まるで儚い砂糖菓子のように
街からは賑やかな祭りの音曲が聞こえてくる。
それに、戦が終わったことを喜ぶ人々の声もだ。
青月の将軍ウタク・カムイは険しい山道を愛馬とともに登りながら、ようやくこの日が来たことに口元をほころばせる。
冷たき月の世界は、長きにわたる戦乱の末にようやく統一された。
その道のりは、あまりにも残酷なもので、同胞を何人も失うつらいものだった。
屍山血河を築き……その果てに辿り着き得た、平和な世界。
『平和な世界なら……皆、幸せだったのかな……』
けれどもう妹はこの世界のどこにもいない。
あの冷たい月夜の別離から十年。
ウタクは久しぶりに『先生』と『師匠』の庵を訪れるところだ。
将軍職に就いてから、何度も二人を都に呼ぼうとしたのだが、それはきっぱりと断られてしまっている。曰く――余生ぐらいは静かに暮らしたいという。
それに、二人の庵の傍にはレッラの墓もある。
妹を見捨てたあの村に、レッラの墓を作るのは嫌だったというのもあるし、あの二人が見守ってくれているなら何より安心できるというのもあった。
「レッラ……」
久しぶりの、墓参りだった。
妹も、父母ももうこの世界のどこにもない。この青空の向こうで、毎日幸せに暮らしているのだろう。だけど、この世界に平和をもたらせたという報告はしておきたかった。
見上げた青空には、白雲が漂い、いかにものどかだった。
と――その一点に、黒いシミが現れ、じわりと広がっていく。
「……あれは……」
じわり、じわり、シミは広がり。
その真っ黒な向こう側に、ウロコのようなモノが見えた気がした。
あれは――。
「……っ!」
ウタクは馬を疾走させた。妹の墓がある、恩人の庵に向かって。
あれは、あの黒いモノはこの世にあってはならないものだ。
あれは、この世界に害なすものだ。
何もわからない。わからないが、それだけはわかった気がした。
「レッラ……!!」
守らなければ。この世界は、ようやく平和になったのだ。
妹が望んだ平和な世界になったのだ。
屍の山と、血の河を乗り越えて、ようやく皆が幸せに暮らせるようになったのに。
なのに。
「先生! 師匠!!」
二人はすでに異変を察知していたようで、それぞれに医療道具の入った箱と、槍を手にして空を仰いでいた。
「ウタク、お前はすぐに都に戻って討伐の軍を出しな!!」
「先生、あれは」
「よくわからん! わからないけど、おそらくあれは『喰ってる』んだよ。この世界そのものを『喰ってる』……」
ぞわりとした。
人を、村を、街を、国を、世界そのものを『喰らうモノ』が、やってきている?
「師匠……」
「ウタク、すぐに都に戻れ。ここはワシらが守る。レッラの墓がある場所。お前が帰ってくる場所はワシらが守るでな」
にかっと笑って、師匠は槍を構える。
見据えるのは、黒い空から覗くウロコ。
「だから、お前はお前にしかできぬことをせい」
「……!!」
ウタクは馬を疾走させ、山を駆け下りた。
世界はその間も、次々に溶けて喰われていく。
木も、動物も、花も、山そのものも、儚い砂糖菓子のように。
人々を避難させるという考えは、都に戻る頃には破棄していた。
もはやこの世界すべてが、あの黒いモノの食卓の上なのだと理解していたから。
それでも、ウタクは軍をまとめ、刀を振るい続けた。
守りたかった。
平和になったこの世界を守りたかった。
やがて――真っ黒に染まった空に、巨大な瞳のようなモノが見えて。
……そこでウタクの意識は途絶えた。
けれど、寸前に、白く光り輝く腕に抱きしめられたような、気が、した。
長い間、あるいはほんの一瞬。
黒い海を漂っていたような。
次にウタクが感じとったのは、硬い地面の感触。
……。
ざわざわと、人の声と気配がする。
「いやだ、
「おい、誰か救急車呼べよ……」
「こりゃあ、随分と酷い有様だな」
どういう、ことだ。
世界は……そして、自分は生きているのか?
ウタクは動かない体を硬い地面に預けたまま思考する。
このときのウタクには、何もわからなかった。
自分の世界――コンル・クンネテュフは星喰ロアテラにより崩壊したこと。
ウタク一人だけが積層都市アーセルトレイに辿り着いたこと。
それらを、傷を癒やしながら少しずつ知っていった。
妹と生きたあの世界は――故郷はもうどこにもないのだということも。
ステラレイド異聞 青月の将軍と鳥籠の乙女 冬村蜜柑 @fuyumikan
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