閑話 メリークリスマス
沈み行く太陽が全てを黄金色に染め上げる。
ぽつりぽつりと寂しそうに佇む木の影が長く伸び、黄昏に包まれた世界にそっと寄り添う。
一歩足を踏み出した。雪を踏みしめる微かな音が儚い風景に広がった。
さっと一陣の風が吹き、粉雪が舞い上がる。斜光にさらされた雪は
「――わっぷ」
粉雪はそのまま俺の顔にダイレクトアタック。冷たい。寒い。痛い。
マントで顔を拭うと、服の裾から入り込んだ冷気が体をぶるりと震わせた。いくら厚着をしたとはいえ、人間の体は寒さに耐えるようにできちゃあいない。怠惰な心が、寒空の下に突っ立っている現状を猛烈に否定する。
うー……さみぃ。手早く終わらせなくては。
雪を掬う。勢いをつけて腰をひねり、スコップで掬い上げた雪を放り投げる。
雪を掬う。
辺りには銀世界が広がり、気温も氷点下へと落ち込んでいる。
限られた時期にしか見る事の出来ない景色を見に、彼女――スピカ・ベルベットと二人で人里離れた平原の隅っこに足を運んだのだけど、雪という大敵が俺たちの前に立ちふさがった。
俺の背後には二人程度ならば窮屈を感じずに過ごせるほど大きなテントが張られている。
魔術によって防寒がほどこされ、中はぬくぬく暖かい。
日が暮れた
雪解けまでこの場所に引きこもって冬眠を貪る……というのも、それはそれで魅力的なのかもしれない、けどっ!
浮かんだ冗談を
今日は所謂クリスマス当日。
なんと、この世界にもクリスマスという概念があるのだ。
前世、地球では聖人の聖誕祭という名目で、年に一度のビッグイベントになっていた。
この世界では聖人の誕生日云々は一切関係なく、名前が同じだけの、親しい人へ感謝を示す日である。ぶっちゃけ地球の形骸化したクリスマスと同じようなもので。
さすがソシャゲーの世界、なんというか業を感じる設定だろう。クリスマス限定スキンとか、ガチャとか。何故だか、前世のことだというのに心が痛くなりそうだ。爆死……お゛ぇ゛っ゛。
くだらないことを考えていれば、気がつけば目の前にはかきだした雪がこんもりと積もっていた。うっすらと浮かんだ汗を手の甲で拭いつつ、満足感とともにテントの入り口を開く。
そこには親しんだ彼女の姿が――なかった。
暖房の傍に、毛布をすっぽりと頭から被った謎の物体が居た。手だけを突き出し、暖房へとかざしている。
浮かんだ笑いをかみ殺す。
「その姿、以前戦った、アンデッドのモンスターみたいだな」
途端、毛布の山がすすっと移動し、俺の近くへと寄って来る。毛布をがばっとめくれば、不満げに口を尖らせたスピカが現れた。
ずっと毛布を被っていたのか、いつもは白い肌がうっすら桃色に染まっている。俺と目があい、宝石のように輝く真紅の瞳が感情で濡れた。
毛布から流れるように銀色の髪が零れ落ちる。線の細い頬を伝い、品の良いストールのように流れていった。
心臓が小さく跳ねる。神秘性だとか、傾国のだとか、こう、大げさな言葉で飾り立てたくなるほどに整った彼女の姿は、何度見たって慣れそうにもない。
そのまま毛布は床へと落ち……静電気で髪の毛が爆発した。
我慢できなくなって、ぶはっとふきだした。
スピカは文句を込めて俺の腕をてしてし叩く。
「悪かった、悪かった。ほら、後ろ向け。髪の毛直してやるよ」
「許す」
「ははーっ。そりゃありがたい、どうも」
スピカは小さく背を伸ばし、甘えるように頭を俺の手にこすり付けると、満足げに吐息を漏らした。
……自覚は有るのか無いのか、そうやって俺の心臓を苛められると、困る。決して不快感のあるものじゃないのだけど。
「サンの手、冷たいね」
「……雪かきしたからな」
「おつかれさま。ありがとう」
「どういたしまして」
スピカは自分の手に小さく息を吹きかけると、頭を撫でていないほうの手をそっと握った。
「寒くない?」
「……あったかい」
十分すぎるほどに。ひかえめに握られた手から伝わる温もりが心地良い。
くそ、かわいいな。口の中で呟いた。
「いつも、ありがとう」
「別に、大したことはしてないよ」
「すぐそういうんだから」
スピカはくすぐったそうにクスクスと笑い声を漏らした。
「そんなサンに、私から贈り物があります」
彼女はそう言うと暖房の影へと足を運び、小さな包みを取り出した。
「ん」
差し出された包みを受け取る。彼女から了承を得ると、包みを丁寧に開いた。
中から出てきたのはキャスケット帽だった。冬仕様で生地が厚く、裏地は動物の毛でできており、暖かそうだ。
……スピカが常用している帽子とデザインが似ている。込められた感情を伺うようにスピカの顔を覗き込めば、彼女は顔を真っ赤にしながらぷいっとそらした。
「ありがとう。大事にする」
さっそく帽子をかぶりこめば、胸に手をあてながらスピカは言った。
「どういたしまして」
貰いっぱなしではない。当然、俺からもお返しがある。
「メリークリスマス」
「メリー、クリスマス」
コクコク頷きながら大真面目に告げられた片言の返事に苦笑を浮かべつつ、俺もプレゼントをポーチから取り出す。
「お礼。受け取ってくれ」
おずおずと伸ばされた指先が紙袋を受け取った。
中身は濃い赤一色のみで編まれたマフラー。妖精のような彼女をより鮮やかに彩ると思ったのだ。
……大真面目に選んだプレゼントを渡すというのは、なんでこんなに気恥ずかしいんだろうな。
反応を伺う事もなくどっかり暖房の前に腰を下ろすと、彼女も俺の傍にそっと座った。
「ありがとう。嬉しい」
「どういたしまして。良かったら使ってくれ」
「うん」
暫くの間、お互い口を開くこともなく、緩やかな時間が流れた。
見た目はまんま丸ストーブの暖房から、魔力が熱に変換される、擦れるようなチリチリという音が鳴る。テントの外からフクロウの鳴き声が遠く、長く、響き渡る。
木の枝に積もった雪がトサッと崩れるかすかな音や、雪原を走る風の音。
そういうものにぼんやり浸りながら、横に座るスピカを盗み見た。
早速彼女も俺が渡したマフラーを巻いたようで、銀の髪に白い肌、伏せられた赤い瞳を、より鮮烈に飾り立てていた。
うん、よく似合ってる。
小さく頷くと、スピカと目があった。彼女は温もりを感じる柔らかな笑みを浮かべた。
……俺の感想が見透かされたようで、なんとも居心地が悪い。ならばいっそと口を開く。
「よく似合ってる。スピカに赤い色は合う」
「……そういうとこ、ずるい」
うっすらと顔を色付かせながら、スピカは搾り出すように呟いた。
……同じ感想を日頃、何度俺がスピカに抱いているだろうか。
心外だと首を傾げれば、何故だか据わった目になったスピカは、口をきゅっと結んで俺に寄りかかってきた。
柔らかくて、暖かい。至近距離にある彼女の体からほんのり甘い香りが漂う。
心臓が痛い程に跳ね上がる。目を丸くしてスピカを見ると、精一杯悪戯気な表情を浮かべて、俺を見上げていた。
スピカがその気なら――。
あぐらをかいていた体を直すと、右手でスピカの手を取り、左手でわき腹へと手を回すと強く抱きしめた。
仕返しだ。
「ひ」
ひ。
「ひぁぁー……」
顔中真っ赤に目をグルグルとさせ、彼女は今まで聞いたことのない声を漏らした。
●
――きゅっ、きゅっ。
柔らかな新雪を踏みしめると、心地よい音がなる。吐いた息が白く長い
寒い。
隣人を置いてゆくことのないように進むペースを意識しながら、雪を踏みしめるスピカの姿を確認する。
「大丈夫か?」
「うん、大丈夫」
テントを出たときには多少のぎこちなさもあったが、スピカから返ってくる声はすっかり平時に戻っていた。
先ほどはやりすぎたかと自責しつつ、ほっと胸をなでおろす。
ゆっくりゆっくり、日の沈んだ世界を歩いて行く。
青白い雪に二人分の足跡が刻まれる。銀色と藍色で作られた世界に、黒々とした影が描かれた。
やがて、目的地にたどり着いた。
群青色の重たい雲から差し込む、
湖面の一部が、ひび割れた鏡のように凍りついている。
スピカと顔を見合わせ、小さく頷き、湖面の傍でその瞬間を待った。
――指先ほどに小さな灯りが、一つ輝いた。
二つ、三つ、まばたきをする間にも光は増して行き、世界を美しく輝かせる。
呼吸すら忘れ、その繊細な景色を見つめ続けた。体がぶるぶると震える。何者にも侵せない静寂の中、燐光が寄せては引いて行く。
冬ホタルと呼ばれる虫が、この光の正体だ。
毎年クリスマスシーズンのみに姿を現し、絶景を演出したあと、一年間姿を隠すのだ。なんでわざわざ過ごしにくいだろう冬に生命活動を行うかはわからないが、そのお陰で思い出に残る風景を見る事が出来る。
きらびやかな光がふわふわと空を泳ぐ。
ただただ綺麗な光景、まるで夢の世界だった。
そっと横に居るスピカの手を握る。この場所に二人で来れたことに、最大限の感謝を。
メリークリスマス。
どうか、世の中全ての人に幸せがあらんことを、なんて。
行き倒れの少女を拾ったと思ったら未来の魔王だった 黒鉛 @graphium_sarpedon
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