37「絶望の淵から」

「断るよ」

「わお、即答」


 怜はカミムラの提案を一蹴した。特に驚く様子もないカミムラとは逆に、周囲は置いてけぼりだった。


「おまえ、ここまで追い詰めておいて怜を仲間になんざどういう了見だ」


 睨みをきかせる空に大聖が便乗した。


「そ、そうだ! ここまで対立してきたんだから今さら仲間になんて無理だ! よしんばなったとしても裏切られて首を狙われるのがオチだ!」

「面白いこと言うね、大聖。怜は裏切りなんてできないよ。もとよりそんな思考がないんだから。でもそうだね、形式として一応理由は聞いておこうか。君には他者を蹂躙し尽くす力も何にも掻き乱されない心もある。こちらの方がその強さを活かせると思うけど?」


 噛みつく大聖をいなしながらもカミムラの視線は怜に固定されている。見つめる、というよりは「観察」していると例えるべき視線だ。その目は未だ黒いまま。

 だが怜は怯まなかった。軽く息を吸って吐くと、カミムラの瞳を見つめ返した。


「......きっと、一人だったら俺は別の在り方で生きていた。この強さを自分が生きるためだけに使って、誰かの痛みすら踏み潰していた。そんな『怪物』のままなら楽だったかもね」


 今だから想像できることだが、あのときはきっとそのまま生きても何の疑問も持たなかっただろう。記憶もそのままで、名前すら思い出さなかったかもしれない。痛みを痛みとも思わず、同じ痛みを相手に返して殺してしまっていたかもしれない。その相手の傍で誰かが泣く理由を永遠に知ることもない、空虚な代わりに苦しみを知らずに生きられる怪物。


 ――あのまま、何も知らなければ。


「でも、知ってしまったらもう嫌だったんだ」


 声よ、ただ鮮やかにいろどれ。

 胸の奥からこみ上げてくる熱を、想いに変えた。


「どんなに苦しくたってこの感情を、傷を忘れたくない。俺の中にはたくさんの色が詰め込まれている。もう空っぽじゃない、みんなが怪物だった俺を人間に近づけてくれた。......傷まみれの心に触れるなって、そんなの無茶だよ。感情を知った俺がそんなの無視できるはずがない」


 最早言葉を向ける相手は変わっていた。空にしがみつく手に力を入れて、怜は隣を――きっかけを与えてくれた相棒に訴えた。


「触れないでほしいなら、最初から俺なんて拾わなければよかったんだ。そのぐらいの責任は取ってよ。みんなも共犯だ。みんな俺を仲間に迎え入れたんだから。救うなんて傲慢なことは言わない。でも、もう君たちの傷を放っておけない」


 その裏にある痛みを訴えるような声音で、想いを次々と吐いていった。


「バラバラにならないで、俺の前からいなくならないで。一緒にその感情きずを乗り越えようよ。そうしてみんなで強くなって、互いの居場所になろうよ。俺にとっても君たちは必要なんだ。


 本当に、本当に大切な宝物を渡すように。

 怜は、彼らに返した・・・・

 すぐに顔を戻し、本来の話者に答えを投げつけた。


「これでわかったはずだよ。俺には君が望むような力なんてない。俺が肩を並べる相手はもう決まっているんだ。俺は彼らと強くなる。間違ってもそれは、君に利用されるものじゃない」


 それまで黙って成り行きを見守っていたカミムラ。彼は「そうか」とだけ呟いて一瞬だけ顔を下げ――


「あっは! わかりきっていたことだけどやっぱり君はそうだよねぇ!! ボクの憎くて憎くて仕方のない雨宮怜だ!! 万が一君がこっちに来るならその強さを利用し尽くしてやったのに、とんだ大馬鹿!! 弱者なんてくだらない存在のためにしか強さを活かせないなんて、あまりに哀れで反吐が出そう!!」


 急激に膨れ上がった黒いオーラに、怜は思わず口元を押さえた。一段と歪に嗤うカミムラの発するオーラは、仲間が醸し出していたものとは比にならないくらいにどす黒かった。それが怜を蝕み、ぐちゃぐちゃに暴れまくる。気持ち悪さにこっちの反吐が出そうだ。


「君は昔からそうだ!! まるで悪意というものを知らない!! ボクはそんな頑なな君に敬意を表して貶そう、甚振ろう、辱めよう!! その先で壊してしまおう!! 悪に染まらない異常者!! まともな感情を持ち合わせていない君が誰かを救うなんて、とんだ愚かな人形劇だ!!」


 カミムラの狂笑が響き渡る。空にしがみつく手が震えて弱くなっていく。カミムラの悪意が瘴気となって怜に襲いかかり、息もままならなくなってきた。頭痛がひどくなっていくのに比例して、汗の量も増えていく。


「君はきっと誰も救えない」


 断言され、極限まで瞠目する。


「すでに失敗しているくせに。気楽な君の存在は、さぞ君が大事にしているお仲間を傷つけたことだろうね」


 震えが止まらない。身体中の温度という温度が全て凍っていく。


「君の行動で彼らが救われるのなら、それはただ一つ」


 嫌だ、聞きたくない。


「君が、この世から――」


 カミムラの声が途切れ、代わりに呻き声が上がった。驚いて顔を上げる。

 額を押さえながら尻餅をつく彼のすぐ近くで大きい石が落ちていた。付着している血が誰のものかなんて言うまでもない。


「うあッ......いったァ......!」

「やっぱあの西洋かぶれの上司だな。すーぐ相手を見下して油断する。どうだ、オレの怪力ボールは!」


 ビシッと梓が人差し指を突きつける。片手には別の石が握られていた。


「......あず、さ、く......」

「あ、見ました怜さん!? 一発報いてやりましたよ!」


 振り返ってピースする梓に唖然としていれば、振動がきた。


「あんたはあんたでしっかりしてくださいよ。別に誰かを傷つけようとしてないくせに、なにあっさりと騙されているんですか。てか傷つけたのはむしろオレたちの方でしょ」

「おいこらさっきからどこ蹴ってんだおまえ!! それ俺の脚!!」

「さすがに怪我人は蹴れないので天野さんを蹴っているのですが、それが何か?」

「はっ倒すぞ!!」


 うるさいやりとりの中、反対側からやってきた桜子が血まみれの手を握ってくる。


「雨宮、さんは、きっと、何度も、私たち、に、手を、伸ばして、くれる。だから、私たちも、何度も、手を、伸ばす。それが、隣に、いると、いうこと」

「俺たちにとって、雨宮さんはとっくに居場所になっているんです。だから、自分の存在が俺たちを傷つけているなんて、もう思わないでください。あれは俺たちが勝手に傷ついていただけなんで」

「あー......」


 陽介に続いて、空が少し迷いながらも口を開く。


「馬鹿だと思うよ、おまえのこと。誰も責めずに自責ばかり背負って、その心のままに奔走して。傷ついたなら傷ついたって泣け、怒れ。その方が俺たちも気づきやすい」

「......なくの、も、おこる、のも」

「これから覚えていけ、遠慮なくぶつけていいから。全部受け止めてやるよ」

「ヒュー! 空さんかっこいー!」

「うるせえぞ梓ァ」


 呆然となる。こんな、いつ殺されるかもわからないのに、彼らはあまりにいつもどおりだ。いつのまにか、息苦しさといった不調が全部消えていた。

 視界の隅で誰かが動く。一歩踏み出した彼は、大聖に介抱されているカミムラと対峙した。カミムラは信じられないものでも見る目でこちらを凝視していた。


「ふは、すごいやろ? あれだけ荒んでいたんに、人はここまで変われるもんなんやな。ほんま、オレらは恵まれなさすぎやねん。......誰か一人が自分を想ってくれていれば、それでよかったんや」


 恒輔の目が薄く開かれる。全員がまっすぐ、恐怖の欠片もない凛々しい顔で悪意と向き合った。恒輔はリストバンドをつけていた方の手を握り、その拳を強く胸に叩きつけた。


「オレらはこの傷を抱えて、そのうえで笑って人生クリアしてやる。自分らが嗤った怜も一緒にな。......邪魔すんなら帰れや、悪ガキ・・・

「――言ってくれるよねぇ」


 流れる血もそのままに貼りつけた笑みでカミムラが手を上げると、バグ霊が一斉にうごめきだした。命令が下されたのだ。


「本当は怜よりも君たちの心を壊すために来たんだけど、遅かったみたいだ。遊べなくなったおもちゃはいらない。このまま、ッ?」


 カミムラが訝しげに顔をしかめたかと思えば、突如その体がガクンと崩れ落ちた。間一髪で大聖が支えるが、カミムラに力が入っていない。


「ちょ、どうしたんだ!? 大丈夫か!? おい!!」

「......う」


 大聖の叫びに反応したカミムラが顔を上げる。その黒い瞳で怜を......黒かったはずの目は、普通の人と変わらない目に変化していた。

 その目を見た刹那、怜の心臓が大きく脈を打った。巨木が根を生やし、力強く大地の奥底に根付くように。


 ――カミムラの目じゃない。あれは違う人だ。じゃあ、俺の前にいるのは、誰だ?


 変化に混乱する怜に、は、しっかりと目を合わせて、



 声を。



「怜ッ!! 僕が今から言うことを忘れないでッ!! それが全てに繋がるからッ!!」


 一息吸う。

 鍵が示された。


「五年前の惨劇を思い出してッ!! この町に起こったあの事件をッ!! お願い、怜!!」


 君にしかもう、彼ら・・を救えないんだッ!!!


「ちょッ、急に何言ってるんだあんたァ!!? 何の話だよッ!!?」

「怜、君に託すからッ!! 僕じゃダメなんだッ!! 僕はもう、誰もッ......」


 再び、彼の体から力が抜ける。静まり返る空間。

 何が起こったのか、誰にも理解できなかった。上司と怜を高速で見比べていた大聖が支えていた体を揺さぶった。


「おい、おい!! い、今のは何なんだよ!? 急に別人みたいになって――」

みたい・・・? 何言ってるの、


 跳ね起きた彼が大聖を振り払う。真っ黒に淀んだ瞳が怜たちを捉え、昏く凄惨に嗤った。


「命を受諾した。君の力をもって、愚か者に死を」


 その瞬間、怜の体は放られていた。空によって投げられたと気づいたのは少し離れた場所に落ちた直後だった。急圧迫された肺が呻いて咳き込んだが、体中の痛みを無視して無理矢理目の前の景色を見た。

 怜は目にした。仲間の体に浮き上がる無数の切り傷と飛散する鮮血を。誰も動いていないのに、仲間が傷つけられていた。

 ドサッと恒輔の体が血だまりに倒れる。それから空、梓。林太郎たちは三人一緒に倒れ込んだ。血の海が領域を広げていく。痛みと苦しみが六人分、耳に木霊する。ポンとその一瞬だけ、頭の中が真っ白になった。


 ――怒りあかは、全てを呑み込む。


 跳躍した怜が拳を握り、カミムラに肉迫する。まだ動けるとは思っていなかったのか大聖が驚愕の表情で怜を見る。だが止めるには遅い。無表情のまま、獣と成り果てた青年の拳はまっすぐ、カミムラの顔面へ――!!

 ......届くことなく、力尽きた。どさりと体が墜ちる。じわじわとその存在を中心に血が這い出てくるの。怜がもう動かないことを確認し、カミムラはもとの笑みを浮かべながら踵を返した。


「......いこうか、大聖。頭が痛いんだ。早く帰って休みたい」

「手当てが優先なのはたしかだが、いいのか。欠片は......」

「またいつか奪えばいい」

「だが......」

「うん、彼女は怜の死を望んでいる。今ここで殺した方が彼女の意に適うだろうね。だけどボクからしてみればまだ足りない。怜にはもっと絶望を知ってもらう。そのためには生きてもらわないとね」


 カミムラは最後に怜を見上ろし、慈愛に満ちた微笑みを送った。


「その怒り、悲しみ、絶望。全部覚えてもう一度ボクのところまでおいで、怜」


 パチンと指が鳴ると、全てのバグ霊が急激に姿を変えて黒い渦となった。景色を遮る渦が晴れたときには、そこにはもう何者もいなかった

 怜は起き上がらない。砂と血にまみれたボロボロの体は冷たい地面に横たわったまま。


「これ、オレたち、が、死ぬより、雨宮さんが、死ぬ方が早いんじゃ、ゲホッ、うぐ」

「林太郎、無理に喋る、な......クソッ、意識が......」

「よう、すけ、だいじょ、ぶ? 痛い、よね、あッ!」


 林太郎たちは三人で身を寄せ合い、話すことで意識を繋ぎ止めようとしている。陽介を撫でようとした桜子が痛みに小さく声を上げ、手を下ろす。下ろした手を林太郎が掴み、陽介が桜子ごと林太郎を抱きかかえる。動くたびに絶えず内を切り裂くような痛みに襲われているはずなのに、彼らは互いを思いやることを忘れなかった。


「梓......気絶してる、か......。まあ、そっちの方が、いいだろうな。惨劇だ、こりゃ。ああ、いってえな、クソ」


 空があまりの痛みに気を失った梓の頭を撫でる。何重にも切り傷を重ねられた腕が悲鳴を上げても、手を止めなかった。自嘲して、ただひたすら痛みと苦しみを享受している。

 恒輔はそんな彼らを振り返りつつ、痛む体の限界を超えて怜のもとへ近づいた。腕を伸ばせば焼き焦がされるような鋭い痛み、足を動かせば極寒の氷柱を傷口に突き立てられたような鈍い苦しみ。


 ――拷問かいな。痛すぎて腹が立つわ。なあ怜、自分、ここまで痛い思いしてオレらのために戦っとったんか。


「なあ」


 ブレスレットを鳴らして、やっと指先が肩に触れる。冷えていた。


「けどオレら、さいっこうのハッピーエンドやわ。怜のおかげで、誰も、不幸やない。怜、なあ怜」


 オレら、もっと早うに会いたかったなぁ。それやったら孤独にならずに済んだのに、苦しまんとよかったのに。オレ、怜がどんな記憶を持っとったんか知りたかった。

 透明の澄んだ流れが血と混じり合い、赤色を少し薄める。雨が止んだ後の水たまりとよく似ていた。


「来世、に、きたい、やな、れい、いっしょ、に......」


 力なく怜の手首が掴まれ、そのまま、動かなくなった。動いている者は誰一人、いなかった。



 ――どこか遠くで、猫が鳴いた。












 と、いうわけで、これにてメモリー1「傷つけられたんだ」は完結いたしました。まずはここまで読んでくださったみなさま、ありがとうございます。決して人気とはいえないこの作品ですが、それでも読者のみなさまの存在を感じ取れたからここまでやってこれました。本当にありがとうございます!

 さて、次はいよいよメモリー2「俺は雨宮怜だよ」に入ります。ですが、そこに入るまでにいろんな準備が必要なため、一ヶ月間、もっと言えば三月いっぱいはいったん更新をストップしようと思います。四月最初の日曜日から再び投稿を始めたいと思います。それまで待っていてほしいです。リアルの忙しさと戦いながら頑張ります。Twitterの方ではちょくちょく呟くかもしれません。

 そういうわけで、また一ヶ月後にお会いしましょう! 改めて、ここまで読んでくださってありがとうございました!

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忘れられたJ28、色とりどりの傷痕 融解犯 @meltnovelist

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