最終話

 あの放送事故から一ヶ月がたった。


 一ノ瀬さんは以前と変わらず、薬師寺ますみとして活動を続けている。


 配信から数時間後に更新されたますみんのSNSには、あれはマスナーを驚かす演出だったという旨の謝罪文がつづられた。配信ページに動画は残さなかった。


 それでもしゃれにならないという批判は大きく、しばらくの謹慎が会社からいい渡された。その謹慎明けが昨日だった。


 彼女の性格は激変していた。


 あんなにもにぎやかだった性格が失せて、すっかり大人しくなっていたのだ。言葉づかいも丁寧で、それこそ当初の薬師寺ますみそのものだった。


 わたしが電話で様子をうかがったときも、心配をかけて申し訳ないと謝られたが、消え入りそうな声だったので聞き取るのに苦労した。


 おそらく、誰にも打ち明けられない凄惨せいさんな乱暴をオクトパスから受けたのだろう。彼女の心はいま、人格が変わるほどの深い絶望に沈んでいるのだ。


 ああ、かわいそうに。


 また笑いをおさえられなくなってきた。


 すべて思い通りに事が運んだ。上手くいきすぎて夢ではないかと疑うほどに。


 前々から、彼女のことは気に入らなかった。


 わたしたちはVTuberという別人格のキャラクターを与えられて活動しているのに、その設定を捨てて自我をさらけだす適当さが大嫌いだった。見るにたえないと日ごろから思っていた。


 なのに、あちらの方が人気者になっていく。それが許せなかった。だから、おきゅうをすえてやることにしたのだ。


 あの配信の一ヶ月前、わたしは彼女に自宅コラボ配信を持ちかけて、居住地の情報を手に入れた。すでにアンチが顔写真を公開していたので、小岩駅でこの人を見た、とますみんのアンチスレに書きこんだ。


 そこに信頼性の高い情報を加えてやれば、あとは暇で、なおかつ無駄に行動力のあるアンチが住所を割りだしてくれる。


 他にも無言電話やポストへのいたずらがあったそうだが、法に触れそうな行為はすべて彼らがやった。わたしは一切かかわっていない。


 ますみんのアンチは、ついでのようにわたしのことも悪くいっていたが、そのわたしの手で踊らされてしまうのだから、本当に間抜けな連中だ。


 時はたって、あの配信の前日。オクトパスが彼女の自宅へ押しかける意志を示した。わたしがSNSで、ますみんの悪口でも書かれていないかと検索していたら偶然見つけたのだった。


 この男を利用しない手はない。配信当日、彼女の家の玄関ドアから異音がしたのを機に、わたしはマオちゃんのアカウントでパソコンからコメントした。ドアをあけて外を確認しろ、と。


 ここで上手く鉢合わせてくれれば面白かったが、残念なことに空振りだった。しかも配信中にオクトパスが来る気配もないので、腹いせに今度はスマートフォンを使い、マオちゃんとは別のアカウントでコメントを書いた。


 そのアカウントこそが『ゆでだこ』だ。書きこんだコメントの数々で彼女がおびえた様は、いま思いだしても笑えてくる。


 ただ、『いつも僕の視線、感じてくれてるんでしょ?』とコメントしたのは迂闊うかつだった。彼女が視線に悩んでいることは、わたししか知らない情報なのだから。幸い気づかなかったようでほっと息をついたが。


 そして、ついに待ち望んでいたことが起きた。わたしのコメントをなぞるようなタイミングで、本物のオクトパスが部屋に侵入したのだ。


 あのときの興奮はすさまじくて、思わず立ち上がってしまった。声を出すと悲鳴が聞きづらくなってしまうので、必死に口をおさえたのをよく覚えている。


 最終的に、オクトパスは彼女のマンションで逮捕された。ニュースでも小さく扱われたので、彼女の居住地を知っていて、なおかつあの配信を見た人ならピンと来たかもしれない。


 実際SNSでは、『ゆでだこ』のコメントや、悪名高いオクトパスのSNSが更新されていないことなどを絡めて、ああだこうだと考察している人がちらほらいた。


 なにはともあれ、オクトパスは捕まった。めでたしめでたしだ。けれど彼女は心に一生ものの傷を負って、これからも生きていくことになるのだろう。


「自業自得よ」


 わたしはスタンドマイクの位置を調整しながら吐き捨てた。


 散々調子に乗った活動をしていたのだから、遅かれ早かれ痛い目にはっていただろう。むしろ、早めに己のあやまちを見つめなおせたことに感謝してほしいくらいだ。


 わたしは鼻歌まじりでゲーミングチェアに腰かけた。


 メインモニターの右側に置いたサブモニターに、やや斜めを向いたマオちゃんが映った。銀の長髪に赤い瞳、そしてねずみの耳と軍服姿。今日もかわいい。


「さて」


 デスクの引き出しをあけた。そこからイヤホンを取りだして、両耳に入れる。


 その寸前だった。


「誰!」


 わたしは、はじかれるように席を立った。全身に鳥肌を浮かせて周囲を見回す。


「…………」


 また、誰かに見られているような視線を感じた。この一ヶ月で何度目になるか、自分でもわからない。


 これは本当にただの職業病なのだろうか。そうだと切り捨てたいのに、いま感じた薄気味悪さがそれを許してくれない。


 ぶるりと体が震えた。その悪寒のせいか、いままでの出来事に関連した胸騒ぎの種が、二つもあるのを思いだしてしまった。


 一つ目は、オクトパスの事件を報じたニュースだ。あの内容には、わたしの想像と食い違う点があった。


 報道によると、オクトパスはドアの前で暴れているところを、駆けつけた警官に取り押さえられたらしい。


 つまり、部屋の中には入っていないことになる。


 もちろん詳細は知らないので確かなことはいえないが、報道ではそうしたニュアンスだった。しかもその時刻は、配信が終わった一時間後だ。


 わたしは腕をさすった。


 もしも。


 もしもあの日の犯人が、オクトパスではないとしたら。


 彼女は一体、誰に襲われたのだろう。


 いや、そもそも、本当にあの部屋には侵入者がいたのか。


 記憶をたどってみれば、彼女の悲鳴は聞こえていたのに、争うような物音はまったくしなかった。


 まさか、彼女は自分で自分の首をしめていたとでもいうのか……。


 部屋着から露出した手足が妙に冷たく感じる。クーラーはつけていないのに鳥肌がおさまってくれない。


 二つ目の胸騒ぎは、昨日のますみんの配信だ。


 あれは冒頭の謝罪からしばらくして、雑談に入ったときのことだった。落ちついた口調でますみんが今週の予定を話していると、3Dモデルの口が発音通りの形を作らない瞬間があった。


 その際に口の動きは、



 あ う え え



 のような形になっていた。


 単なる3Dモデルの不具合だろう。珍しいことではない。そう感じながらも、わたしにはなぜか、



 た す け て



 そういっているように見えてしまった。


 直後、ますみんは笑った。訴えかけるように動いていた口を塗りつぶすように、口角をにぃっとつり上げたのだ。いままでに目にしたことのない、やけに生々しさを感じる不気味な表情モデルだった。


 あれを思いだすたび、生きた心地がしなくなる。本能が警告を発しているような気がしてならない。


 わたしは椅子に腰を落とした。


 姿見を見ると、ひどくやつれた顔が映っていた。無理やり頬を上げてみると、あの不気味なますみんの笑顔と重なった。叫び声が喉に溜まる。


 どうやら今回の事件は、わたしの心にも恐怖を植えつけたようだ。ここ最近は視線が気になりすぎて、FPSではかつてないほど負け越している。


 気持ちを落ちつけるために、ゆっくり深呼吸をした。


 どうやらわたしには気分転換が必要らしい。近いうちに配信休止日を設けて、景気よく旅行にでも出かけよう。ついでにあの女も誘って、新しい弱みでも握ってやれば楽しそうだ。


 それまでは心にムチを打って頑張ろう。


「マオちゃん、力を貸してね」


 わたしはサブモニターを見た。笑顔を作って、マオちゃんの姿を目にとめる。


 マオちゃんもわたしを見て、大きく笑った。

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