Miss D.J.

賢者テラ

短編

 深夜12時半。

 寝静まった家もあれば、まだ仕事が続く者もいる。

 受験で、遅くまで頑張っている学生もいるかもしれない。

 仕事で、車を運転するドライバーもいるだろう。

 これから眠りにつく者、まだこれからひと頑張りしなければならない者——

 それぞれの思いを乗せて、ゆっくりと夜は更けてゆく。



 電気の落ちた真っ暗な部屋で、ミニコンポの液晶表示だけが光を放つ。

 マリンブルーの液晶画面に示されているのは、FM曲の周波数だ。

 高校二年の西野秀志はベッドにもぐりこみ、ヘッドフォンから流れ来る音声に集中する。

 今から、彼にとって大事な番組が始まるのだ。



 この時間に始まる、FMラジオの番組『藍田由香里のささやきミッドナイト』は、深夜枠にしてはかなり人気のある番組である。

 藍田由香里が今をときめくアイドル歌手であるということももちろんあるが、リスナーの恋の悩みを由香里が応援するというコーナーが大人気で、中高生からの便りやメールが殺到している。

 昔に比べて様々な新しいメディアが登場している現代にあって、このようにまだラジオ文化がすたれずに生き残っているというのは、何だかホッとするものだ。

 今日も、由香里は聴く者すべてに、静かに語りかける。

 それは、本当にほっとする、安らぎのひと時。



 オルゴールによる、幻想的なメロディーが流れた後。



 ……こんばんは。藍田由香里です。

 みなさんにとって、今日はどんな一日でしたか?

 もしかしたら、今から仕事、一日が始まるんだという方もいらっしゃるかもしれませんね。

 どちらにしても、今日という日があなたにとってよき一日となりますように。

 今日もこれからのひと時、由香里にお付き合いくださいね——



 静かだ。

 秀志の両親は、階下の寝室ですでに寝静まっている。

 二階の隣の部屋の小6になる妹は、とっくのとうに夢の中だ。

 窓から見える月に、ゆっくりと雲がかかっていく。



 CMのあと、再び由香里の声が流れる。



 ……それではみなさんお待ちかね、『届けわたしの想い』のコーナーです。

 皆さんがなかなか告白できないあの子への想いを、ラジオで言ってしまおう、というものです。

 もしかしたら、憧れのあの子がこのラジオを聴いているかもしれませんよ?



 秀志は、少しドキドキした。

 実は、彼はこの番組のこのコーナーに投書していたのだ。

 何せ人気のコーナーだから、読み上げられる可能性は限りなく低い。

 2時間の番組の中の30分枠を取るコーナーだから、由香里のコメントもつければ、時間的にせいぜい4人くらいしか紹介されない。しかも、応募は全国から殺到するのだ。



 それでは一人目。ラジオネーム『白うさぎ』さんからのお便りです——



 ……1人目、ハズレ。



 秀志はクラスメイトの園田綾乃の姿を、頭に思い描いた。

 彼女の顔を思い出すだけで、胸が熱くなる。

 綾乃への思いを綴ったラブレター。

 直接渡す勇気のない秀志は、とりあえず小心にもラジオ番組にそれを出してしまったのだ。

 彼は、大好きな歌手である由香里に読んでもらえれば、少なからず慰められると考えたのだ。

 二人目も、三人目も彼のラジオネームではなかった。

「ま、しょうがないよな」

 世の中、そんなに甘くない——



 それでは、今日最後のお便り。

 ラジオネーム『缶コーヒー』さんです。



 ウトウトしかけていた秀志は、布団を突き破らんばかりに飛び上がった。



 ……お、オレじゃんか!



 何とも品もひねりもない、冴えないラジオネームをつけたものである。



「僕は、Aさんのことが好きです。

 同じクラスで、中学校も高校も同じで、小心者の僕はずっと陰から見ていました。

 彼女はテニス部で、今度県大会にも出るんです。

 応援に行きたいと思っています。

 でも、多分直接声をかけたり、大きな声で応援なんてできないだろうなぁ。

 僕は美術部ですが、運動なんかからっきしダメです。

 彼女のようにきれいでスポーツもできる人気者は、僕のことなんか興味を持ってくれないだろうなぁ」



 由香里は一息置いてやさしく、電波を通じて語りかける。


 

 え~、缶コーヒーさんのことを誰も笑えないと思います。

 私だってそう。恋という魔法にかかると、不器用な、小心者になっちゃうことだって多いと思いますよ。

 でも、元気を出して。負けないで。

 勝負してみなきゃ、分からないと思うよ……アッ



 急に、電波を通してガサゴソ紙をかき回す音が聞こえる。


 

 ……え~、みなさん。由香里、気が変わりましたっ。

 このコーナーは時間的にこれで終わりなんですが、急遽予定を変更いたしますっ。

 ディレクター、おっけー?



 遠くから、ディレクターと思われる男の声がする。

「りょ~かい。由香里ちゃんの頼みとあっちゃね!」

 こういうのも、ラジオの生放送ならでの臨機応変な展開である。

 秀志は、自分の投書が読まれたことだけでもビックリ仰天なのに——

 さらに何かが起こりそうな成り行きに、心臓が縮みあがった。

 由香里は、興奮した口調であわてて言う。



 今ちょっと探し物をしてるので待ってくださいねっ



 小さく、スタジオでの会話が聞こえる。



 ……ディレクター、そっちのボツ投書の山にはない?



 ……今探してる。えっと、これかな?



 ようやく、目的のものを見つけたようだ。



 皆さん、お待たせいたしました。

 今日は特別に時間を延長して、もう一通のお便りを紹介したいと思います。

 ペンネーム『サービスエース』 さんです。



「私には、好きな男の子がいます。

 同じクラスの、ある男子です。彼とは中高と学校が一緒なんですが、普段は全然仲良くしたり会話したりすることはありません。

 私は意地っ張りで勝気で、なかなか自分に素直になれません。

 だから、今回そのもどかしい気持ちをこちらにお便りしました。



 私は、スポーツバカです。

 昔っからテニスに明け暮れてきて、そればっかりだった。

 文化祭でね、美術部の展示を見た時にね、ものすごく感動した絵があったんです。

 それを書いたのが彼だって知ってから、私は寝ても冷めても彼のことばかり考えています。

 きっと、スポーツばっかりで芸術の話なんか分からない私を、相手になんかしてくれないだろうなぁ……」



 ここで由香里は、エヘンと咳払いをした。



 ……ここで、提案があります。

 缶コーヒーさん、番組では絶対に伏せますから、あなたの好きな女の子のお名前を今すぐに番組へメールしてください。そしてサービスエースさん、もし、この番組を聴いていてくださっていたら、なたの好きな男の子の名前を書いて、今すぐメールをください。

 お二人の本当のお名前は、ハガキに書いてますので分かります。

 私の直感ですが、この二人はまさに知り合い同士だと思いますよ!

 メールの名前と、その二通のハガキの名前が互いに一致すれば、今夜は奇跡が起こることになるでしょう。

 片思いから両思いへ、ですね!



 秀志は、震える手で必死にケータイのボタンを押した。

 何とか、ラジオ局の指定のメルアドに園田綾乃の名を打つ。

 送信!



 あっ、さっそく缶コーヒーさんからメールが届きましたっ



 興奮気味に、由香里が叫ぶ。



 ちょ、ちょっと待ってくださいよ……サービスエースさんからもメールが来ましたっ。

 何と、お二人が伝えてきた互いの名前が一致しました。おめでと~~! お幸せにね!



 涙で目がかすむ。

 ラジオを切ってヘッドフォンを外し、頭から布団をすっぽりとかぶった。

 秀志は、泣いた。

 もちろん、うれしくてうれしくて仕方がなくて、である。

 まさかラジオ番組を介して、互いの思いが分かるなどとは思わなかった。

 真剣に恋する者に、奇跡は気まぐれに訪れることもあるのだ。

 そしてもう一人、隣町のある家でうれしさに布団を涙で濡らす少女がいたことを、その時秀志は知らなかった。

 明日はきっと、二人は恋人として会うのだろう。

 彼らの未来に、幸いあれと祈る。



 由香里の声は、まだラジオを聴いているリスナーたちの耳に届いていた。

 あのコーナーは終わったが、終了時間まではまだ少しある。

 番組は続き、夜は深々と更けてゆく。



 秀志、そして綾乃。

 朝まで、ぐっすりとお眠り。

 よい夢を。

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