STEP5.現実にがっかりしないように。それが現実ってもんです。
思ったよりも普通。
ロボットさんに案内され、初めて足を踏み出した現実世界に対する、それが感想。
我ながら酷すぎる感想だった。
僕は周囲を見渡す。
何の特徴も感じられない――しかし、逆に偏執的にシンプル過ぎるとか、ロボットじみて無機質だとかそういうこともない、つまりは、おそろしく平凡な町並み。人型だったり人型じゃなかったりするロボットが多少行き交ってはいるが、そのくらい。
まぶし過ぎるってことも特にない。
「がっかりしました?」
と、ロボットさんが尋ねてくる。
その笑顔に、僕は答えに詰まる。
もちろんそれは図星だったから。
特に鮮やかというわけでもない、むしろ濁った感じの青空を僕は見上げる。
「でも」
とロボットさんは言う。何だか楽しそうに。
「現実って、そういうものですよ?」
とロボットさんは笑い、それから、道路――ただの空間装飾ではなく実際に使われているものらしい――の手前で足を止める。そこには「バス停」と書かれた案内板が立っていて、そこには「本日臨時で人間用」とも表示されている。
「それじゃあ、バスに乗ってご友人との待ち合わせ場所に行きましょう。バスに乗った経験は?」
「あります」
当然、現実世界のバスではなく、仮想空間のバスにだが。移動のためではなく、バスに乗る、という体験のために。
「それならきっと」
と、ロボットさんが言うのを見計らったようなタイミングで、小さなバスがやってきて僕らの目の前で止まる。
「退屈かもですね」
□□□
『ところで、現実なのですが』
と、ツー子は言った。小声で。
『たぶん、がっかりすると思います』
「すみません。それ言っていいんです?」
『大事だと思うんです。アフターサービス』
「それアフターサービスですかね」
『いいじゃないですか。がっかりしたなら、そこですっぱり現実世界を諦めてしまえば。それはそれで成長ですよ』
「そんな成長は嫌です」
『いいのです。それが現実ってもんです』
「……」
『さて、これで最後のステップも終了となりました――貴方ともお別れですね』
「大げさな。僕がまた本を借りてきて、もう一度貴方を読めば、また会えますよ」
『読みますかね? もう一度?』
「……懐かしくなったりするかも」
『でも、その私は、今とは違う私ですので』
と、ツー子は言う。
『私たちは、読者とのコミュニケーションを通して、その読者に最適化された人格を形成しガイドを行うわけですが――私は、ぶっちゃそこまで高級な本ではないので、毎回形成された人格は初期化されます』
「でも」
と、僕は思う。
「結局、同じ人間である僕が読むんだから、貴方は今と同じ貴方になるのでは」
『なりませんよ』
と、ツー子は首を横に振る。
『だって貴方は、現実に行ってくるわけじゃないですか。それでがっかりするにせよ、何かを得るにせよ――現実に行ってきた貴方は、今とは違う貴方です。だから、その貴方に読まれる私も、きっと違う私になります』
「……そういう、ものですか」
『ええ。本というのは、元々、そういうものです――こうして人間と喋ったりできるようになる前から。ずっと』
けどもやっぱり期待してしまいますよね、とツー子は照れたような顔をする。
『貴方がいずれ「僕」なんて自分を呼ばなくなるような年齢になったときには、きっと私のような本には見向きもしなくなるでしょうけれど――でも、もし万が一、私をまた読んでくれることがありましたら』
アホ毛をぴょこんと揺らして、ふくよかな胸を揺らして、可愛いポーズを取って。
ツー子は最後にこう言った。
『そのときの私を、どうぞよろしく』
□□□
バスが待ち合わせ場所に到着した。
「では、私はこれで」
とロボットさんはバスに乗ったまま姿を消して、僕はその場所に取り残される。
公園。その入り口。
僕はとりあえず、スニーカーの靴紐を確認し、リュックサックを背負い直し、それから麦わら帽子を確認。
僕は公園へと足を踏み入れる。
緊張――もちろんしている。
手が震える。足も震える。そんな気がする。
それでも前へ進んだ先の、公園のど真ん中。
友人がいた。
胸の前で腕を組んで立っている。
着ているものは、革のジャケット。
バイクの代わりに、傍らには自転車。
サングラスの代わりに、お洒落な眼鏡。
初めて出会ったあのときみたいな格好の。
めっちゃ格好良い――女の子。
まあ、何となくわかっていた。
長い付き合いなのだし。
ただ、こんなに格好良い女の子だってことはちょっと予想していなかった。背丈も高いし、手も足も長い。
僕は、もう一度、深呼吸。
友人の下へと足を進める。
友人が僕を見た。
一瞬、何かを言おうとして。
ぱちくり、と眼鏡の奥の目を瞬かせた。
そのまま黙り込む友人の前で立ち止まって。
「現実では」
と、僕は告げる。
「初めまして」
「ええと……」
と、戸惑った顔をして、友人は口を開く。
「その、お前さ……」
友人は下を見て、左右に視線を走らせ、それから上を向いて、それから最後に正面から僕に向き直った後、いきなりこう叫んだ。
「なんで女なんだ! しかも美少女!」
僕は上を向いて、左右に視線を走らせ、それから下を向いて、それから最後に正面から友人に向き直った後、冷静にこう告げる。
「……それ、こっちの台詞じゃないか?」
「ねえよ! 仮想空間で美少女な奴が現実世界でも美少女だとか予想できるか!? 絶対男だと思ってたわ! もしかしたら万分の一の確率でダンディなおっさんが出てくるかもと期待してたわ!」
「その場合、そのダンディな男性は美少女姿で仮想空間を闊歩してた、ということになるんだけど……」
「黙れ。他人の夢に水を差すな」
「まあ僕も、本当はもっとふくよかな女性を期待していたけど」
「そっちもぺたんこだろ! 何でそこだけ盛ってるんだよ!」
「現実なんて気にしちゃ駄目だろう」
「現実に来ておいてそれを言うか」
「僕は君に会いに来ただけだから」
「…………」
「なあ。どうだろう」
と、僕は尋ねる。
麦わら帽子をちょっと傾けるようにし。
長く伸ばした黒髪を手のひらで払って。
着ている白いワンピースの裾を摘んで。
友人に、尋ねる。
「可愛いかな?」
もちろんここは現実で、だから服も現実用で、当然ながら計算通りのはためき方をしてくれたりはしない。強い風に吹かれると鬱陶しく、下着が見えてしまう可能性も頭をよぎる。
おまけに、履いているスニーカーと背負っているリュックサックは実用的。
そして、今の僕の胸はぺたんこだ。
完璧からは、ほど遠い。
それでも、友人はこう言ってくれる。
「可愛いよこんちくしょう」
「そうか」
と、僕は笑う。単純に嬉しくて。
「なら、来てよかった」
「ちょろい奴め」
「ちょろくて何が悪い」
と、ぺたんと胸を張ってみせる僕に、友人は肩をすくめて、こう言った。
「お前って、やっぱ変な奴だな」
こっちの台詞だ、と僕は言い返しつつ。
友人と二人で、現実の町へと繰り出す。
僕は思う。
これはもちろん仮想的な行為とは言い難く、そんなことは誰よりも僕たちがわかっている。大人になったとき「自分も若かったな」と思うような、何とも現実的な行為でしかない。
今のところは。
それだって、きっといつか変わるのだろう。
昔も今もこれからも。
僕らはずっと、変わり続けているのだから。
ちょっと扉開けて現実世界行ってみた 高橋てるひと @teruhitosyosetu
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