第3話 ほかほか食堂



      3

 


 食堂に続々と人がやってくる。


 俺は間一髪といったところで空いている席に腰を下ろした。まぶしいくらいの蛍光灯に照らされた清潔感のある食堂には等間隔にしろいテーブルが並んでいて、数人のグループでかたまっている人たちが会話に花を咲かせている。


 以前は同じクラスで友人のケイと、クラスが離れてしまった若藤と食べることがほとんどだった。いまもそのふたりとはよく食べているが、きょうはどちらも都合が合わず、ケイは彼女と、若藤は変わったクラスで友達になった人たちとよろしくやっていたので誘わないでおいた。


 そのふたり以外にも同じクラスに友人が数人いるが、俺だけきょうは学食で俺の都合に合わせてもらうのも、と誘うのを躊躇してしまった。友人には違いないのだが、ふたりと比べると親密度に違いがあると云えばいいのか、やや遠慮してしまうような間柄なのである。


 賑やかな話し声がそこかしこで聞こえてくるなかで、俺はしずかに手を合わせた。


 ひとりでいるのは苦じゃなかった。むしろ鬱陶しい人間関係に振りまわされず、剣道に集中できて逆にいいとすら感じていた。


 小学生のときから稽古三昧。朝起きて、授業を聞いて――ひたすら剣道に打ちこむ日々を過ごしていた。


 そんな風だったので、人付き合いはあまりいいほうではなかった。剣道以外の流行や話題についていけず、仏頂面で、積極的に喋りかけるほうでも愛嬌もないため、クラスでちょっと距離をおかれた、周りから浮いた存在になってしまっていた。


 そんな俺に、距離をおかずに話しかけてくれていたのが友人のケイだった。ケイとは中学からの付き合いで、中学二年のときにはじめて同じクラスになり、席替えがきっかけで同じ班になってから親しくなっていった。


『沼、いっしょに移動しようよ』

『沼、ペアにならない?』

『沼、途中までいっしょに帰ろう』


 そんな、何気ないささいな一言が、うれしかった。


 俺も俺で、徐々にではあるが柔軟になっていったように思う。休日には遊びに行くようになったし、クラス行事にも積極的にとまでは云わないが、心を閉ざさずに参加するようになっていった。


 ケイと進学先が同じで、さらにクラスもいっしょだったのは幸運だったのだろう。一年生のときは何不自由なく過ごすことができて、そして若藤とも親しくなれたから。


 その三人で飯を食っていたのが当たり前だったのもあるんだろう。

 ひとりでいるのは苦じゃなかったはず、だったんだが。

 あの頃と比べたら、いまはすこしだけ、心細さを感じるようになってしまった。


「あれ、先輩?」


 などなどと感傷に浸りながら細々と飯を食べていたら、目の前にトレイを持った真が現れた。


「おう。真も食堂か」

「ハイ。どんな感じなのか一度試しておこうかと思いまして」と真が云った。「でも、こんなに人が多いとは思いませんでした。ぜんぜん席が空いてなくって……先輩、ここいいですか?」


 うなずくと、真が「ありがとうございます」と云いながら正面の席に腰を下ろした。鯖の味噌煮の味噌と生姜の入り混じった香りがふわっと漂ってきて、そっちでも悪くなかったなとついつい思ってしまう。


「いただきます」


 口を潤すようにまずは味噌汁を一口。そのあと流れるような動きで鯖を箸で丁寧に割り、タレにしっかりと絡めてから口に入れると、しろい湯気の立つ白米を箸から溢れんばかりにすくい上げて口いっぱいに頬張った。


「んぅーおいひぃー」

「そうか」


 真が幸せをそのまま噛みしめるように二口、三口とつづけて食べつづける姿を俺はすこしのあいだ眺めていた。昔から真とはなんでも美味そうによく食べるので、見ているこっちも気持ちがいい。


「カツ、一切れ食うか?」

「いりまへぇん。わはしダイへット中ですよ先ハい」

「すまん、そうだったな。そういえば順調か、ダイエットは」

 真が口に入れたものを飲みこんでから云った。「ハイ。お母さんにも協力してもらって、ご飯もカロリーを抑えたものにしてもらっていて。ランニングも毎日つづけています」

「そうか。頑張ってるんだな」

「ハイ!」


 真がなぜか嬉しそうに表情を弛ませながら箸を進める。真がダイエット宣言をしてきた日から数日が経ち、まだ目に見えた変化はないが、目に見えない自信というかやる気が内側から溢れているのをそばにいると感じるようになった。


「そういえば先輩。わたしついにスマホ買ってもらったんですよ」


 急に話題を振られ、そういえばと思いだす。たしか走っているときにアラームを設定していたが、そのときスマホを使っていたな、と。


「そうか。よかったな」


 短く答えてカツ丼のカツを頬張ると、真が露骨に「はぁぁ……」とため息をついた。


「先輩。わたし、スマホ買ってもらったんですよ」

「わかったよ。よかったな、買ってもらえて」

「ハイ! じゃなくていや間違いではないんですそうなんですけど違うんですよぉ……」と真がささやくような声で云いながら手でおでこを何度もたたいた。「先輩! わたし、スマホ、買ってもらったんですよ!?」

「わかったって。どうしたさっきから」

「あーもうめんどくさい! ライン教えてください!」 

「なんなんだ……はじめからそう云え」と俺はポケットをまさぐった。

「ハイすみませんでしたぁ」


 真が投げやりに答え、顔を真っ赤にしながらパタパタと手で顔を仰ぐ。昔からの幼馴染の真だ、訊かれればラインくらいすぐに教えてやるのに、なぜそんなまわりくどい云い方をしてきたのだろう。


「ほら」


 QRコードを表示させてスマホを差しだすと、真が慌ててブレザーのポケットからスマホを取りだした。そのまま流れるようにコードを読みこんでから「わ、……ぁりがとうございます」と弾みそうになったのを無理やり押しこめたような声でお礼を云ってくる。


『カツ丼美味しいですか?』


 真がまだ慣れていない辿々しい感じでスマホを操作したあと、俺のスマホに文章が送られてきた。


「目の前にいるんだが?」

「いいじゃないですかー。せっかく交換したのでちょっとラインのやりとりしましょうよー」と真が頰を緩ませながら云った。


 自分のスマホを買ってもらえたのが相当嬉しいのか、使いたくて仕方がないのだろう。俺はしょうがないと思いながらも付き合うことにして、手短に『美味いぞ』と返事をした。


「先輩の返事そっけない!」

「いつもこんなもんだ。それにこれ以上云うことないだろう」

「んもぉー……まあ、そうですけどー」と真が云いながらスマホを操作した。『食堂でなにがオススメですか?』

『チキン南蛮とカレーだな』

「へーそうなんですね。今度食べてみます。あーでもんー……チキン南蛮は、太りそうだから、いつかにしよ……」と真がスマホをいじりながら云った。『よく食堂使ってるんですか?』

『あんまりだな』と俺は打ってから答えた。「母親が弁当作るのが面倒だった日だけだ」

 真がスマホをテーブルにおいた。「双子だとお弁当作るの大変そうですもんね」

「あいつは使ってないみたいだけどな。食堂で会ったことない」と俺は箸を動かしながら答えた。

「直美さんは苦手そうですね、こういう人が多いところ」

「そうだな。でも最近は前ほどひどくはなくなったぞ」

「えっ、そうなんですか?」

「ああ」と俺は思いだしながら云った。「たぶん、一年のときに会った友達のおかげだな。その友達ができてからは家に来て勉強会をしたり、休日は家にいてばかりだったが、いろいろな場所へ遊びに行ったりした」


 思い返せば、ここ一年で直美はだいぶ変わった。友達ができずに悩んでいた時期もあったが、満水たちと出会ってからは良い方向へ進んでいると思う。


「へえー。そうなんですねー」と真が俺のほうを見ながら感慨深そうにしながら云った。「わたしも今度遊びに誘ってみます!」

「ああ。そうしてくれ。あいつも喜ぶ」

「ハイ!」


 明るく返事をしてから、真が食べることに集中しはじめたので、俺も合わせるように残った飯を食べ進めた。並々と盛られていたご飯も減り、丼の底が見えるくらいになると、俺は丼ぶりを持ち上げて残りを一気に口へ詰めこむ。


「ごちそうさん」と俺は手を合わせた。

 食べ終えてから、コップに残っていた水をすこしずつ飲みながら食後の余韻に浸る。


 真が食い終わるまでのあいだ、じぃーっとそっちを眺めていると、真がさすがに視線に気づいて口を隠しながら「……なんれふか?」と云った。


「――いや。なんでも」


 なんだろうな。幼馴染の真なのに、面と向かって云いだしにくい、胸の奥になんともむず痒い気持ちがあって、だけどこれは伝えなければなと思い、俺は首を触りながらスマホを手に取る。


「というか先輩、待っててくれるんですか? 食べ終わるまで」

「ん? ああ」

「そう、ですか」

「ひとりで食いたいなら先に行くが?」

「い、いえ。そうではなくて! ええと……ありがとう、ございます……」


 真と会話をしながら、思いついたものを打ちこんでは消し、消しては打ちこんでいく。あまりこういうことに慣れていないせいか、いい文章がなかなかでてこない。


 そんなことを繰り返していたら「ごちそうさまです」と真がいつの間にか食べ終わっていて、両手を合わせたあと、口直しに水を一口飲んだ。


「行けるか?」

「ハイ」


 完成した文章をそのまま残し、俺は片手でトレイを持ち上げた。真といっしょにトレイ置き場に食器を戻したあと、配膳のおばちゃんたちに「ごちそうさま、した」と軽く挨拶をしたら「あいよー! ありがとうねー!」と元気な声が返ってくる。


「それじゃあな」

「ハイ! また!」 


 真と食堂の出入り口で別れ、すこし歩きながら先ほど完成させた文章を送信する。


『楽しかった。ありがとう』


 まわりくどい云い回しは性分に合わず、伝えたいことだけを残したら、逆に味気ないくらいシンプルになってしまった。


『わたしもです極しょこのときまたたび教えてくださいね!』

「急ぎすぎだ」


 スマホをポケットに戻そうとしたら、すぐに真から返事が飛んできて、急ピッチで打ちこんだのがわかるくらいの誤字だらけの文章を見て、思わず笑ってしまった。


『ああ、そうする』


 と返事をしてから、なぜかやりとりが途切れず、結局その日、寝るまで真とラインをしてしまっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

地味な彼らのスピンオフ 織井 @oriiaiiro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ