第三話
エリーゼを交えた食事は楽しかった。
食卓に温め直したブイヤベースを置き、リリィが三人分配膳する。サラダはミモザと人参のサラダ、パンは駅前のパン屋自慢のライ麦パン。少し酸味のあるパンだが、味の濃いシチューには素敵に合う。
ブイヤベースは隣国の南部のお料理だ。ブイヤベースには『ブイヤベース憲章』なる厳格なルールがあり、リリィはそのルールに則ってまずはスープを配膳した。ついでお皿に具材を綺麗に盛り付け、スープの隣に添える。
ブイヤベースには各種香味野菜やトマトの他にカサゴ、ホウボウ、足長エビ、マトウダイやアンコウなど、最低四種類の海産物が入っていないといけないとされている。エリーゼはちゃんと『ブイヤベース憲章』に従った上で――ブイヤベースにはイカやムール貝を入れないのがルールだ――、巨大なロブスターを加えた豪華なブイヤベースを持ってきていた。それも大きな鍋一つ分。
「まだまだたくさんあります」
リリィは配膳しながら二人に言った。
「旦那様、今週はブイヤベースだけで過ごせるかも知れません」
「ま、それも一興だな」
ダベンポートはリリィに言った。
「いろいろな食べ方がありそうじゃないか。研究する価値は大いにある」
「きっと今日中になくなりますわよ」
エリーゼはにっこりと笑った。
「セントラルでも一番の隣国料理のシェフが腕に縒をかけたブイヤベースですもの。私の大好物なんです」
「ともあれ、頂くとしようか」
「そういえば最近、セントラルが少々物騒になっているんです」
エリーゼは両手でレモンをブイヤベースの具材の上に絞りながら両側に座ったダベンポートとリリィに言った。
「物騒?」
それまでエビと格闘していたダベンポートが顔をあげる。
「物騒とは少し違うのかも知れないのですけど、セントラルを浄化するとかで、今警察が
「地下墓所って、王室のお墓のですか?」
丁寧に裁かれた白身の魚の身にアイオリソース(ニンニクの入ったマヨネーズのようなもの。ブイヤベースの付け合わせに用いられる)を乗せたものを食べながらリリィがエリーゼに訊ねる。
「そうそう。それ。あそこ地下迷宮になっててどこがどうなっているのか警察も良く知らないらしいのよ。ところがいつのまにかに浮浪者の人たちがそこに住み着いちゃったらしくて、今追い出し作戦中なんですって。おかげでセントラルの街に浮浪者が溢れちゃってるわ」
「でも、地下のお墓って怖いし、なんか寒そう」
「ところがそうでもないんですって」
エリーゼは綺麗に剥がしたエビの殻を殻入れに移しながらリリィに言った。
「なんかね、意外と暖かいらしいの。口コミでスラムからも人が移動しているとかで、警察が毎日地下にもぐってるわ」
「ふーん、地下墓所にねえ」
ダベンポートは感心したように鼻を鳴らした。
「あそこは確か入り口も秘密になっていて、どこから入るかわからないはずなんだがなあ。僕が知っているのは王宮の地下にある入り口だけだ」
「そっちの方は大丈夫らしいんです」
エリーゼは今度はダベンポートに言った。
「さすがに王宮近くは警備が厳重で、地下にもちゃんと鍵がかかっていたらしいんです。でも、枝分かれしたところに古い教会がいくつもあって、中には半分壊れかけのところもあるみたい」
「まるでネズミだな」
ダベンポートはエリーゼに答えて言った。
「穴があったら入っちゃうのか。かなわんな」
「大きなネズミさんですね。でも追い出しちゃうのはちょっと可哀想」
「しかし、街の治安を考えると放っておくわけにもいかんだろう」
そうダベンポートはいうと、椅子の背に身を預けた。
「そうなんです。でも、おかげで私のお出掛けもさらに警備が厳重になっちゃったし、固っ苦しいったらありゃしない。その点魔法院に行くのであればすぐにお許しが出るから、これからしばらくはリリイちゃんのお家に遊びに来ようかしら」
…………
結局、エリーゼは十時過ぎまでダベンポートの家に滞在した。飲み物を白ワインから紅茶に切り替え、食後は三人でゆったりとリリィ特製のアップルパイを頂いた。
「それでダベンポート様、私の靴はどうなってしまったのでしょう?」
アップルパイを小さなフォークでつまみながら、エリーゼは最初の疑問に話題を戻した。
「まさか、マーマの魔法の期限が切れてしまったとか……」
エリーゼのトウシューズについている魔法陣は方位や位置に縛られない、むしろ護符に近いものだ。そんなものに使用期限がある訳がない。
「いえ、それはあり得ません」
珍しくブランデーを飲みながら、ダベンポートはエリーゼに正直に話すことにした。
「今、セントラルの一部の地域でマナが枯渇するという不思議な現象が起きているんです。実は僕がその捜査を任されましてね。ちょうど今日から着手したところです」
「マナが、枯渇する?」
エリーゼが不思議そうな顔をする。
「なぜマナが減っているのかまだその原因はよく判っていないのですが、ともあれ一部の場所ではマナの存在が観測できません。しかもその範囲は広がっているようです。どうやら芸術院の辺りのマナも薄くなってきているか、あるいはもうないのかも知れませんね」
「そうなのですか。では私が珍しく風邪を引いてしまったのもそのせいですか?」
「まさか!」
ダベンポートは笑った。
「マナは人体には影響しませんよ。無論、マナがないと健康を害すると主張する学者もいますし、逆にマナが濃厚な場所は危険だと主張する学者もいます。しかし僕は正直に言ってどちらにも懐疑的です。そんなマナの濃度で体調が左右されるようなら魔法院の連中は今頃とっくに入院しています」
実際、魔法院の実験室の中のマナの濃度は実にまちまちだった。いまだにはっきりとした答えを出せた学者はいなかったが、マナはまるで自分に意思があるかのように思い思いの場所に集まったりあるいは避けたりをしているようだ。
「ですので、しばらくはトウシューズの呪文のことは忘れてください。あなたならトウシューズの力を借りなくても踊れるでしょう?」
「はい、それはもちろんそうなのですが……」
「でも、いつまでもそれが続くと少し困るかもですね」
とリリィは考えながら口を挟んだ。
「街の人が使っている
「ああ、確かにね。あれにも魔法が応用されている」
「魔法が使えないときっと困る人がいると思います」
「ああ」
ダベンポートはブランデーのグラスをテーブルに戻すとにっこりと笑った。
「だから僕が捜査を始めたんだ。今回の事件は本当にワクワクするよ。何しろ人が死んでいないんだ。それなのに事件は奥深い。楽しみでならないんだよ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます