普通の海老が異世界に迷いこんだんだけど誰も食材として認識してくれない話。通称「えびまよ」

椎名アマネ

第1話

 私はどこにでもいる普通の海老である。

 さて、こう記述すると、ある事が気にかかった方もいるかも知れない。即ち『普通の海老』とはなんぞやと。


 普通の海老は普通の海老である。すなわち蟹でなければロブスターでもなく、伊勢海老でなければまかり間違ってもザリガニなんかではないのである。

 普通の海老とは、皆様方がご想像の通りの海老である。だいたい海老天にされる前の殻を剥かれてない状態を我々海老は海老と自称する。ここで言う普通とは特定の能力なども持っていない海老であることも意味する。

 我が体表を覆う殻を事もあろうに剥き身にしようとは、いくら少々下の筋肉がプリプリであることが自慢である私でさえ、あまり崇高なご趣味であるとは思えないものである。


 然しながら、この見知らぬうしおへと流れ着いてしまった私にとっては、いっそ衣で包んでカラッと揚げられた後、塩あるいは天つゆで食される方が幸せだったのかもしれない。


 さて、作家を自称するところの人類である諸君らは我々をどのように描写するであろうか。

『二本の触角を持ち、硬い殻に身を包んだ海ないし川に棲息する生命体』だろうか。


 ここで『海老の描写力コンテスト』を開くのは私の本意ではない故、我こそは海老を文章化せしめし才能だと名乗りをあげる声は潜めていただければ幸いと致すところである。


 私の個人的な感想を述べさせていただければ『二本の〜』という描写は海老を表現する上での実用水準には達しているものと思われる。


 この硬い殻を纏った姿によって、ある異世界において私が遺憾の意を表明せざるを得ない事態となるのは当然知る由もなかった。


 私は滋養に富んだ海水で満ちる、瀬戸内の海で育った。

 『人』生、という言葉に引っ掛けて、『○生』と、犬生や猫生のようなよく使われるあの言葉遊びを用いるならば、その海で私は『海老生』を送っていたのである。

 まだまだ若く、世間知らず、身はキリッと引き締まっていた。


 私は突如発生した渦潮へと身体を巻き込まれるのである。


 次の瞬間に、気がつくと自分がいるのが元の海ではない事を悟った。なにせ、水の味や香りが違うのだ。


 神隠しにあうにしては私は歳を取りすぎていたし、貴種流離譚と言えるほど私に隠された身分などはない。

 特に理由も目的も無く、一匹の海老は元の世界から姿を消したのだろう。


 この突然の環境の変化に私の体は持ち堪えることができるのか、見知らぬ海水によって我が命は実にあっけなく尽きてしまうのではないかと恐々としていたが、起こったのは全くの逆だった。


 嗚呼、なんという命の脈動だろう!


 そして──これは──、


 なんたる『知性』のきらめきであることか!


 猛烈な勢いで私は進化の階段を駆け上がったのだ。


 偶然だろうが、新たなる海の成分は私の肉体と精神に著しい変化をもたらした。


 細い両手を天に掲げ、この生命を叫んだ。

 未知の大海にて、この海老の意識はより高次のものとなる。同時に、この身体つきも以前とは比べ物にならないほど美しく逞しく成長していった。




 充分に自分が知的生命体として完成するのを知ると、私はこの世界の別の知性種と接触を測った。奇妙なことに、その知性種の姿形はかつての海でその存在をなんとなく聞いていた『人類』のものと酷似していた。

 世の中は奇怪なものである。


 この世界には我々のような海老、蟹と言った生物は存在しないらしく、海の中では仲間に出会ったことはない。

 単身上陸したが、この肉体は非常に発達し巨大であった為に、大海獣襲来かと彼らは最初逃げ惑った。


 私はこの日のために入念に用意した発声器官から品の良い落ち着いたテノールの声で彼らに語りかける。


『人類の諸君……、


 海よりの使者、海老は貴方方に福音を述べ伝えに来た。

 私は、自分で言うほどではないが、かなり美味なる肉を持っていることを自覚したのだ。


 是非諸君に一度、私を味わって頂きたい』


 かつては嫌悪した、プリップリの剥き身に今私は志願するのである。これこそ、この世において最も崇高なる行為『自己犠牲』に他ならない。真の知性に目覚めた海老はこのような献身さえ行える。これぞ究極の美である。


『大丈夫。産卵は済ませた。我が血族は永久に途絶えることはない。そして今、人類との血の契約を交わそう……』

 今の私ほどにもなれば、無性生殖など造作もない。


 彼らは私に向かってある名を叫んだ。故に、食すことは辞退すると。

 なぜだ? この甲羅に下に隠された純白の筋繊維は焼いてよし、揚げよし、なんなら生でだってご満足いただけるものに相違ないのだぞ?


 しかし、我が崇高なる知性は次の瞬間には彼らが発した言葉の意味を察してしまうのである。


 二本の触角を生やし、硬い殻に身体を覆われしもの。

 奇しくも我々海老族と同等の形状を持つ、その種族の名は──『昆虫』。


 私の究極の美の実現は、よりにもよって最も下等であると嫌っていたあの虫ケラどもに穢されたのである。


 結局、この地の者たちに幾ら熱弁を振るったところで、私を天ぷらにしてくれる猛者は現れなかった。


 それより以後起こった私の悲しい旅については語るまい。


 以来、海老生をひたすら研究に捧げてきた。

 数多の多重宇宙を移行して、唯一、海老という『食材』が存在するこの世界……私の故郷……へと帰還するために。



 カクヨムをご覧の作家と読者の諸君、心配はいらない。

 私は既に産卵を済ませている。

 我が種族はいずれこの海を、地上をも制覇し、君たち種族とともに繁栄を遂げることだろう。


 だから、一個体の私のことなど気にすることはない。


 白い米をよそったドンブリの上に、たっぷりのワサビと私の切り身を乗せ、醤油をひと垂らしするだけでもなかなかに美味であることは保証する。


 ところで、卵と油と酢を攪拌したソースに、(私としてはこの召し上がり方はチープかとも思うのだが)軽く塩茹でした肉を混ぜて、温かいうちに頂くのも、なかなかオツなものらしい。



 さあ、酒の肴に、飯のおかずに、読書のお供に、白くプルプルとした我が肉体をついばみ給え。

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普通の海老が異世界に迷いこんだんだけど誰も食材として認識してくれない話。通称「えびまよ」 椎名アマネ @shiina0102

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