Burn

イエモンに「Burn」という曲があって、
なんとなくその歌詞を思い出した。

「飛べない鳥は胸や背中は大人だけど取り残されて」

みたいな歌詞だった、と思う。

飛べないケツァルコアトルスの姿が
大人になれない主人公の姿と相似した。

子どもの頃は大人の姿を見て、
大人になればもっといろんなことが上手くやれるのだと思っていた。
でも、全然そんなことはなかった。
たぶんそれは、主人公以外の登場人物も同じだろう。
彼ら彼女らの姿を見ていると、等身大、という言葉が去来する。

みんな飛べなかった。大きくなったからだ。

成長の痛みの物語であるとともに、優しさの物語だと思った。
登場人物たちは、みんな優しい。
でもその優しさは、何ひとつ救ってはくれない。
「本当の優しさ」という言葉は、誰もがいつか聞いたことのある言葉だろうけれど
誰もその意味を分かっていないから切ない。

救いはないけれど、それは誰がいつどこにいてもそうだろう。
ケツァルコアトルスは飛べない。
でも、想像のなかでだけ飛べるとしたら、それが救いなのかもしれない。