掴み損ねた未来の鎖
カシェルは、アレックスが撃った一番近くにいた巨兵に向かう。その足元まで辿り着くと、一気に相手の顔の高さまで飛び上がった。まず、相手の視界に入る。それがカシェルの戦い方だ。バーバラに次いで装甲が厚いので、カシェルはこうして引き付け役を頻繁に買って出る。
一体の目の下を少し削って、地面に降りる。そのまま移動して、もう一体から引き離す。
カシェルが相手している陸式の足元をミヤビがすり抜けていった。バーバラも後に続く。一瞬不安げにこちらを見た年下の少女に、視線でミヤビのところに行くように促して、錆びた倉庫の間を駆け抜けた。
「こっちは二対一」
いつの間にかアレックスがカシェルに並走していた。
「援護は任せて」
「私は大丈夫だから、ちゃんとあっちも――」
「怪我人が無茶しない」
ぐ、と言葉に詰まる。
「あそこ」
アレックスは、少し遠くの建屋の外壁に設置された階段の一つを指し示した。そこから狙撃する、と言いたいらしい。ある程度距離はあるが遮る物はなにもなく、確かにこの通りを狙いやすい場所だ。
「あまり場所変えないでよ」
そう言い残して、アレックスは放置された木箱を足掛かりに倉庫の上に登ると、そのまま屋根の上を走っていった。
「さてと」
相棒を見送って、カシェルも速度を弛めた。身体を反転させて、自分の背――走っていた方向に大きく跳躍。そのままブレーキを掛けて、自分が釣った敵に相対した。
剣を両手で正眼に構える。右手首にひきつりを感じたが、無視した。
カシェルを追いかけていた巨人の肩の光が強まった。左腕が上がる。カシェルの方に、掌を見せるように突き出してくる。その掌の中心に円筒が刺さっていることに気付き、カシェルは左へ駆け出した。空気を切る音。すぐ後に、瓦礫になにかが突き刺さる音。巨兵の左掌から、黒く細い棒が伸びていた。よく見るとそれは、短い円筒を連ねてできている。ということは……。
巨人の腕が動く。予備動作を見切ったカシェルはその場に屈んだ。頭の上を風切り音が通りすぎ、最後に倉庫にぶつかった。棒がしなった。否、あれは実は鞭であるらしい。その威力はへこんだ倉庫の壁で明らかだ。なかなかひやっとする。
鞭が巨兵の腕の中に巻き取られている。がらがらと滑車の音が躯から漏れている。
「なるほど、中距離」
巨兵はその場から動いていないが、攻撃範囲はある程度距離を取ったカシェルの背後にまで及んだ。飛び道具はないが、リーチは長い。しかも伸縮自在。倉庫に挟まれた通路では、戦うには狭かったかもしれない。が、アレックスには場所を変えないように言われている。どうにかするしかないだろう。
意を決して、前に踏み込んだ。コンテナの壁に沿って走る。巨兵は先ほどと同じように、一度鞭を伸ばすと、カシェルに向けて横薙ぎに振った。
「それはもう見たっ」
スラスターを作動。カシェルの背後から地面に向けて蒸気が噴き出す。飛び上がって鞭をかわし、倉庫の縁を蹴って軌道を変更。剣を振りかぶって、墜落ざまに鞭を叩き斬った。所詮は継ぎ接ぎ。繋ぎ目を狙えば、金属といえども壊すのは容易い。
一発で壊せた幸運に感謝しながら、そのまま相手の懐に飛び込む。この陸式の隙は、鞭の巻き取りのときだと見た。
足、腰、とジグザグに敵の身体を踏み台にして、上へ。腕に乗れたなら、ホップ、ステップ、で肩へ到達。そして、炉を狙って剣を突き出し、
「――っ!」
剣を前に翳す。刃を壁にして身を寄せる。盾にした剣の刀身が押され、カシェルは吹き飛んだ。
下から見上げたときには気が付かなかったが、肩の上に銃口があった。カシェルの顔くらいの径。そこから気弾が放たれたのだ。肩の炉はそのためのものだったらしい。鞭に気を取られていたカシェルは、己の迂闊さに歯噛みする。鉄の弾でなくて良かった。圧も低めで救われた。もしどちらかであれば、カシェルは確実に形を喪っていただろう。
スラスターを利用してうまく体勢を立て直し、着地する。せっかく距離を詰めたというのに、離れてしまった。悔しさに喉が鳴る。
睨み上げた巨兵の後頭部が爆発した。アレックスの援護だ。
「遅いっ」
さっきの台詞を棚に挙げて理不尽に詰ったのは、上手くいかなかった事への八つ当たりだ。とはいえ、これで少しは相手の気が逸れる。少しは動きやすく――。
ふと、閃いた。
「アレックス!」
喉に痛みを覚えるほどの音量で叫ぶ。工場の錆びた外壁に反射して、木霊が響いた。
「凍結! 左肩!」
単語を連呼してから、駆け出す。今度は前にではなく、巨兵の背後に回り込むように。カシェルをしっかりと捉えていた巨兵は、カシェルの動きに合わせて身体を旋回させた。
巨兵の正面がアレックスの方を向く。
かん、と微かな衝突音。それが続けて二発、三発。巨兵の肩口に微かに霧が生まれた。カシェルの指示通り、凍結材入りの銃弾が命中したのを見計らって、再度懐に飛び込んだ。
カシェルの動きを止めようと、巨兵が右手を振り上げた。叩きつけられる掌をくぐり抜け、もう一度左肩へ飛び上がる。さすがというべきか、左肩は真っ白、それも銃口の中まで霜に覆われていた。この気砲はおそらくスチーム・ライフルと同じ蒸気圧で発射される。ということは、銃の中の温度が下がれば気圧も下がり、発砲はできないはずだ。
目論見は、果たして当たっていたのか。
カシェルは二度目の砲撃を受けることなく、炉を剣で貫いた。澄んだ音に、軽い手応え。光はすぅっと消失する。これだけの大きなものを動かすエネルギーを持つわりには、あまりに儚い終わり方。
剣を抜き、辺りを見回してミヤビたちの姿を捜したその時。足元がぐらりと揺れた。慌てて巨人の顔を見上げると、瞳の部分にまだ赤い光が灯っている。
「まだ動くのっ!?」
炉を失えば巨兵は止まる。肩の炉は確かに潰した。となると考えられるのは、炉がもう一つあるということか。
しかし、動力を一つ失うというのは、重い金属の躯には大きな損害らしく、目に見えてその動きが鈍った。まず、左腕が全く動かないらしい。鞭の脅威もなくなってしまえば、どうということはない。関節のケーブルを切断し、機能を奪う。もう一つの心臓の正確な位置が未だ把握できずにいるのがもどかしい。相手の動きも見切れるので時間を掛ければなんとかなるだろうが――。
右の肩関節を狙い、飛び跳ねた空中で、右手首に痺れが走った。剣の柄が掌から滑り落ちる。長期戦はできないことは察していたが、まさかこのタイミングで限界を迎えるなんて。呆然と地面に落ちていく剣を見つめてしまった。
その一瞬の油断の間に、カシェルの頭上に影が射す。
「カシェル、前!」
別の陸式の相手をしていたはずのミヤビの声が聞こえる。一足先に倒したのだろうか。いや、気にすべき事はそんなことではなくて――。
鉄の拳が迫る。躱さないといけないが、空中で身動きがうまく取れない。スラスター。カシェルの脚力を補助するそれも、さすがに振り下ろされる腕の速度には追い付かない。愛剣も失っていた、身を守る術もない。まさか、こんなところで終わるのか――呆然とする。
「神の巨兵なんて……どうして神様はそんなものを遣わしたのかしら」
カシェルが戦いから戻ると、度々オードリーはそう嘆く。人間同士の争いがなくなっても、結局妹は戦場に駆り出されている。カシェルがまだ戦わないといけないのが辛いのだ、と姉は言う。
だが、いつのことだったか、一度だけそこに続きが付け加えられたことがある。
「でもね、少しだけ感謝しているの」
その時、テーブルの向かい側で姉は目を伏せていた。祈っていたのか。かつての日常を思い出していたのか。その表情は姉の心の平穏を示した一方で、諦念の色も宿していた。
「あのとき神が現れたから……あなたはあの人の手に掛かることはなかった。私は、二人を失わずに済んだ」
妹を恋人に殺される。それは姉にとって、到底許容できない事態であったに違いない。だから、オードリーはそうならなかった現在を喜ぶことにして、神の脅威が迫るこの現状を受け入れたのだ。
だが、カシェルは姉のように納得することも、自分を誤魔化すこともできなかった。今でも神など来なければ良かったのだと強く思う。神が現れた所為で、カシェルたちの拗れてしまった関係はきっちりと決着をつけることができなくなった。三人の前に残ったのは、恨みと後悔と罪悪感によるしがらみだけ。今もそれに囚われ続けている。
神の巨兵との戦いなど取るに足らない。かつてあった抗争の痛みさえ忘れてしまった。いつまで経っても目の前に有り続けるそれこそが、カシェルにとっての苦痛だった。
――でも、その苦痛から解放されるとしても、カシェルは死ねない。
気がつくと、無傷で地面の上にいた。多くの石炭を内包した廃工場。ひしゃげた倉庫が積み上がった通路の真ん中に立っている。そして、無事を喜ぶバーバラとエスメラルダ、無茶を咎めるアレックスとミヤビに囲まれ、もみくちゃにされていた。……生きているのだ、奇跡的に。まだ鎮まらない心臓の鼓動に生を実感する。あの状況で死ななかったことが信じられない。
あの後、カシェルの眼前にエスメラルダの電磁シールドが展開された。ばち、と電気が弾けた音に首を竦めたところをミハイルに拐われ、入れ替わりにミヤビとバーバラが巨兵の前に飛び込んだ。ミヤビはそのまま右肩を切り落とし、バーバラは装甲ごともう一つの炉を叩き潰した。カシェルの失態は見事に回収され、ようやくすべての巨兵が機能を停止させたのだ。
「ほら」
サニアという女軍人が拾ってきてくれた剣を、ミハイルを介して受け取る。あれだけ豪語してこのザマだ。情けなさに気落ちした。もはや虚勢すら張ることができず、素直に礼を言う。
「無理は駄目だって言っただろう?」
嗜める声は相変わらず優しく響いて、カシェルの心を引っ掻いた。萎んだ反抗心がもう一度頭を覗かせる。
「うるさい」
自分でもあんまりだと思うカシェルの台詞に、目の前の人は怒りもせずただ困った表情を浮かべた。これで愛想を尽かしてくれれば、カシェルの気持ちははるかに楽だっただろうに。
「助けてくれたことには礼を言うけど、私たちの事は放っておいて。……お願いだから」
瞳を見上げて懇願する。
ミハイルに対する情は、残っているに決まっている。裏切りを知る直前までは、彼は姉を大切にしていたし、カシェルに親切だった。義兄にと本気で望んでいた。今でも惜しい。あのささやかな幸福が。夢想した未来が。
でも、だからこそ、ミハイルの存在は棘となってカシェルの胸に突き刺さる。本人を前にすれば、心を抉られる。取り戻せないと知っているからこそ、今もなお未練が残り――手に入ることのない希望を前に絶望する。
――それは、あまりに不毛で、無意味な期待。
擦りきれたカシェルの心が、ミハイルに哀願する。
「あの時終わるはずだった
その言葉の意味するところを正しく汲み取ったのだろう。ミハイルは悲痛の面持ちで口をつぐんだ。
デウス・エクス・マキナ 森陰五十鈴 @morisuzu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます