第四話

 二週間後。

 ようやく、徐々に情報がダベンポートの元に集まり始めた。

 観測ポストの設置は四日ほどで終わった。ヨーナスたち観測チームは市街の地図を詳細に検討した結果、街に設置された瓦斯ガス灯に観測ポストを設置することにしたのだった。

 セントラルの市街を照らす瓦斯ガス灯は通りに一定間隔で設置されている。これを使えばセントラルをくまなく覆うことができるはずだ。

 一方、ダベンポートの副官を任されたウェンディもよく働いた。彼女はさっそく厩舎から気の合いそうなサラブレッドを選ぶと、それを勝手に自分専用の馬と認定して日々魔法院とセントラルとを往復している。

 いつもお洒落に余念がないウェンディだけあって、彼女は服装も乗馬服風のパンツルックに変えていた。短めの上着に乗馬ズボン、膝丈のブーツにベレー帽。色を黒に変えただけでこれは要するに戦時中の女性士官の制服だ。

(うまいことやったな。これなら上も文句は言えまい)

 魔法院の捜査官はみな同じ制服を支給されているのだが、ウェンディは肩や腰のラインに工夫を凝らすことで自らのファッションスタイルを確立させていた。かなり大胆な改造だったが、それでも制服規程ギリギリの線は守っているため、総務課も文句を言えないようだ。

「ただいま戻りました」

 ウェンディはいつも開けっぱなしにしているダベンポートのオフィスのドアの前で敬礼をして見せた。

「おいおいウェンディ、いくら軍装風の服を着ているにしても、そこまですることはなかろうよ」

 流石に苦笑が漏れる。

「うふふ、つい。なんかこの服を着ているとそうしたくなっちゃいますの。格好いいでしょう?」

 何を思ってかダベンポートの前でくるりと一回転してみせる。

 回転するにつれ、ウェンディからいつもの東洋風の香水が微かに香る。

「そりゃあ結構だが……馬に乗るのに香水をつけているのか?」

 呆れてダベンポートはウェンディに訊ねた。

「ええ、シスべスター号は鼻が悪いみたいなんです。ぜんぜん気にしてないようですわ。かわいい子です」

「まあ、いい」

 ダベンポートはそれまで書き物をしていたノートを脇に退けるとウェンディに手招きをした。

「それで状況は? 順調かね?」

 傍らの椅子を引き寄せ、ウェンディがダベンポートの前に膝を揃えて座る。

「警察の人は良く働いてくれてますわ。毎日ちゃんとデータを取ってくれています」

 言いながら足元に置いた鞄から分厚い紙束を取り出す。

「今のところサボる様子はありません。これは昨日の分。もう地図にプロットし終わったので用済みです」

 ダベンポートの立てた計画はこうだった。

 毎日警官が昼のパトロールと夜のパトロールの二回、観測ポストでデータを取る。そのデータをヨーナスのチームが地図に落とし込み、マイクロフィルムに加工した上で鳩を使って魔法院に送り戻す。届いたマイクロフィルムはブループリントに焼き込まれ、それがダベンポートのオフィスに届けられると言う寸法だ。

 マイクロフィルムはまだ一般には普及していない技術だった。だが魔法院はその可能性に逸早く気付き、膨大な量の資料をマイクロフィルム化するための手順をすでに確立させていた。資料を百六十分の一のサイズに縮小してくれるこの技術はとても使い勝手が良い。しかもブループリントに焼き込めばいつでも資料を閲覧することができる。

 魔法院は魔法技術を応用することで、マイクロフィルム作成用のカメラを小型化することにも成功していた。その貴重な一台を今ヨーナスのチームがセントラルの警察署で管理しているという訳だ。

「鳩はちゃんと帰って来ていまして?」

 ウェンディは机の上に肘を突くと、組んだ両手の上に細い顎を乗せた。

「ああ、来てるよ」

 ダベンポートは頷いた。

「カラドボルグ姉妹が鳩の世話をしているんで助かってる」

 カレンとヘレンの姉妹はセントラル警察と密に連絡を取る必要がある関係で、鳩の世話係になっていた。その二人が朝晩交代で帰ってきた伝書鳩の足からチューブを回収し、フィルムをプリントしてここまで持ってきてくれる。

「だが、そろそろ何か考えないと収拾がつかん」

 ダベンポートは部屋の隅に置かれた箱に詰め込まれている丸められたプリントの束を顎で示した。

「一応全部チェックはしているんだが、なにしろ僕はこの手の測量に関しては門外漢でね。プリントを渡されても正直、訳がわからん」

「そうですわね」

 つとウェンディは立ち上がると、ブループリントの詰まった箱に立てられていた定点観測用の小型魔力マナ・メーターを手に取った。

 ヨーナス達が定点観測用に設置したこの魔力マナ・メーターはコンパクトなために簡単な計測しかできなかったが、定点でのマナの挙動を測定するのであればこの程度で十分だ。

 ウェンディは小さな魔力マナ・メーターを部屋の中央に垂直に立ててみた。

 すぐに円盤が回りだし、付け根の回転計が室内のマナの量を表示すると共に矢印が魔法院の内側を示す。

「確かに、こんなものを見ても良く判らないですわね」

「ああ」

 ダベンポートは頷いた。

「そろそろ頃合いかも知れん。一度ヨーナスを呼び戻して相談してみよう」

…………


 翌日、朝早くにヨーナスは馬を走らせて魔法院に帰ってきた。

「それでなんですか、相談事って」

 ヨーナスはコーヒーカップを片手にダベンポートのオフィスに入ってきた。すでに来ていたウェンディに会釈し、彼女の隣の椅子に座る。

「それだよ」

 ダベンポートはブループリントの束を指差した。

「毎日二回届くのは誠に結構なんだが、解読係がいないと埒が明かん。誰か寄越してくれないか?」

「なるほど?」

 膝を組んだヨーナスはコーヒーを一口啜るとダベンポートが壁に貼った最新のブループリントに目を向けた。

「僕たちからすればこれだけで充分なんですけどね」

「君らはそうかも知れんが、こちらは何が何だか良く判らん。もっとこう、判りやすくはできないものかね?」

 ダベンポートがそう言うのも無理はなかった。ブループリントに描かれているのは観測ポストの位置を示す印とマナの流れを示す矢印、それに強度を示す数字ばかりだ。

「そうは言われましてもねえ」

 ヨーナスが肩を竦める。

「等高図でも作ってみますか?」

「天気図のようにかい?」

 ダベンポートは渋面を作った。

「同じことだよ。それよりは誰かがここにいて新しいデータが届くたびに変化を説明してくれた方がよほど助かる」

「いや、それはちょっと……」

 ヨーナスは躊躇するようだ。

「正直に言って、まだ取り掛かったばかりではっきりした事が言えないんですよ」

 ヨーナスは技官だ。技官はどうもファクトベースでしか話をしない癖がある。ヨーナスもそうだが、技官は総じて推測や推論で物を言いたがらない。

「ヨーナス、しかしそれでは困る。もう二週間も使ってしまった。そろそろ成果が欲しい。正直、僕は飽きてきた」

「そう言われましてもねえ」

 ヨーナスは麦藁色の髪を刈り上げた頭の後ろを掻いた。

「弱ったな」

「じゃあ、映画シネマトグラフを作ってみてはどうかしら」

 それまで黙って話を聞いていたウェンディがヨーナスに助け舟を出した。

 映画シネマトグラフは隣国で開発された技術だ。連続的に撮影された写真をスクリーンに投影することで、まるで景色が動いているように見せる事ができる。すでにそれを使った演劇も作られているという話はダベンポートも知っていた。

「お隣の国では流行ってるみたいじゃない。あれと同じ要領でブループリントを連続的に見られる仕組みがあれば変化が判り易いのではないかしら?」

「ああ、それはいいアイディアだ」

 ダベンポートは頷いた。

「等高線図がそれで動いてくれればもっといい。今あるデータが十日分で二十枚、一枚を二秒ずつ写して四十秒か。それなら今までの動きが少しは判るかも知れん」

「なるほど。了解です」

 ヨーナスは頷いた。

「では今日、手隙のものに等高線図を作らせましょう。今までの分をまとめてマイクロフィルムにして送りますから、それまでに映写機を明日準備してもらえますか? ブループリントに焼き込む代わりにそこの壁に写してみましょう」

…………


 会議が解散した後、ダベンポートは立ち去ろうとするヨーナスの背中に声をかけた。

「しかしいつの間に君はコーヒーを飲むようになったんだね?」

 さっきまでヨーナスは実にうまそうにコーヒーを飲んでいた。お茶が好きなダベンポートからすると、ただ苦いだけのコーヒーをそのようにうまそうに飲むヨーナスの気が知れない。

「コーヒーなんて要するに焦した豆の煮汁だろ? うまいとは思えん」

「新大陸にはお茶がないんですよ」

 ヨーナスは答えて言った。

「新大陸の連中が飲むのはもっぱらコーヒーです。しかし、慣れるとこれもいいものですよ。コーヒーにはコーヒーの良さがあります」

「そんなものかねえ」

 ダベンポートが腕を組んで首を捻る。

「ダベンポートさんがお好きなお茶だって、乾燥して発酵した茶葉を煮出したものじゃないですか。似たようなものですよ」

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