幸い姫

あけるの

第1話 はじまり

 幸い姫を探しにいこう

 金銀錦の輿かつぎ

 幸い姫を探しにいこう

 陽気な楽隊ひきつれて

 幸い姫を探しにいこう

 東の果てのその先に

 幸い姫はいるという

 赤白黄色の花々と

 歌う小鳥にかこまれて

 幸い姫はいるという

 幸い姫を探しにいこう



 とあるところに、とある国がある。特別大きくもなく、小さくもない国である。ほかと違ったところがあるとすれば、とても不幸な国だということ。しかし、その国になにか大きな災いが降りかかったわけではない。毎日どこかで赤ん坊が産まれ、人々は働き、結婚式が挙げられ、葬式がある。それらはほかでも同じことであり、その国だけがずば抜けて多いわけでも少ないわけでもない。それでも住人たちの顔には色濃い陰が張りついている。年端もいかぬ幼子から、日がな船をこぐ老人まで、同じ陰におおわれている。ときおり明るい声があがり、笑みが広がるものの、さほどの間もおかず、声は沈み、顔はうつむき、先よりも暗い陰が落ちるのだ。その陰は人々の表情だけではなく、当然のごとく心の中をもおおいつくしていた。声はぼそぼそと小さく交わされ、視線はつま先に落とされ、時に天を見上げたかとおもえば、嘆きのためであった。国中がそのようなふうであったから、どれほど雲ひとつない素晴らしい晴れの日であろうとも、厚い雲の重なるくもりの日のようなありさまであった。その国を包む陰りが、いつ、どのようなきっかけでもって生まれ、はじまったのかは誰も知らなかった。ただ人々は己の身を、国を離れることのない陰をうとんだ。そして、その陰から逃れるすべのないことを嘆いたのだ。わたしたちはなんと不幸なのだろう。

 消えない陰に囚われた不幸な国に、ひとりの若い騎士がいた。成人は向かえており、さらに幾年か経た程度のよわいである。騎士は天涯孤独の身であった。しかし、ほんの数日前までは父がいた。さらにひと月ほど前までは母もいた。

 母が病に倒れたのは一年ほど前のことだった。原因は分からず、治す方法も見あたらなかった。ひとに伝染るような病ではなかったのが唯一の救いであったかもしれない。はじめは動くのに支えを必要とするようになり、しばらくして立っているだけでも疲れをうったえ、椅子に腰かけていることが多くなった。身を起こしているだけでも辛くなり、やがて完全に寝ついてしまうまでそれほど時間はかからなかった。たちまちのうちに母の体はやせ衰え、髪も肌もハリツヤを失っていった。代々の騎士の家系であったが、父は母の治療のために金を惜しむことはなかった。使用人は寝たきりの母の世話をするひとりをのぞいてみな暇を出した。そうして幾人もの医者を呼んだが、そろって最後にはさじを投げた。

 家中から母の寝室をのぞいて笑い声が消えた。つとめて楽しげな話題を振る夫と息子に、時にはほほえみ、時にはいらだち、時には涙を流し、時にはただぼんやりとうつろな眼差しを天井に向けていた。八方手を尽くしてはみたものの、母の病ははじまりと変わることのない速さでもってその体を冒していった。最期の数週は静かに眠っていることが多くなっていた。そして、最後の一日は目を覚ますことなく、すっと吐息がとだえて、それで終わりであった。

 おごそかに、しめやかに、たんたんと、母の葬儀がすんだ翌日、父が倒れた。まさに糸が切れたという表現がふさわしかった。掛布の上に投げだされた腕は油気を失い、枯れ木のごとくであった。髪に混ざる白いものは日に日に増え続け、顔に刻まれるシワの数は父をじつの歳の倍近くに見せていた。父は己に生気はなく、もはや死期だけがあるのを悟っていたのだろう、命が尽きるまでの約ひと月のあいだ、残る息子をひんぱんに枕元に呼んでは伝えるべきことを伝えた。その声音は平素のころよりずっとハリを失い小さくはあったが、死の床にある者にしては随分としっかりしたものだった。父は多くのものをなくして、確たる先のないままに生きねばならない子を案じたのだろうか、いまわのきわに骨ばった指でしっかと息子の手を握り、目を見ていた。固く引きむすばれた唇も、揺らぐことのない瞳も今までにない強さでもって子へと向けられていた。それを受け、あごを引いてうなずいてみせると、父はほう、と息を吐いて目を閉じた。手をつかんでいた指は急激に力をなくし、ぱさりと掛布の上に落ちた。そして、父は二度と息を吸うことも、まぶたをあげることもなかった。

 母の時よりも簡素で静かな葬儀が終わり、息子である若い騎士はひとり、家内でぼんやりと椅子に腰をかけていた。たったひとり残っていた使用人はすでに最後の勤めを終えて出ていった。母の治療費を捻出するため、必要最低限の家財道具を残してほかは売り払われていた。騎士の必須のひとつである馬も早々に手放され、自分しか生き物の気配のないガランとした屋内。暮れかかった西日の窓からななめにさしこむ光に、空中のチリがキラキラと舞っている。そのさまをぼんやりと無意味に、椅子に背を丸めて座って見ていた。そうしていた間が数刻であったのか、数日だったのか、予期せぬおとないがあったのはそんな時だった。

 年若い騎士の、まばたきを繰り返し、椅子に腰をのせているだけだった意識が不意に呼び起こされた。それはすきまだらけの家内に響く扉の叩き金の音のためであった。若い騎士はずいぶん前から鳴らされていたのではないかと思った。ただ単に来訪を告げるだけにしては激しく大きな音をたてていた。慌てて立ちあがり、そのせいで足を引っかけて、ノックの音に負けずおとらずの強さで倒れた椅子が床を打った。とっさに椅子を起こそうかと迷っている間に、またひとつ大きく叩き金が鳴る。結局、椅子はそのままに若い騎士は扉へと駆け寄り、扉を開いた。

 夕陽を背に立っていたのは城からの遣いであった。亡父よりもいくらか若いその男は、格式張った口上でもって、騎士の主である国王より翌朝の参城を命ずる旨を告げた。なんのための召喚であるのか説明はなかったが、そのことを気にする余裕は若い騎士のうつろな頭の中にはなかった。ただ、主君の命にはそわなければならない、と機械的に承諾の意を返したのだった。はたして、翌朝、顔を洗い、礼装をまとい、主君の御前で見苦しくないように支度を整えて、若い騎士は首をひねることになった。昨日にはすっぽり頭の中から抜けていたことを。つまり、なにゆえ主君は自分を呼ぶのか、と。うろんな記憶を引っ張り出して思い出してみるに、遣いの言葉は己のみが参城を命じられたと言っているものだった。しかしながら、自分自身を含め、父の生前および我が家そのものをいくら振り返ってみても、特段主君の目に留まるとは思えなかった。もしや、父の死を悼む言葉を王自らが残された息子にかけたいというのだろうか。否、先ほど自分の一族になにがしかのおぼえはないだろうと結論づけたばかりではないか。では、良くも悪くもなんらとびぬけたところのない自分にいったい主君はどのような用向きがあるというのだろう。朝日とともに目を覚まし、同じに鈍磨していた頭が回転し始め、それからずっと若い騎士は首をひねり続けていた。冷たい井戸水をかぶっている間も、礼服に袖を通し、靴のつま先についていた汚れをぬぐっている間も、騎馬がないのでわだちの残る城への道を歩いている間も。もっとも、答えが出るはずもなく、疑問を抱えたまま謁見の間へと通されたのだったが。

 主君が姿を現すまではすぐだった。そのことに、若い騎士はずっとひねり続けていた首を内心で別の方向へとひねった。いくらなんでも早すぎるのではないだろうか。参城を命じられていたものの、自分ていどの位であればそれなりに待たされると思っていたのだ。もしや主君は自分が来ることを待ちわびていたのだろうか。しかし、その用件は火急のものではないようだ。それならひと晩もの時をおくことははいだろう。これは急ぎではないが、重要な呼び立てである。そう理解した若い騎士は、うやうやしく拝謁の挨拶を述べながら、心臓の鼓動が早くなるのだった。

 眼前で玉座に身を置く主君。白髪に宝冠をいただき、老齢のかんばせに刻まれた深浅のシワはその経験の多様さを、冬の湖面のごとき目は思慮の深さを、まっすぐに結ばれた口元は揺るがぬ信念を感じさせる。成人し、騎士の称を得た時に、同輩たちと共に見上げたのと同じ顔だった。若い騎士の挨拶を聴き終えると、主君はかたわらに控える侍従に軽く手を振った。どうやらこの場でなされるべきやりとりはすでに決まっているらしい。そうして侍従は主君の言葉を伝えたのだが、それを聞いた若い騎士は大きく困惑することとなった。

――そなたは『幸い姫』を知っているか?

 主君はそう尋ねたのだ。

 『幸い姫』。その名を若い騎士は知っていた。いや、この国に住むほとんどが知っているのではないだろうか。幼い頃に誰からともなく聞き知り、自らも口ずさんだ童歌によって。今でもそらんじることができるそれは、伝説を歌ったものであり、幼子に語って聞かせるおとぎ話を歌ったものである。問いかけの真意も分からぬままに若い騎士は、是、と答えた。主君の表情に変わりはない。

――この国が逃れえぬ不幸に囚われているのを知っているか?

 続く問いにも是と返す。これもまた、この国に住む者のすべてが同じように返すのではないだろうか。ふたつの答えに主君は静かにうなずいてみせた。この問答はいったいどのような意味があるのだろうか。それが分からないのはこの場では自分だけ。若い騎士は胸の内でこっそりため息をついた。そのせいで、侍従の次の言葉にとっさに反応できなかった。

――そなたに、幸い姫を探し出し、我が国へ連れ帰ることを命ず。

 若い騎士は言葉の内容を理解して、おもわず間の抜けた声が出るところであった。

 幸い姫。幸いをもたらす幸いな姫。伝説であり、おとぎ話の存在である姫。そんなものをみつけてこいというのか。いったいなんということなのだろう。心の中のまま、若い騎士は口に出して問いそうになった。いわく、これはなんの冗談でございましょうか、と。けれど、そのセリフは口から出る寸前で消え失せた。あまりにも深い憂いをたたえた瞳。主君も侍従も。いるかどうかも分からないあやふやであいまいな存在に、本当に救いを求めようというのだ。つまるところ、それほどまでにこの国はおいつめられ、考えうる手段は使い尽くしたのだ。それを知った若い騎士の胸にも同じ憂いが広がっていた。

 王城を出た若い騎士は毛艶のいい白馬にまたがっていた。腰には名匠の手による剣が下げられている。どちらも主君から下賜されたものである。じつは両親の葬儀のために剣を売り払ってしまったのだが、まさかとは思うが主君はそれを知っていたのだろうか。騎馬と剣と騎士の必須であるふたつを取り戻したが、若い騎士の心は晴れやかではなかった。とはいえ、物心ついた時から晴々していたときはなかったかもしれない。そう思えばほんの少しだけ軽くなった。ほんの少しだけだが。それでもこれから始まる長い道のりを考えればわずかな光もうれしいものだ。長い道を思えば思うほどに。

 白馬はゆっくりと歩み、やがて若い騎士の家へつながる分かれ道へさしかかる。けれど、手綱は引かれなかった。別れはすでに告げていたし、あとを託す相手もいない。白馬は歩みを進める。城門が見えてきた。次にこの門をくぐるのはいつになるだろうか。そんなことが頭の片隅をよぎった。

 門の先にはいくつもの道がのびている。どれを行くか。迷ったのはわずかな間だった。い騎士は、テオドールは、手綱を引いて白馬の鼻を選んだ方へと向ける。

 東の果てのその先に幸い姫を探しに行こう。

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