晩よく寝たら風邪も治ったし。私、こう見えても頑丈なのよ」

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