30 エピローグ(下)

 ステージで祈祷を捧げていた者の、手ずからで酒が振舞われる。


 木の樽一杯に入っている透明の酒が柄杓ひしゃくで掬われて一人ひとりに配られた。酒を飲めない人や子供のためにもちゃんとジュースも用意されており、スピカはそちらを受け取っていた。

 ミルク程のわずかな粘性を感じる酒の入った木杯を掌で弄びつつ、横に座りなおした少女を見つめる。

 眼差しに期待を浮かべて木杯を見つめている。その杯を口に運ぶと、喉が小さく上下した。……顔がほころんだ。


 スピカ・ベルベット。


 彼女の来歴に思いを馳せる。

 竜人の里は滅ぼされてしまった。神でない俺には、過去を変えることはできない。

 でも、寄り添って話を聞いて、手を差し伸べて、そんな誰にだって出来てしまう簡単なことをしただけで、彼女は言った。


 『私は、ただの竜人でいられます』


 そんな誰かがゲームには居なかったことが悲しいし、悔しい。

 ……ま。

 がしがしと頭を掻いた。だからこそ美味いもん食わせて、綺麗な景色を見させて、楽しい場所へとつれまわそう。

 酒を一口飲む。アルコールの熱が痩せた心に火を起こす。

 行き倒れの少女を拾ったと思ったら未来の魔王、なんてな。


 青々とした葉越しに降り注ぐ太陽の光が心地よい。

 この場に居る町人が今年の農作について語り合っているのを聞きながら、酒をあおる。


「なあ、スピカ。何かやりたいこととか、ある?」

「……やりたいこと?」

「そうだ。未来に、だよ。なんでもいい」


 彼女は言葉を吟味するように口の中でむぐむぐ何かを呟きながら、何やら返答を考えているらしい。

 体を俺へと寄せると、耳に手を伸ばして小声で囁いた。


「読んだ本に出てきたものを見てみたい。古代都市から発掘された覗機関のぞきからくりとか、地中奥深くに眠る城とか、冒険家が見つけた隠された島……とか」


 体を離したスピカは、とっておきの好物を食べる子供のような笑みを浮かべていた。そして、恥ずかしそうにキョロキョロと辺りを数度見て、おずおずと俺の顔を伺ってくる。

 それがとても尊いものに見えて、ぼうっと見つめていた。


「……私、変なこと言った?」

「い、いや。そんなわけあるもんか。……そうだな、それは楽しそうだ。いいな。落ち着いたら一度詳しく教えてくれ、心当たりを探ってみる」


 俺の言葉を聞いたスピカはぽかんと口を開くと、じわじわと表情に色がついた。まるで花のように鮮やかな活力で満ち溢れた。その雰囲気に目を奪われる。

 彼女は表情を真面目なものに直すと、読んだ本のタイトルや内容を流暢に喋り始めた。


「――ムックが記した本には、機巧だけでも沢山書いてあったのだけど、ね? その中でも架空のものを文化に落とし込んだらしい、西洋の鬼を基にした」

「あー、今言われても頭から抜け出ちまう。後でまた教えてくれ」


 一生懸命説明してくれるスピカに頷きを返しながら、深い安心感に似た何かで心が満たされる。

 好きな事を楽しそうに説明できる人は、大丈夫だ。


「……サン、楽しそうだね。どうしたの?」


 いつの間にか説明をやめたスピカに尋ねられる。

 そうか? と、手で顔を触ってみたら、知らず知らずのうちに笑っていたらしい。

 風が吹いた。

 俺たちの間を通り抜けた風は温かく、帽子からこぼれたスピカの絹のような髪がふわりと舞い上がる。ステージに置かれた花も楽しそうに頭を揺らした。

 夏の来訪を告げるような、暖かな風だった。


「嬉しいことがあったんだよ」


 疑問符を浮かべるスピカの頭に手を載せると心からの笑顔を向ける。

 急に機嫌のよくなった俺に目を白黒させる様子すら可愛く思えて、大事にしてやりたいと思った。


「なあ、スピカ」

「何?」

「楽しみだな」


 俺の言葉を聞いたスピカは、小さく頷いた。そして微笑んだ。帽子の隙間から、柔らかな笑みを俺に見せた。

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