【Phase.10-7】友を想い、金色の舞台へ踏み出して

 ≫≫ 15時32分_東京都千代田区_JR飯田橋駅のプラットホーム上 ≪≪



ったー!」

「……何!?」


 携えた刃物が狙っていたのは華音の左脇腹であった。けれど捉えたのは、その手前に置かれていた・・・・・・・・・リゼの左掌中央部。貫かれた際に血液は飛散し、リゼ自身と後ろに居た華音のチュニックをくらく、紅く湿らせた。


っちち……コレってキャンプ用のナイフか」

「リゼさんっ!? それに貴方はっ!」


 ここで3メートル程離れていたリゼが、瞬時に自らの真横へ現れた事に気付いた華音。同時に彼女が把握した事象は三点ある。


 男はさきの盗難男だという事。

 手には折り畳み式のフォールディングナイフを持ち、華音自身へ襲撃を仕掛けてきた事。

 そして、リゼの瞳が金色カナリアに変わり、男を鋭くめ付けていた事だ。


「昼間の逆恨みにしちゃあ随分と物騒が過ぎんじゃないの?」

「グゥ……お前、さっき離れて居た筈だよな――」

「んな事どーでも良いわ! アンタだってあのダサいチェーンはどうしたとか聞いても答えないでしょ? この物盗り野郎」

「……クソッ!」


 不意のウォレットチェーン指摘も相まって、男は動揺が抑えきれず。リゼの手に刺さったナイフを慌てて引き抜く。

 その反動でリゼの手にまたも痛みが走った。


「……ッ、っくぅー!!」


 同時にナイフは血に染まると、緋色の雫が足元にポタリと零れ。それが周囲の人々にも視認され、雫落つる水面の如く危機感を次第に伝播してゆく。



「キャーッ!?」

「コイツ……刃物持ってんぞ!」

「女の子が刺されてる!?」

「みんな逃げてーっ!!」


 駅利用客らも男を悪漢と認識し、プラットホーム上では一斉に緊張が走る――否、既に恐慌状態へと転じていた。


 更にここへ新宿方面行きの電車も飯田橋駅へ到着し、駅員らが騒動を察知する前に車両ドアが開かれてしまう。


 電車の利用客らがプラットホームへ踏み出そうとしていた――が、悲鳴上がるプラットホームの只ならぬ様子から、降車予定客の足が止まる。その代わりとしてプラットホーム上を支配したのは、誰かが押したのだろうか。けたたましい非常ベルの警報音であった。


「今は物盗り野郎じゃなくて、人刺し野郎か」

「……ぬぐぅっ! 退けぇ!!」


 男は下がりながら、今度はリゼの血が付着する刃物を滅多矢鱈めったやたらに振り回し始めた。

 けれども、このアクションは攻撃というよりも牽制が目的であり、リゼがもう一歩前に出なければ再度当たる事はないだろう。



 此度の襲撃目的――警察に追われる原因となった華音への復讐――という目論見が崩れたいま、元々狂っていた男の判断能力は完全にフリーズ状態。既に男を突き動かすのは本能のみだ。

 折り重なる状況・警報等の変化も手伝って、その選択は復讐と真逆に、この場よりいち早くの逃走を図り、ナイフを振り回す事であった。


「逃げる気だね?

 でもコッチとら頭にキてんの。逃がすワケないじゃない!」


 男の意図を察し、相対するリゼが取った行動はなんと男への詰め寄り。

 アスリートは身体ひとつが最大の資産だ。自らの母も怪我との戦いを長らく続けていたため、肉体への危機意識はリゼも其れなりに備わっている。だからこそ華音に対する行為には『赦せない!』という強い思いが、進撃の一歩を選択する。彼女は滴る血の一切を意に介さず、反撃に踏み切ったのだ。


「リゼさん、駄目ッ!」


 流血しているリゼを目の当たりにし、華音もまた冷静さを欠いていた。今度は華音が盾となるように飛び出そうとする……が、それにはリゼが更に速く「大丈夫っ!」と先んじて男の前へ割り込み、小柄な身体で彼女の前進をブロックした。


「また刺されたいのかよっ!!」

「ソレはもうお断りだね!」


 華音が刺されぬようにと、右手を供物のように差し出して一度はガードしてみたものの、流石に二度も刺されたくはない。

 しかし拒否の言葉とは裏腹に前進してゆくリゼの行動は、男の怨嗟ヘイトを一身に引き受ける効果を発揮した。もちろん行動の意図は、乗降する駅利用客へ被害が広がる懸念をし、正義感という名の義憤に駆られた訳ではない。

 ただ、久方振りにできた友人へ危害を加えようとする男に対し、個人的に憤慨しているだけなのだ。


 リゼと男。プラットホームを舞台に二つのエゴがぶつかり合う。


「寄るんじゃねぇーっ!!」

「ソレもお断りだっつーのっ!」


 何処に視線を向けているかさえ判別が付かぬ程に目が血走っている男。

 彼は躊躇いも無くリゼへ袈裟懸けナイフを振り抜いた。


 相対するリゼもまた躊躇わず。

 男の放つ一筋の殺意より速く、懐へと刃を躱しながら飛び込んでゆく。


「……速いっ!」


 リゼの尋常ではない動きに、華音は戸惑い混じりの驚嘆を抱いて前進をストップする。それは彼女が告げた「大丈夫」という台詞の裏付けに充分過ぎる程の証明だった。


 小さな彼女の肉体速度は明らかに人間の限界を越えており、別の形容も出来ぬほどにメトリクスの違いを見せ付けているのだ。

 それは身体の修練には其れなりの自負がある華音でさえ、到底真似をすることが出来ぬ動きであった。


 リゼが動くたび、緩急で残像を作っては質量を残し、二度・三度と殺意を掻い潜ってゆく。

 回避から踏み込む瞬間など、動体視力に自負のあった華音にも完全には捉えきれぬ程だ。

 当然、リゼが身体を動かす度に指令を出す脳――即してニューロンとシナプス間の処理速度は、光にも近しい加速を繰り返していた。



 華音の視線よりも速く、そしてはやいリゼの肉体と思考。

 信じ難いながらも現実として展開される現状。

 リゼがこの境地に至ったのは、つい直前のことである。



 ≫ ≫ ≫



 時間にして数十秒前、華音に凶刃が届こうとした刹那。

 リゼの視界は突如、まるで映像のネガポジが反転した様な世界へ切り替わっていた。


 眼前には悄然とした面持ちの華音。

 彼女の後方では、狂気と殺意を孕んだ薄笑みの男。

 行き交う人々は男が握り締める刃物の存在に気付いてもいない。


 そして何より、見える全ての人物・止まることの無いエスカレーター・間も無くプラットホームへ到着する電車――それら万事が活動を停止しているのだ。


『!! ……なんで今、あの状態が起きてんのっ!?』


 リゼがごく最近に訪れた事のある既知の世界。

 異常加速する脳が生み出し、外界の時間が凍結された世界。


 突如の来訪者として放り込まれたリゼに過る惑い。そのような渦中で、彼女の意識へ介入する声がひとつ。


『当惑はやむなしだろうが、感心はできんねぇ』


 聞いた記憶のある、少ししわがれた男声だった。

 ……いや。以前もこの奇妙な世界の内で、一方的に意識の中で捉えた事のある声だった。「聞いた」という表現は正確でないのかも知れない。


 けれども、リゼにそのような所感を抱く心情的余裕は無い。

 それよりも数日の内で意図せず、この奇妙なる世界に幾度となく迷い込んでいるのだから「何故?」という疑念を強く抱いてしまうばかりだ。


『思考の行き着く先、【リンケージ】は私たちの脳でしか扱えぬ有用な能力ではあるが、ここ短期間で繰り返された事態に苦言を呈そう。

 来訪は自由だが、使い慣れぬキミでは脳への負荷が大きい。すべからく濫用は避けるべきだ』


 気付けぬ程に嘆息を息継ぎとして織り混ぜて諭す言葉。

 リゼに自覚は無いが、まるで彼女自らの意思でこの世界に訪れたかの様な口振りであった。

 そうは告げられても思考は未だ困惑に囚われたまま、彼の言葉は続けられた。


『しかも、だ。

 今回は自分自身の危機ではないのだから、余計に無理を押す必要は無いと思うがね』

『……ちょっ!』


 更に添えられた言葉でリゼは気付いてしまった。【リンケージ】なる今の現象は、リゼが華音を「助けたい!」と願ったから起こったのだと。付随して朧なる意識は、逆撫での刺激を受けてようやく活性化。全ての疑問を押し退けて声主に対する反論が噴出した。


『アルマ……いや、華音はアタシの友だちなんだ。

 勿論コレはエゴだって理解もしてるよ。

 んでも、友だちのために何かをしたいって思う事は無理でも無茶でもないっ!』


 まるで対話にも等しく、感情のまま訴えたリゼ。

 彼もその言葉を受けたかのように、溜息ひとつから言葉を続ける。


『――失敬。これも詮方せんかたなしだろう。

 他者のために此処へ来たのであれば、きっとキミにとって大切な人なのだろうね。


 確かに……私にも大切な人を護ろうとした時があった。

 キミの事をとやかく言えなんだ』


 二人の言葉はその実、対話として成っておらず。

 それでも不思議と噛み合う互いの言葉――感覚質クオリアは、【リンケージ】なる意識下で結ばれてるのだと双方ともに認識していた。


『私たちの【リンケージ】は有益にして諸刃。決して万能ではない。

 既に体感しているだろうが、使えば心身へのダメージが非常に大きく、支払いは決して軽くない。


 ……だが、キミの大切なものを取り零さぬためなら、何も躊躇う事はないだろう。

 いずれの選択にせよ、私は応援させて貰うよ。

 キミの■■■■として――』



 フェードアウトする声とともに、リゼの感覚質クオリアから遠ざかる声主の意識存在。最後の言葉はノイズ混じりで解らず仕舞いだった。だが、後押しをするその言葉には、まるで我が子へ向けるような慈しみを内包していた。



『そう。どんなに代償とやらが辛くても、アタシの選択はとっくに決まってんだ。

 今はこの妙な【リンケージ】ってのにすがらせて貰う……華音が傷付けられないために!』


 今は解らず仕舞いの言葉に擬義を抱く時では無かった。

 逸るリゼの視線が再び華音へ、そして男へと向いた。


 彼女の腹部へと襲い掛かる切っ先は、もう一寸の隙間も切ろうとする距離だ。

 三メートルほど離れたリゼでは、どうする事も出来ないだろう――いまが平素であれば。


『ご都合なチカラだって何だっていい。

 アタシは友だちを助けたい。

 代償なんて知るか!

 今は助けられるなら、ただそれだけでいい』



 新たなる友人、そしてVR内の新たなるパートナー、華音を捉えたリゼの瞳に金色カナリアが宿ってゆく。

 加速する彼女の『完全記憶』と『並列思考』能力が、自身のキャパシティを超えて肉体への電気信号インパルスまでもクロックアップしてゆく。



 刹那――溢れ出す金色とともに、世界はいまスローモーションで動き始めた。



『アタシがやる。

 やらなきゃいけないんだ!』


 華音に迫る危機へ手を伸ばし、リゼは駆け出す。

 停止にも近しき時間の中で、自分だけが等速という、独善的なまでの孤独な舞台へと足を踏み入れて。

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