夏色の良薬

いいの すけこ

夏色の良薬

「何をそんなにふてくされてるのさ、オリバー」

 呼びかけに答えず、オリバーはそっぽを向いた。


 よく晴れた真夏の昼下がり。


 ただでさえ暑いのに、ライエのいる台所は竈の火を落としたばかりでなおのこと暑い。だからオリバーは、二間続きになっている部屋の床に座り込んで無視を決め込んでいた。


 丘の上にある青い屋根の家は、魔女ライエの住処だった。


 悠久の時を生き、経歴に謎の多い美女は、結婚した経験や家族を持ったことがあるのかもわからない。


 けれどその小さな家には、とおを少し過ぎたばかりの少年が一緒に暮らしていた。


「もしかして、まだどこか具合でも悪いのかい。あんなに効く薬を処方してやったってのに、そんなに軟弱だったかね」

「その薬のせいだよ、俺が気分悪いのは!」

 オリバーは思わず立ち上がって訴えた。大きな目の眦を、きっと吊り上げる。

「あんなに効く物もないんだけどねえ。熱さましには地竜じりゅうが一番さね」

「地竜って、ミミズだろ!ミミズなんて飲まされた俺の身にもなってみろ!」


 先日、熱を出して寝込んだ時に、オリバーは薬として、地竜を煎じたものを飲まされたらしい。

 風邪をひいたり熱を出したりすると、しょっちゅう飲まされていたから、その時も特に何も気にせず飲み下した。


 けれど、いよいよその正体を知ってしまったのだ。


 地竜はミミズのことだった。


「今までミミズを飲まされ続けてきたなんて、気持ち悪い……」

 オリバーは思わず涙目になった。

「これだから魔女は、ゲテモノなんかを食わせて!」


 この家は壁が見えない。

 壁の大半は棚が据えられているか、魔法陣や天体図などが書き込まれた図画に埋め尽くされていた。

 棚には魔術書か魔道具か、魔法の材料を詰めた瓶が居並んでいて、オリバーには見慣れたものばかりだ。不気味なものも得体のしれないものも、すっかり日常に溶け込んでいる。


 けれど、まさかそのよくわからないものを、自分が処方されるとは思っていなかった。


「地竜なんて、魔女じゃなくったって人間の医者だって薬師だって使うし、飲んでる人間はいっぱいいるよ。ミミズなんてそこらへんで簡単に取れるからね」

 まさしく、家の裏手にある薬草畑や、草むらの土の中に生息するミミズの姿が脳裏に浮かぶ。

 ぬめぬめうねうね、それを素手でつかみ取るのは造作もない。けれど口に入れたと思うとどうしても気色が悪くて、今となっては触れるのも無理かもしれない。


「お前がそんなに繊細な子だったとはねえ。乾燥して砕いてあるんだから、そんなに気持ち悪いことないじゃないか」

「気持ちの問題!」

 ぷいっと、再びライエから思い切り顔を背ける。

「しょうがない坊やだね」

 背後からため息が聞こえた。

「ほら、こっちにおいで。いいものを作ってやろう」


 いいもの、の言葉に、オリバーはゆっくり後ろを振り返った。

「口直しじゃないけど、今日は暑いからね。たまにはこういうのも良いだろう」

 そう言って、ライエは鍵付きの食器棚からグラスを取り出した。

「ガラスだ!」

 オリバーは思わず食卓に飛びつく。

 普段は高価だからと使わせてもらえないガラス食器を、ライエは食卓に二つ並べる。

「ちょっと待っておいで」

 グラスに触るんじゃないよ、と言い残して、ライエは裏の畑へと向かった。


 ちょっとだけグラスを触ってみようかな、とオリバーの好奇心がうずき始めた頃合いで、ライエが戻ってくる。


「お待たせ」 

 ライエは畑から摘んできた薬草の汚れを落として、ちぎってグラスにいれた。

 すうっとする、爽やかな香りが鼻を突く。砂糖も加えた。細長いスプーンで砂糖と薬草を混ぜ合わせるように突くと、さらに匂い立った。


 うだるような暑さの中で、ほんの少しすっきりするようだった。


「ねえ、何作ってるの?」

 オリバーの問いに、ライエはいたずらっぽく笑った。

「できてからのお楽しみだよ」

 ポットの水が、そっとグラスに注がれる。スプーンでかき回すと、緑の葉がぐるぐると踊った。

「今日は特別だからね」

 ライエが手をかざすと、グラスがカラカラと鳴った。グラスの中にきらめきが見える。


「氷!」

 グラスの中に氷が浮かんでいた。


 ライエの魔法が、一瞬で氷を生み出したのだ。


「氷なんて、王様や貴族のパーティーでしか見られないって聞いたよ」

 オリバーが声を弾ませて言う。

「そりゃあ氷は高級品さ。私は氷を作るのは、割と得意な魔法だけどねえ」


 氷は、遠い異国にある雪深い土地から運んで来なければならなかった。輸送費はもちろん、運んできた氷を貯蔵しておくための氷室は、財と権力を持つものでなければ、備えることはできない。


「お前の熱が上がった時はたくさん氷を作って、ずいぶん魔力を消費したもんだよ。白目をむいたときは、さすがの私も動揺したもんさ」


 ライエの言葉に、オリバーは瞬く。

 高熱のせいで覚えていないが、もしかしたらオリバーは本当に危なかったのかもしれない。

 ミミズがなければ、熱は下がらなかったのかもしれない。


「今日はオリバーの全快祝いだ」

 明るく言って、ライエは再びグラスに手をかざす。

「特別なのは氷だけじゃないよ。さ、仕上げだ」

 グラスを撫でるようにライエは手を動かす。


 グラスの中の水に、細かな泡が無数に生まれた。


「なにこれ、泡⁈」

 しゅわしゅわと音を立てるグラスの中を覗き込むようにする。

 顔にかすかに、泡がはじけ飛んでくる感触。

「これ飲めるの?」

「もちろん。さ、出来上がりだよ。飲んでみな」

 勧められたグラスに、恐る恐る口をつける。


 飲み物が舌に触れた瞬間、ビリっとしびれて慌てて口を離した。

「なにこれ痛い!」

 目を剝いたオリバーに、ライエは笑って言った。

「大丈夫だよ、そういうもんなんだ。慣れると癖になるよ」

 ライエ自身もグラスを手に取って、刺激などないかのように中身を飲み干していく。その様子に、オリバーは再び飲み物を口にした。


 刺激は気になるものの、飲み物の独特の香りと甘味に誘われて、一口二口と進む。

 そのうち、痛みというほどには刺激を感じなくなって、むしろ泡のしゅわしゅわとした不思議な感触が楽しくなってきた。


「おいしい!」

 

真夏の暑さの中で、氷入りの冷たい飲み物が、喉の渇きと体の熱を冷ましていく。

 未知なる味わいの泡入り飲み物は、鮮烈な感動をオリバーに与えた。


「まあ、飲み物に泡を入れるなんざ、魔法を使わない錬金術師だって、ちょっと知識のある人間なら作れるんだろうけどね。植物を発酵させて作ることもできるし、なんだったら、泡入りの湧き水ってのもあるらしいけど」

「でも、こんなすっごい飲み物、貴族だって王様だって、お姫様だって飲んだことないよ、きっと」

 目を輝かせるオリバーに、ライエは声をあげて笑った。

「そうかもねえ。またそのうち作ってやるよ。お前が大人になったら、酒を入れたのを作ってやってもいいね」


 飲み物を飲み干して、オリバーはライエが道具を片付けるのを素直に手伝った。

 

 その晩。

 ライエは相も変わらず得体のしれない薬を調合していた。調合に使っていたスプーンが、昼間使っていたスプーンだったことも、それを調理道具の中に戻したことも、オリバーは見なかったことにしておいた。

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