其の二十二「河畑ぁ!」

「河畑ぁ!」

 中村半次郎、否、人斬り半次郎が薄暗い長屋に突入する! 両手で持ったその刀を、軍旗のごとく高々と、まっすぐに右上方へ掲げながら! 蜻蛉とんぼ

「来たかっ、半次郎!」

 河畑深左衛門があぐらをとき、片膝立ちになる! 跳ねあげられて直立した、両膝に渡されていた刀の鍔際つばぎわを右手で掴む!

 そのときすでに、人斬り半次郎の姿は宙にあった。

「おはんがどげな死にざまを晒すか、いま見せてくれるわ!」

 人斬り半次郎は土間から居間へと跳躍するや、眼下の河畑へと刀を振りおろした! 小示現流と薬丸自顕流の鬼子おにご! 何万、何十万回と繰りかえされた「横木打ち」の果てに窮まった、雲耀うんようの太刀を! 風が割れ慟哭どうこく

 「初太刀を外せ」――新選組局長、近藤こんどういさみをしてそういわしめたとされる一撃必殺の剣を、しかし河畑は受けた――立てた刀の柄尻つかじりで!

 戛然かつぜん! 頭金かしらがねが砕ける! 柄が斬り飛ばされてなくなって、そのうちのなかごがあらわになる! それでもなお、人斬り半次郎の初太刀は止まらない! つばを割る! 鞘を叩く! 鞘の先が畳に埋まる! 鞘の正中線に裂罅れっかが走る! 竹のごとく!

 しかし、そこで人斬り半次郎の刀は止まった――はばきの上で、止まった。

 その切っ先は、河畑ののっぺりした額の一分上で止まっていた。のみならず、震えていた。

 何故か? 河畑が鎺に食いこんだ人斬り半次郎の刀の峰を、左手で上から押さえつけているからだ! それゆえに、人斬り半次郎は自剣を振りあげることも、押しこむこともできずにいるのだ!

「いまはまだ、そのときではない……」

 もはや鍔迫りあいともいえぬ奇妙な拮抗のなか、河畑がいった。

「なんじゃと……?」

 まっぷたつに割られた鞘が、竹みたいに左右に倒れてゆく。

「お前さんの真の生きざまは、いまはじまったばかり――絶句を詠むのは、もっと窮めてからにしてもらおう!」

 そのうちから、恐るべきかぐや姫が――影の世界にあってなお、光り輝く刀身があらわれる!

「ほざけ!」

 人斬り半次郎は手首を捻ると、自剣の刀身を横に倒して、河畑の左拳と鎺のあいだから引きぬいた。そのまま刀を横に薙ぎ払い、河畑の左腕を断たんとする。

 河畑は茎から左手を離し、左腕を引いてかわす。入れ代わるように、河畑の右の逆手が茎を掴んだ。

 直後、河畑は抜刀していた。畳を鞘代わりにした、奇妙な居合いであった。昇る三日月みたいな逆風さかかぜの太刀が人斬り半次郎を襲った。

「――ええいっ!」 

 だがそのときすでに、人斬り半次郎はさきの横薙ぎの勢いのまま一回転し、左水平の一刀を繰りだしていた! はたして、河畑の逆風の太刀と人斬り半次郎の左水平の太刀は十字に交差! ふたりは反動で互いに飛びずさると、ふたたび睨みあった! 河畑は窓のまえ! 人斬り半次郎は上がり框の上!

 そのときだ!

「動くな!」

 人斬り半次郎の後方、すなわち戸口のほうから声がした。当然、川路の声だ! 人斬り半次郎は笑った。彼は、川路が回転式拳銃を携帯していることを知っている。川路の警告が意味するところは明らかだ。これで、河畑を逃すことはない!

「く、く……」

 しかるに、河畑は笑いながらあとずさった。

「撃てっ、川路どん!」

 しかるに、銃声は轟かなかった。河畑が足を窓の桟にかけても、なお。

「なにを――」

 人斬り半次郎は肩越しに川路を瞥見しようとした。「しようとした」というのは、彼は川路を見たが最後、目を離せなくなってしまったからだ。……川路からではない。自分に向けられた、回転式拳銃の銃口から。

「私情においては、まことに忍びなか……」

 川路は淡々といった。

「……じゃっどん、大義の前には私情を捨てて、あくまでお国に献身しもす!」

「きさま!」

「わはははは!」

 場ちがいとも、場にふさわしいともいえる笑い声に人斬り半次郎が振り返ると、窓の桟の上でしゃがむ河畑が見えた。

「内輪揉めはよしたがいい……いつか、斬りにいってやるから。なあ? 川路さん。く、く……」

「……さっさとゆけ」

 川路は回転式拳銃を人斬り半次郎に向けたまま、無感情にいった。しかし、そのお面のほうは外れかけていた。

「わはははは!」

 河畑はいま一度笑うと、顔のみならず、いまや両の拳をも真っ赤に染めた人斬り半次郎を眺めやり……窓の桟を蹴りざま、微笑んだ。

「また会おう、桐野利秋さん……いや、人斬り半次郎! わはははは! はーっはっはっはっはっはっ――……」


 ――広沢真臣暗殺事件の捜査にあたった弾正台は、事件当夜、広沢と同衾どうきんしていた福井かねを訊問じんもんしたが、かねの供述は、事件発生の瞬間「寝ていた」こともあってか実に曖昧で、確かといえるのは、犯人が複数人であるということだけだった。

 しかたがないので、弾正台は雲井龍雄の残党などの、明治政府に反感を持つ者たち数百人を検挙し、ひとりひとり追及していったが、いずれも本事件については潔白であった。

 容疑者が尽きてしまったので、弾正台はふたたびかねを追及して手がかりを得ようとした。彼らは必死だった。事件発生から二ヶ月弱後の明治四年二月二十五日に、ほかならぬ明治天皇から「賊ヲ必獲ニ期セヨ」との詔書がくだされていたからである。

 はたして、かねを再追及したところ、驚くべき事実があきらかになった。

 事件当夜、広沢が殺された直後に、かねが犯人たちに犯されたことなどはまだかわいいものであった。なんとかねは、広沢の愛妾でありながら、広沢家の庸人たちや、当時同家に住んでいた広沢の甥、はてはその仲間たちとも肉体関係を持っていたのである。

 弾正台はこの間男たちに動機ありと見て、彼らを捕らえ、かねともども日夜拷問にかけたが――あらたに出てくるものといえば、かねの醜態ばかりであった。いつしか、事件が発生してから四年半の歳月が経っていた。

 やがて明治政府は、広沢とかねの醜聞が世に知れわたること、それにより明治政府の威信が失墜することを恐れるようになり――明治八年七月十三日。かねとその情夫たちを無罪に決し、解放した。それは、本事件の捜査の打ち切りが決された瞬間であった……


 ――広沢真臣暗殺事件の犯人は、いまもって不明とされている。

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殺し屋のインタビュウ 不二本キヨナリ @MASTER_KIYON

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