『敵襲! 敵襲ーーーーッ!』


 最初は、遠方から。

 そして段々と近くから聞こえるようになったその声は、全くもって予想外のもの。

 敵襲? ……から? 

 敵、聖王国軍が攻めてきたとしたら、もちろん西方からだ。そうだとすると、帝国軍は敗走したということになる。しかし敗残兵の一人もこちらには来ていない。それに遠き西の空では猛然と黒煙が舞っているではないか。仮に敵軍が帝国軍戦列の一部を食い破ったのだとしても、他に残る帝国軍を残して遥々遠い後詰まで進撃してくるはずもない。と、なれば。

 聖王国軍が迂回路を用意して、予想外の方向から奇襲をかけてきた?

 現状としてはそれ以外に考えられないだろう。


「爺さん、決闘は後だ。俺達は部下を動かさなきゃならねぇ」


「……私もしょうの一人だ。敵軍をこれ以上通すわけにはいかぬ」


 ジグムントが自らの大剣から手を離しながら言うと、レイナードもマントの中に刃剣を引いた。そして二人の視線の交錯が終わり、互いに自身が率いる部隊の野営地の方へと向き直る。あまりの切り替えの早さと息の合った動きに、ヘルガの口から称賛と冗談が混じり合ったような言葉が出てきた。


「あんたたち、意外と相性良いのかもしれないねぇ」


 二人はヘルガの方にチラリと一瞬だけ目線を送ってから離すという、半ば無視するような態度を取った。もちろん冗談だということは二人とも分かっているが故だった。だから彼女も気を取り直して、自軍の野営地へ向かおうと一歩を踏み出す……。

 その時、野営地の方からゲルトが息を切らしながら走ってくるのが見えた。ジグムント、ヘルガ、レイナード、またも三人の予想を裏切るような言葉を発しながら。


「ジグムント、西を見ろ! 北西の森から襲撃だ!」


 彼の言葉に三人は一斉に北西の方向を見た。本来ならば青空が広がっているはずの方向、しかし彼らの瞳には忌々しき戦火と煙が映っていた。傭兵たちの野営地まではまだ距離がある。しかし友軍が襲われていることには相違ない。帝国軍の後詰野営地は南北に広がり、北側にはクルーヴェン伯軍の歩兵隊五百が駐屯していたのだから。

 ……北西、だと? ならば、やはり聖王国軍が迂回してきたということか。しかしその考えを否定するように、続いて聞き慣れない言葉が耳に飛び込んでくる。


「襲ってきたのは……だ!」


 それに対し、真っ先にヘルガが反応する。声を詰まらせながら問うた。


「なッ……。フィネッサって! それ、本当ホントかい? ゲルトの坊ちゃん」


「何だ、ヘルガの姉さんもいたのか。……てか、そこの爺さんは?」


 自分の上官だけに伝えに来たつもりが、後詰の主要な指揮官が他に二人もいる姿を見て、ゲルトは少し訝し気な表情を浮かべて言った。もちろんレイナードのことは名前だけしか知らないので、少年からはただの小ぎれいな老爺にしか見えていないが。

 しかし、ジグムントとしてもこの特殊すぎる状況を一から説明している余裕は無い。青年は、少年の方の話を急かした。まずは戦況を確認するのが先だ。


「それより、早く状況を説明してくれねぇか? 蛮族だと?」


「……ああ。奴らが現れたのは、一時間前のことらしい」


 ゲルトは緊張感を取り戻しつつ、そう切り出した。

 —―――約一時間前。野営地の北東方面を警邏けいらしていたクルーヴェン伯軍の斥候が、東へ向かう騎馬の一団を遠方に視認した。北西の森林地帯から突如現れた遊牧民二百が、皇帝本陣がある東方へと進路を取っていたのである。

 その報を受け取った後詰の帝国貴族〈クルーヴェンKluvenルトガーRutger〉は傭兵軍への伝令を飛ばすことも無しに、単独で自前の歩兵隊に遊牧民たちへの追撃を命じた。予想外の事態とはいえ、本陣に敵軍が到達することは何としてでも避けたかったのだろう。行軍準備ができた部隊から他の部隊を待たずに駆け足で追跡を強いられ、結果的に出撃した伯軍の歩兵隊三百は遊牧民たちの脚を止めることに成功したのだった。止めた、といっても元より遊牧民たちは常歩なみあしでゆっくりと進んでいたのだ。足並みを揃えずに強行軍すれば追いつくことは容易ではあった。

 しかし、足並みを揃えていなかったことこそが致命的だった。長槍パイクを携えた歩兵たちの間延びした戦列は、開けた草原にあっては自らの死を招いているも同然。両側面から幾らでも攻撃できてしまうからだ。戦列の前方にいたルトガー伯爵は即座に密集陣形を取るように命じたが、これも縦に長くなった戦列の端から端までは情報伝達に時間がかかり過ぎる。行き当たりばったりな伯軍とは対照的に、遊牧民たちは迅速に隊列を転換して二又に分かれた。伯軍の戦列に対する、両翼からの襲撃である。細い一筋の糸のようになっていた伯軍は、左右からの絶え間ない突撃によって食い破られ、五分と経たないうちに細切れの繊維が如く崩壊した。ルトガー伯爵は騎乗していたため早々と東方へ僅かな従者と共に遁走し、その後は行方知らずだ。

 辛うじて退却した者以外の伯軍歩兵を残らず屠った後、遊牧民たちは進路を東から南へと変えた。伯軍の進路を辿って、付近の帝国軍の様子を偵察しようとしたのだろう。その一方、野営地に残っていた歩兵隊二百も先遣隊からの連絡が途絶えたことを不審に思い、隊列を組んで北路を進んだ。これもまた傭兵軍には一切の相談なく行われた単独行動であった。それはともかく、伯軍と遊牧民たちは野営地の北方にて互いに意図せぬ形で顔を突き合わせることになり、そのまま衝突に至ったのである。


「……で、今になって伝令が俺達の方に情報を入れやがったってワケかよ。ザマァ無いぜ。勝手に藪を突っついて蛇が出たら、退治を他人に縋るようなもんだ」


 あらましを聞き終わって、ジグムントは吐き捨てるように言った。

 確かに、ルトガー伯爵が傭兵軍の方にも増援を要請してから出撃すれば、無様に遊牧民たちに敗れ去るようなことは無かったかもしれない。クルーヴェン伯は後詰の

総指揮権を握っていたこともあって、傭兵軍との連携不足は伯爵の指揮官としての力量不足を端的に物語っていた。正論なだけに、ゲルトは力なく応えた。


「それはそうだけどよ……。けど、このままじゃ」


「ああ、分かってる。確か北側の野営地にはグレンツェ魔導伯軍が待機していたはずだ。その蛮族共を野営地まで通しちまったら、魔力切れの魔導士なんざ一たまりもねぇ。ルトガーの失態とはいえ、責任追及されて報酬はお預けなんて笑えねぇ冗談さ」


 ジグムントはそう言って、背に戻していた大剣を再び鞘から引き抜いた。それから常人にはとても扱えない得物を高々と片手で掲げ、刃に映る自身の相貌を一瞥する。彼の眼は、来たる戦いに胸躍らせる餓狼のそれだった。青年は続いてゲルト、ヘルガへと視線を移して、最後にレイナードに目線を合わせた。


「今日は、決闘なんかより蛮族狩りの気分なんだ。分かってくれよ?」


 〈純白の老爺〉の表情は、ピクリとも動かなかった。


 


「—―――な、なんだ……ありゃ」


 ジグムントは声を漏らして、困惑を表出させた。

 いつもならそんな呟きに応えてくれる相方ゲルトが、今は彼の隣にいない。

 青年たち傭兵軍が救援のために戦支度を終えて集結する直前、ゲルトには伝令としての任務を与えたのだ。生死不明のルトガー伯爵を探し出し、生きていれば野営地まで連れてこい、と。何しろ現在の帝国軍後詰は指揮官不在の状況、傭兵軍はともかく伯軍歩兵隊の士気は著しく低い。残存部隊すら逃走して、傭兵軍がそのツケを払わされるのは御免というわけだ。それに、身勝手に動いて戦う必要の無い敵を刺激し、今の状況を作り出したのもルトガー伯爵だ。逃走して戦いが終わるまで隠れて、責任は有耶無耶なんてのは将兵にとって後味の悪い話だ。ゲルトには馬で伯爵を捜索させ、生きていればそのまま野営地まで誘導するように頼んだ。ただし陽が沈むまでに見つけらない、または死体を見つけた場合はそのまま何事も無かったように野営地に戻るようにと。わざわざ死体を運んでやる義務は傭兵には無いし、指揮官の死亡を悟らせることで将兵に更なる混乱が生じるのも避けたい。……それに。


「ジグムントの旦那ぁ! あんなな格好の奴ら、すぐ追い払いましょうや!」


 青年の思考を一旦遮るように威勢よく話しかけてきたのは、配下の傭兵の一人。鎖帷子の上から皮の胸当てを付け、長剣を手に持った中年の男。

 珍妙、か。その感想はジグムントやこの男、更には帝国軍の誰もが目にすれば抱くものだろう。青年たち傭兵軍が戦場に到着した時、灰色交じりの黒き彼の瞳にはが映っていた。この大陸では一般に不名誉の象徴とされるその色を基調とした、見慣れない衣装を纏った騎馬兵が二百近く。増援が来たことに気付いたのか一旦距離を取って再集結し、遠巻きに様子を窺っている。あれが〈フィネッサ蛮族〉か。

 一体どのような綴りなのか分からない、聞き馴染みの無い言葉だ。それに、彼らの特異性はその衣服の色だけではなかった。彼らが掲げる、旗。白地に緑の体色を持った大蜥蜴おおとかげが描かれている。長い頭と鋭き牙を併せ持ち、いわゆるドラゴンを想起させるが、その背には翼は無い。帝国ではリントヴルムLindwurmとも呼ばれる伝説上の生物だ。とはいえ似たような伝説・伝承はどの地域にもある。彼らにとっては一体何の象徴だというのか。大蜥蜴の周りを囲む、文字か記号なのかも分からない黒の印も不吉に感じられた。心の微かな震えを糊塗するように、ジグムントは振り返って後方に控えるレイナード率いる魔導軍の姿を目に捉えながら、笑みを交えて応えた。


「ああ。だが、こっちには魔導軍が付いてる。追い払えば良いだけなら、レイナード殿に魔導弾幕を張ってもらった方が俺らの損害も最小限に済むだろうよ」


「そりゃあ駄目さ旦那! 俺たちゃずっと戦場に出てなくて腕がなまっちまってるんです。ここいらで鬱憤を発散といきたいんでさぁ!」


 傭兵はそう言って、剣を持っていない自身の肩を回しながら笑った。やはり傭兵は血の気が多い連中ばかりだ。まあ俺もだがな、とジグムントは心中で嗤った。

 すると少し東の方から、男の大きな声が聞こえてきた。どうやら伯軍の歩兵隊の生き残りらしい。増援に気付いてから、蛮族と呼応するように右方の草むらあたりに退却したようだ。疲れ切った顔、ぼろぼろの服装で声を必死に張り上げている。


「おい、貴様ら! 逃げろーッ! 奴らとまともにやりあってはならん!」


「ああ!? 馬鹿伯爵の貧弱歩兵隊はすっこんでろっ! 俺たちゃ紅の狼グラナヴォルフだぞ!」


 青年の隣の傭兵を筆頭に、多くの兵士たちが嘲るように声を上げた。

 だが残った伯軍の歩兵隊はたった二百で、同数の騎兵と戦っていたのだ。苦戦を強いられるのは当然だし、むしろよく今まで持ちこたえていたというべきだろう。だからこそ直接やり合った彼らは蛮族を恐れ、こちらに警告しているのだ。とはいえ、救援として駆け付けたこちらの戦力はジグムント率いる〈紅の狼グラナヴォルフ〉傭兵団三百に、ヘルガ率いる〈魔迅の弩手フライシュッツェ〉傭兵団が二百とレイナード麾下きかのルードリンゲン魔導伯軍が百。合わせて六百余りだ。普通にやり合えば負けるわけが無い。伯軍が臆病風を吹かせていると感じるのももっともなことだ。

 罵詈雑言ばかりが返ってくるのに辟易としたその歩兵が目線を蛮族の方に移すと、途端に顔を青ざめさせてひと際大きな声を上げた。


「—―――お、おい! 奴ら突っ込んでくるぞ! 本陣の方に逃げろぉぉぉッ!」


 その一声を皮切りに、草むらで身を潜めていた生き残りの伯軍兵士たちが飛び出して逃げて行った。その数は三十にも満たない。ほぼ壊滅状態だ。その言葉通り、蛮族の方は突撃準備を終えて、一斉に帝国軍の方へと進撃してきた。二手に分かれ、五十ほどが東へ逃走する伯軍の方へ、残りの百五十ほどが傭兵と魔導士の混成軍の方へと突撃してきたのである。土煙を上げ、各々が剣や槍を携えて突っ込んでくるその姿は見慣れていない分だけ帝国や聖王国の騎士隊よりも恐怖を喚起させる。が。


「ハッ、腰抜けどもが! おおい、弓傭兵共! 援護射撃を頼む!」


 紅の狼傭兵団の野郎どもは一切恐れることなく、騎兵に対する最初の対処手段を実行する。まだ戦列に突っ込んでくる前に飛び道具で応戦し、少しでも数を減らす。それをヘルガの傭兵団へと要請する。団長であるジグムントの命令や統制など必要ないらしい。それとも、団長としての初陣である青年のことを不器用ながらも慮ってくれているのだろうか。まったく、大した仲間たちだ。ジグムントとゲルトも含め全員、かつては帝国の東方……今はリッセルバッハ騎士団によって統治されている地に住んでいた、ルミエルド聖教がいうところの〈蛮族〉の末裔だ。それが傭兵団として集まり、かつて敵だったアルザーク人の手先となって〈蛮族〉と戦おうとしている。

 それは不思議な感覚で、世界の不条理のようにも思えて。けれども今、かけがえのない仲間たちと共に敵を迎えようとしていて。彼らを束ねるのは、自分で。

 だから、絶対に彼らを戦場から生きて帰らせてみせる。

 ジグムントが握る大剣に、自然と膂力りょりょくが大きく込められた。

 その時。


「ッ……駄目じゃ! 奴らに、矢弾など……ッ!」


 ジグムントの耳に、思いがけず入ってきたその声はミヒャエルのもの。普段は寡黙な彼が、目をかっぴらいて叫んだのだ。先ほどまでは傭兵たちの中に混じって佇んでいたのが記憶にあったので、すぐにジグムントは振り返って彼に目線を向けた。しかし、彼の言うことは全くもって意味不明だ。矢弾が……なんだと?


「撃てッ!」


 青年が理解できぬまま、後方ではヘルガが堂々と最前で指示を執って、曲射を開始した。二百の弓傭兵によって放たれた同数の矢弾が上空へ打ち上がり、精度良く蛮族たちの頭上を捉えんと降り注ぐ。予想以上の精度だ。あれならば、帝国騎兵と比べれば遥かに軽装な蛮族を相当数撃破できるかもしれない。しかし。


「—―――は?」


 確かに蛮族の身体や馬体を貫くはずだった矢弾の数々は全て、。蛮族たちは全く動じることなく、何やら聞き取れない言葉を叫びながら突進を続ける。

 彼らの前方・上方を護るように展開しているのは、れっきとした

 薄い黄色を帯びたその魔導障壁は、蛮族たちの衣装と相まって少し同化している。弓傭兵たちはなおも正確無比な射撃を続けるが、無情にもことごとく弾き飛ばされていく。その間にも蛮族はどんどん、ジグムント達との距離を詰めていく。

 傭兵軍全体に動揺が広がっていくのが分かる。恐怖の伝播だ。

 嗚呼、そうか。ミヒャエルが叫んだ所以は、これか。術者の周囲に集まる魔力の微細な流れを感じ取れる、あの老爺の力。もう少し早めに気付いてくれれば良かったが……まあ良い。絶望している暇はない。それに、いくら魔導障壁を展開できるといっても、実際に武器を使って攻撃する際は魔力への集中を止めざるを得ない。狙うとすれば。こちらに突っ込んで来て、得物を振るう。その瞬間が勝負だ。

 

「てめぇら、臆すんじゃねぇぞ! 白兵戦で、俺達が劣るわけがねぇんだ!」


「ッ……。そうだ! ジグムントの言う通りだ!」

「飛び道具なんて使わず、正々堂々と斬り合おうじゃねぇか!」


 ジグムントは決意を新たにして、傭兵団員に発破を掛ける。それに呼応して威勢良く傭兵たちが口々に叫ぶ。迫り来る敵を前にして、意気揚々と傭兵たちは活気付く。

 やはり最高の仲間たちだ。ジグムントは改めて思う。

 だからこそ。団長として、俺はこいつらを死なせない……!


「来るなら来やがれ! 俺はジグムント。紅の狼グラナヴォルフを束ねし東方の戦士だ!」


 ジグムントは傭兵たちの最前で、大剣を構えてそう名乗りを上げた。あと瞬きを数回すれば蛮族が突っ込んでくる、そんな眼前の距離で。

 まるで決闘を申し込む時のように。彼にとっては、まさにその心持ちだった。もはやこれは、蛮族狩りではない。強大な敵に立ち向かう、まさしく決闘なのだ。相手がレイナードから、目の前に迫る一人の蛮族へ。剣を振りかぶり、目を剥いた平坦な顔立ち、黄色く塗られた皮鎧に茶色の皮帽子、少し小柄だが軽快そうな馬に乗った兵。

 眼前の一人の兵だけを注視し、その一挙手一投足をつぶさに眼へ焼き付ける。

 そして。


「うおらぁぁッ!」


 蛮族が自身に向かって剣を振り下ろす、その刹那に。

 ジグムントは馬体へとその大剣を横凪ぎに振ったのである。

 だが。

 一瞬、戦列の最後方で、老爺が嗤った気がした。


「――――な」


 青年の一振りは、未だに展開し続けるによって蛮族の手前で防がれる。火花が大きく散る。薄っすらと大蜥蜴の紋章が浮かび上がる黄色の障壁の向こう側で、蛮族がニタリと笑っているのが見えた。……馬鹿な。いくら大剣を軽々と振り回せるジグムントの膂力を以てしても、一向に破砕される気配は無い。幸いなことに、想定外に青年が粘ったことで機を逸した蛮族の剣は空振って、僅かな時間ができた。しかしこのままでは、騎馬に吹き飛ばされて無様に死ぬだけだ。


「ッ……!」


 すると、青年は咄嗟に魔導障壁を両脚で踏み込み、斜め後方への宙返りで蛮族から回避した。超人めいた動きだが、彼はついでに動体視力も優れていた。故に、宙に在った時、瞳に捉えてしまったのだ。隣にいたあの傭兵が蛮族共の魔導障壁に絶望し、吹き飛ばされ、無数の蹄鉄を以て踏みにじられていく。一瞬にして仲間が人ならざるものへと変わり、血肉だけとなった抜け殻が大地へとぶちまけられる。その様を。

 仲間を絶対に生きて帰らせるって、誓ったのに。

 ジグムントは心を乱されながらも、何とか着地に成功して顔を上げた。斜め後方に飛び退いたので後続の騎馬に踏みつぶされることはなかったが、それでも立ち上がっていない兵を彼らが逃してくれるはずもない。俺の斜め前方を通過せんとしていた蛮族。騎兵槍ランスを手にしている。——俺の方を見た。退くか、武器を取るか。

 しかしいきなりの宙返りに脚は痙攣しているし、咄嗟に手を離した大剣はすぐ近くにあるものの競り合った際の反動が大きすぎた。両手は指の先から二の腕の筋肉まで震えていて、まともに武器を握れそうにない。四肢の異常に気付いてやっと、自身の口腔内を占拠する鉄の味にも意識が行った。飛び退く時に思い切り舌を噛み切っていたのだろう。思わず唾を吞むと、その不味さに内奥の狂騒は加速する。

 嗚呼、蛮族が構えた騎兵槍が俺の方へと切っ先を向けている。そしてそれが俺の方へと突き出される。これが、俺の団長としての初陣で、最期なのか……!?

 俺は何も護れないまま、死ぬのか。――――なぁ、ゲルト。


 刹那。

 一筋の光が、俺の眼前を掠めた。


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乱世に吠えし災厄よ 未翔完 @3840

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