一夜のキリトリセン

大臣

 夜空には八十八の星座がある。こいつらはそれぞれ自分の区画を夜空に持っていて、簡単に言うならば領地みたいなものだ。星座たちは星空を少しずつ線で切り取って、我が物顔で闊歩している。しかし、星座すらも逃れることのできないキリトリセンがある。

___パシャ!

「うん。悪くない」

 写真である。

 

 野辺山開拓記念碑。野辺山駅から街道を大分進んで、獣道に入ってまた進んだ先にそれはある。雨風しのぐ先も無い。美味い飯が近くにあるわけでもない。常人ならこんなところに興味は無く、こんなところにいる僕とほか一名は、十分やばい奴ということだ。

「カメラの調子はどう?」

 僕は声をかけられて後ろを振り向く。テントの中には、僕をここに招待した人がそこにはいた。

「新月だからって言うのもあるんでしょうけど、いい写真が撮れてます」

「よかった」

 彼女はそう言ってにっこり笑った。なんだか癪だが、彼女に感謝しているのは確かなので、何も言わないことにする。

 彼女の名前を僕は知らない。前に彼女と部活が同じ、地学部の奴がリョウ先輩と呼んでいたので、僕もそれに倣っている。何の関係もないはずの帰宅部の僕が何故か目をつけられて、時たま彼女の一人旅に同行させられている。

「こんな誰もいないところに若い男女二人きりなんて、間違いが起きないとも限らないよね」

 妙に間延びした声でリョウ先輩は言う。またかと思いながらも僕は相手をする。

「誘ったのはそちらですし、僕の方からアクションを起こすことを期待しているなら無駄なことですよ。僕は撮影のためにここに来たんですから」

「素っ気ないなー」

 そう言いながら彼女は、テントの中から這い出てきた。

「寒っ」

「靴下一枚しかはいていないからですよ」

 冷気は下からやってくる。いくら上着を厚くしても、カイロを装着しても意味は薄い。よって星空観測をするものは、靴下を三枚は重ねるべきなのだ、というのが目の前で寒がっている先輩の話だから呆れるしかない。

 リョウ先輩は靴を履いて、僕の方に来た。

「北斗七星か。プラネタリウムで見たときよりも大きくてびっくりしたんだよなあ」

「ここ、結構高いところにありますからね。プラネタリウムから見える星空って、設定いじらなきゃ大分低いところから見える星空なんですよね」

「うちの学校のは初期位置が五十メートルぐらいだったかな。ここは、それより高いところにあるからね。大分変わるんだなあ」

 リョウ先輩はそう言うと、カメラから視線を外して、星空を眺める。

「僕と違って何度も星空を見に来ているのに、今更そんなことで驚くんですね」

 この暗さだから見えているかはわからないけれど、僕はわざとらしく苦笑いをして、彼女に言った。リョウ先輩は笑って、

「人生は、驚きと発見に満ちたものでなければならないのだよ」

 格好つけた声で言った。僕は適当にその言葉を流すと、予想通りにリョウ先輩はむくれた。

「さて次はと」

 一通り話す事が終わったので、僕はまたどこを切り取ろうかなと星空に目を向けた。

 東の空から秋の星座が上り始めている。ペガスス座を撮るのも悪くない。でも、秋の星座は一連のストーリーでつながっているので、どうせなら全部撮りたい。そんな訳で僕は、天頂で燦然と輝く夏の大三角にカメラを向けることにした。ちょうど天の川も通っているので、上手くいけば写るかもしれない。

 僕はカメラの向きを調整し、ファインダーを覗いて問題が無いかを確認。そして感度の調節に入る。いつも通りにしてからふと気づいた。今日はいつもと違うのだ。

「先輩。赤道儀貸してくれませんか」

 僕はカメラの方を見たまま、リョウ先輩に呼びかける。

「虎の子を使うか」

 声から彼女のニヤニヤしている顔が目に浮ぶ。

 先輩は僕のそばまでやってきて、赤道儀を渡してくれた。

「使い方はわかっているか?」

「はい。ありがとうございます」

 彼女はにこりと笑うと、何か準備をし始めた。

「何してるんですか?」

「ん?」

 彼女が少し脇にそれたことによって、それを見ることができた。

「望遠鏡ですか?」

「そう。この前買ったんだ」

 子供みたいに(もとから子供みたいだが)笑っている。今回はこれのお披露目会だった訳か。僕はそれを見て苦笑しながら、カメラの調整に戻った。

 カメラで暗い場所の写真を撮る場合、普通に写真を撮るようにやると、悪い出来になってしまう。そのため、二つの解決策が用意される。ここでキーワードになるのは「感度と「露光時間」だ。

 感度を上げれば短い時間でもたくさんの光をすくい上げることができるので、暗い場所の写真も簡単に撮ることができる。露光時間とは、シャッターを開けている時間のことで、これが長ければ長いほどたくさんの光を拾い上げることができる。一つ目の解決策は感度を高く設定して写真を撮るというもの。もう一つは露光時間を長くするというものだ。しかし、この二つとも同じかと言われるとそうではない。感度を上げると画像が荒っぽくなるし、露光時間を長くすると、動くものを撮ろうとするとぶれてしまうのだ。

 星は動く。三十秒を超えた設定だと、ぶれた写真になってしまう。ところが、赤道儀を使えば、露光時間を長くして撮れるのだ。

 赤道儀とは、星の動きに合わせてカメラの位置を動かしてくれる機械で、露光時間を長くしても星がぶれることなく撮れるのだ。

 僕はこれを持っていなかったが、今回はリョウ先輩が赤道儀を持ってきてくれた。

 人生初の赤道儀。胸が高鳴る。

「何分で切ったの?」

 リョウ先輩から声がかかる。

「五分です。長過ぎかもしれないですけどね」

「ふーん、それなら」

 リョウ先輩はテントの中に戻って、中からカップラーメンを持ちだした。

夜食の時間だ。

____________

「できあがったよ」

 適当に星空を見ながら過ごしていたら、いつのまにか完成したらしい。僕はお礼を言って、カップラーメンを食べた。星空の下のカップラーメンは旨い。

 しばらくお互い何も言わなかった。寒かったせいで、温かいものを求めていた体が、体を温めることを優先したのだ。しばらくして、そういうことになっていたのに気づいて、互いに笑った。

「リョウ先輩、一ついいですか?」

「何?」

 今更だ。本当なら、最初に聞いてもよかったはずの疑問だ。

「どうして、僕に目をつけたんですか」

 ただの帰宅部員。彼女にとって、後輩の同級生だ。どうしてこんな風にしてくれるのだろうか。

 リョウ先輩はずいぶん遠い目をした。

「君やけに星に詳しいじゃん。天体写真を取り始めたのは私とで会ってからはず。でも、元々君はそういった知識を持っていた。プラネタリウムの高度の知識がいい例。やけに知りすぎている」

 急に地面が揺れたように思った。彼女は、何を知っている?

「去年のことなんだけどね、プラネタリウムの勉強ってことで、他の学校の文化祭に行った。そこですごい人に会ってね。基本的にプラネタリウムって快適だから、どうしても寝ちゃう人がいるわけ。でも見渡した限り、そんな人がいなかった。初めてのことだったよ。そんなことができる人がいるなんて」

 リョウ先輩は、そこで僕の方を向いた。

「それが君だ」

__________

 たしかに、僕にはそういったことにむいていたのかも知れない。話すことも、台本を作ることも、全部が楽しかった。

 でも僕は、最後の最後でミスを犯した。

 あの日は、外部で行う初めての公演だった。近くの郷土博物館のプラネタリウムで、市民向けの上映会を行った。いつもと違った点はたった一つ。博物館側がお金を取っていたということ。

 僕らにお金が入るわけじゃない。でも、見ている人には関係ない。そんなたった一つのことが、楽しかっただけの上映に、いろいろな気持ちを生んだ。焦りか、責任感か、いずれにしても、結果は一つしか無い。

 失敗だ。ひどい失敗を、僕は犯した。

 もう、十分だ。

 あの日から、僕の星空との時間は、切り取られた写真のように、止まっている。

__________

「馬鹿だね。君は」

 僕の身の上話が終わったあとの第一声がそれだった。一瞬いらつきかけて、こらえた。先輩の話は続く。

「素直な人にはありがちなことだけど、一度のミスで色々塞ぎ込んでしまう。でも、間違いが無い人間なんていない」

「……それはそうですが、でも、また間違えたら……」

「その感覚はわからないでもないよ。でも、そこで立ち上がらないのもどうかと思う。君が私たちの学校に入学して、半年以上が経った。その間に君がその才能を磨いていれば、この夏休み中にでも、それを披露する機会があったはずだ。それで喜ばすことのできる人の人数は、きっと多い」

 そんなことはない。僕はきっと間違える。そうしようもなく、ミスを犯す。

「それにさ」

 リョウ先輩は急に、どこかを指さした。

「君、結局焦がれてるじゃん」

 指の先には、カメラがあった。

「君に具体的に何があったのかは知らない。結局同じことになるかもしれない。でも逆に、最高の結末にたどり着くかもしれない。でもいずれにしても、まずは始めないとね」

 リョウ先輩はそう言って立ち上がり、

「君の写真の出来はどうなってるのかな」

 にっこりと笑った。

________

 ここ村野学院は、全国有数の設備がそろう学校だ。目玉はプラネタリウム。ここら辺一体を探しても、プラネタリウムがあるのはここぐらいだ。

 夏休みもこのプラネタリウムを使う部活、地学部の活動は活発で、結構な人数がそこにいる。

 そのため、夏休み中に入部しようという部員も結構いる。

 僕もまたその一人だ。


 リョウ先輩の言うとおり、僕は焦がれていたのだろう。でも恐れてもいるのだろう。またやりたくなっていいかなんて、誰にもわからない。でも、まずは準備から始めないと、何も生まれない。

 だったら、進んでもいいじゃないか。

 僕は息を吸って、先輩がいるであろう扉を叩く。

「失礼します」

 前に進む勇気を、写真のように心に残った一夜の思い出がくれたのだから。

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