それが選ばれた理由

篠原 皐月

意外な真相

 ある雨の土曜日。美波は息子二人を連れて、彼らの靴を買いに出かけた。

 店に入るなり小五の光弥は美波から離れて好きな靴を物色し始め、小二の真治は美波に付いて靴を見て回っていたが、「真治、これなんかどう?」と提案する美波に生返事をしながらキョロキョロと周囲を見回していた。しかしそんな彼が、急に店の一角に向かって駆け寄る。


「お母さん、これ! 絶対、これがいい! これじゃなきゃ、やだ!」

「え?」

 真治がそう叫びながら躊躇いなく持ち上げた代物を見て、美波は本気で困惑した。


「ちょっと待って、真治。それは紐で調節するスニーカーだから、履き難いわよ?」

「いいの! ちゃんと履ける!」

「でも、色が真っ赤だなんて……」

「赤だって良いじゃないか!」

「そうは言っても……。やっぱり後から嫌だとか言われても」

「言わないよ!」

 今までマジックテープで止めるタイプの物しか履かせていなかった上、全体が鮮やかな赤にアクセントで白線が何本か走っているデザインに美波は難色を示したが、ここで光弥が怪訝な顔で近寄りながら声をかけてきた。


「二人とも、店中に声が響いてるんだけど。何を騒いでるんだよ?」

 その声に美波は勢い良く振り向き、もう一人の息子に向かって訴える。


「あ、光弥。聞いて頂戴。真治がこれを欲しいって言うのよ」

「これ? この赤い奴?」

「ええ、そうよ。真っ赤なスニーカーなんて、どう思う?」

「…………」

 ちょっと驚いたような顔で弟の手の中のスニーカーを見下ろした光弥は、それとどこかふて腐れぎみの真治の顔を交互に見てから、軽く首を傾げつつ意見を述べた。


「別に構わないだろ? 赤だろうがスニーカーだろうが」

 それを聞いた真治は力を得たように笑顔で頷き、逆に美波が不満そうに言い募る。

「そうだよね!」

「えぇ? だって履きにくいし脱ぎにくいわよ? それに赤い靴なんて、女の子が履く物じゃない」

 そんな母親の意見を聞いた光弥は、「分かってないな」とでも言いたげに溜め息を吐いてから言葉を継いだ。


「母さんって、意外に頭が固いんだな……。時代はジェンダーフリーだよ? それにサッカーや野球のプロチームで赤いユニフォームの所は幾つもあるし、戦隊ヒーローだと赤はリーダーの色じゃないか」

「そうだよ! ジェンダーフリーで、ヒーローの色なんだから!」

「それにいつかはスニーカーを履くようになるんだし、それがちょっと早まっただけだろ。真治、紐の結び方とか、俺が教えてやるからな」

「うん、教えて!」

 そんな風に兄弟で結託されてしまっては反論のしようもなく、美波は憮然としながら了承した。


「分かったわよ……。じゃあサイズを合わせないとね。合いそうな物を店員さんに出して貰うわ」

「お兄ちゃん、ありがとう」

「別に良いさ。ただ歩きやすいように、きちんと足に合う奴を見つけろよ?」

「うん」

 笑顔で話している息子達を横目で見ながら、美波は店員に頼んで真治の足に合いそうなサイズの物を幾つか持ってきて貰った。それから店員に靴の具合を見て貰っている真治を見ながら、どこか釈然としないまま考え込む。


(何なのかしら……。男の子って、本当に面倒くさいわね。でも、そう言えば……、どこかで同じような赤い靴を見かけたような……。真治の同級生とかで、こういう靴を履いている子がいたかしら?)

 しかし考えてもはっきりと思い出せなかった美波は、店を出るまでにはその事に関して考えるのを止めた。


 ※※※


 翌日の日曜日は朝から晴れ渡り、光弥が所属しているサッカーチームの練習の為、美波はいつも通り息子二人を連れて河川敷にあるグラウンドに出向いた。

 現地に到着して美波が他の当番の親と挨拶を交わし、飲み物や救急セットの確認をしていると、続々と子供達が私物を預けにやって来る。


「青田さん、ご苦労様です。宜しくお願いします」

「朱里ちゃん、おはよう。今日も頑張ってね」

「はい」

 チームの紅一点である瀬川朱里は、二歳上の兄に連れられて幼稚園時代から見学に来ているうち、小学校入学と同時に自然にチームに入った。一人だけ女子という事で色々と問題がおきないかとコーチや保護者達は当時気を回したが、それに反して子供達は普通に朱里を受け入れ、その中で彼女はめきめきと頭角を現していた。


(朱里ちゃんはチームの中でも指折りの実力者なのに、本当に勿体ないわよね……。「さすがにそろそろ男子との体格差と体力差がきつくなってきたので、中学に上がったらサッカーは止めるつもりです」とか言っていたけど。近くに女子のチームがあれば良かったのに、世の中上手くいかないものね)

 朱里が意外にサバサバした表情で来年以降について語っていた事を美波が思い返していると、保管スペースに私物を置いた朱里が、真治の足元を見ながら言い出した。


「あれ? 真治君、新しい靴を履いてきた?」

 すると美波の横で黙って立っていた真治が、何やら動揺した様子で頷き返す。

「あ、……う、うん!」

「偶然ね。私と同じスニーカーだわ」

「そうなんだ! 偶然だね!」

(偶然? 朱里ちゃんが今履いているのは青のサッカーシューズだから、あのシューズケースにここまで来る時に履いていた靴が入っている筈。それの事よね? それを見た記憶があったのかしら……)

 何やらぎこちない不自然な笑みを浮かべながら言葉を交わしている息子と、先程朱里が置いたシューズケースを見比べながら、美波が考えを巡らせる。


「それ、凄く動きやすいし歩きやすいから。きっと今までより、早く走れるようになるよ?」

「本当? 頑張る!」

「うん、頑張ってね」

(あぁ~、ふぅん? なるほどねぇ~。幼稚園の頃から光弥に付いてサッカーを見に来ていたのに、「サッカーはしなくていい」とか言って、チームに入らなかった理由は“これ”かぁ……)

 互いに笑顔で手を振って朱里がグラウンドに出て行ったのを見計らって、美波は真治に含み笑いの表情で話しかけた。


「真治?」

「…………何?」

「靴、偶然なのかな~」

 ニヤニヤと笑いながら確認を入れると、真治は忽ちムキになりながら言い返す。


「偶然だよ!」

「そうか~、偶然かぁ~」

「そうだよ! 偶然なんだからね!」

「凄い偶然~」

 そんな調子で美波が息子をからかっていると、少し離れた場所でシューズを履き替え、ボールも出し終えた光弥が、呆れ顔で母親の肩を軽く叩きながら声をかけてきた。


「母さん、そこら辺で止めておけよ。『武士の情け』って言葉があるだろ?」

「光弥、あんた知ってたの?」

「ノーコメント」

「本当に男の子って、面倒くさいわよね」

「本当に、本当に偶然なんだからね!」

 そして顔を真っ赤にしながら必死に言い募る弟を宥めてから光弥はグラウンドに出て行き、ふくれっ面の真治に笑いを噛み殺しながら、美波は再び考えを巡らせた。


(これだと光弥は来年もチームに在籍しているけど、真治が練習に付いて来る事は無くなりそうね)

 赤いスニーカーの真相がおかしくて、美波は笑いを誤魔化す為、徐々に日差しが強くなっている空を見上げて目を細めた。

 朱里の最後のサッカー漬けの夏は、まだまだこれからが本番である。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

それが選ばれた理由 篠原 皐月 @satsuki-s

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ